第115話 鎮魂と賢者の光
街の空気が明るさを取り戻しつつある中で、僕は静かに孤児院へ向かった。
子どもたちの姿が見えない。
ジーク教団に誘拐され、心に深い傷を負っているはずだ。
礼拝堂の方から微かな声が聞こえ、扉を開くと、子どもたちはそこにいた。
薄い光の中に、小さな背中がいくつも並んでいた。
静けさの中で、子どもたちのすすり泣きと、灯火のかすかな揺れだけが響いていた。
僕はそっと歩み寄り、輪の端に座る。
「みんな……」
振り向いた子どもたちは、涙で目を腫らしている。
「リリーナちゃんのお母さん……みんなを守ってくれて……死んじゃった」
声が震えている。
言葉にしようとすると、余計に涙がこぼれるようだった。
「だから……みんなで、お礼と……お祈りしてるの」
礼拝堂の中央には、白い花と、小さな灯火が置かれていた。
――光の女神アルテミナ像が静かに微笑んでいる。
あんなに元気で無邪気だったリリーナは、ひと言も話さず、レイン先生の腕の中で小さく震えていた。
こんな小さな少女が負うには、あまりにも重すぎる現実。
離れるのが怖いのか、レイン先生の服をぎゅっと握りしめている。
足元ではミミーがしっぽをピンと立て、リリーナの不安を和らげようと寄り添っていた。
レイン先生は、リリーナの頭を優しく撫でながら、静かに言葉を紡ぐ。
「あなたのお母さまは……光の女神さまのもとで、ずっとあなたを見守ってくれているはずです。」
レイン先生の言葉は、ただの慰めではなかった。
「だから……怖くありませんよ」
その言葉の奥に、二千年に及ぶ因果を背負ってきた者だけが持つ、静かな覚悟と、女神への深い感謝が滲んでいた。
祈りを捧げ、誰かを守るために剣を振るい続けた一族。
その末裔であるレイン先生。
腕の中の小さな少女に向けて語るその声は、深い悲しみを抱えながらも、包み込むような温かさに満ちていた。
気づけば、僕はゆっくりと歩み寄っていた。
「リリーナ。僕はレイン先生みたいに頼りにならないかもしれないけど……僕もリリーナと一緒にいるよ。」
それは、僕が言える精いっぱいの言葉だった。
強くもない、立派でもない、ただ離れないという、小さな約束。
――リリーナは、涙で濡れた顔をゆっくり上げた。
そして、ふらりと立ち上がると、まっすぐ僕の胸に飛び込んできた。
小さな腕が僕の背中に回り、震えながら、必死にしがみついてくる。
僕も、そっと抱きしめ返した。
「……リリーナのこと、僕も必ず守るよ。」
その瞬間、リリーナの指が僕の服をぎゅっとつかんだ。
言葉は返ってこない……ただ、震えが少しだけ弱くなる。
レイン先生は、僕とリリーナを見守りながら静かに目を閉じていた。
――礼拝堂の中央に置かれた白い花と灯火。
その揺れが、まるで皇女エレオノーラが残した風のように、子どもたちの頬をそっと撫でていく。
子どもたちは手を合わせ、小さな声で祈りを続けていた。
「リリーナちゃんのお母さん……ありがとう……」
僕はそっと目を閉じ、子どもたちと同じように手を合わせた。
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聖浄院では、魔導師団が復旧を急いでいた。
セルド隊長が次々と指示を飛ばし、その傍らには、従魔師のナギルさんの姿があった。
まさか、ナギルさんが魔導師団・従魔兵団の元隊長だったとは。
セルド隊長は、どこか気をつかうようにナギルさんへ視線を向けていた。
そんな中、セルド隊長が僕に声をかけてくれた。
「君の飛竜は、ナギル先輩から指導されていたのか。……道理で……」
無知というのは、時に恐怖になるのだと痛感した。
「僕も……まさかナギルさんが魔導師団の隊長さんだったなんて知らなくて……」
セルド隊長は肩をすくめる。
「伝説の従魔師だぞ。」
ナギルさんは、ふん、と鼻を鳴らした。
「昔の話じゃ。今はただの隠居だ」
そう言いながら、どこか照れくさそうに目をそらしていた。
その横で、ミル副隊長の長い髪が風に揺れ、静かに微笑んでいた。
――激戦地であった聖浄院の被害は大きい。
リファーナさんが張った大結界の“心臓部”とも言える場所。
国にとって、そして世界にとって、最重要施設のひとつだ。
その聖浄院が、瓦礫に覆われ、結界の柱は折れ、魔力の流れはまだ不安定なまま。
一刻も早い再建を目指し、昼夜を問わず急ピッチで進められていた。
魔導師団は結界の再構築に奔走し、工兵たちは崩れた壁を測り、聖職者たちは祈りと治癒で人々を支えている。
その光景は、戦いの爪痕と、それでも前へ進もうとする人々の意志が静かに交差する場所だった。
――聖浄院前の広場には、五つの影が並んでいた。
炎、雷、土、闇、水――列の端に、淡い水色の法衣をまとったアミリアがいた。
賢者たちは、本来聖浄院から出られない存在。
建物が壊れ、外から結界維持の魔力を注ぐ。
僕が遠目から見ていると、炎の賢者イグナと視線が合った。
「魔欠の小僧か。まさかシルフィアまで討つとはな」
その言葉に、賢者たちの視線が一斉に僕へ向いた。
魔欠と呼ばれていた少年が、六賢者の一角を討ち倒したという事実を、冷静に、重く受け止めている。
アミリアは胸に手を当てていた。
(ロキ……あなたのもとに駆け寄りたい……)
けれど、そんな願いが許されるはずがない。
アミリアはその想いを押し殺し、ただ静かに息を整えた。
――そのとき
闇の賢者ノクスがアミリアを横目に、雷の賢者ライゼルへ語りかけた。
「アスピアの皇女殿下に、エルミナ共和国は救われた。
――エレオノーラ殿への鎮魂も兼ね、開国祭以外で例は少ないが、“賢者の光の儀式”を執り行ってはいかがか」
雷の賢者ライゼルは、察したように短く応じた。
「あーいいだろう。民の心も疲弊している。
――賢者の光は、もとは鎮魂と平穏を祈念するものだと言われている。今をおいて、本来の目的を果たす時はない」
賢者の光――それは開国祭で行われる祈りの儀式。
賢者の魔力の光で国を覆い、民の平穏を願うもの。
その起源は、二千年前の魔導大戦にさかのぼる。
大賢者リファーナ・ラズウェルは、命を賭して厄災を払い、世界を守った勇者ローディンへの永久の愛を胸に、光の女神へ祈りを捧げた。
その祈りに応じるように、リファーナの魔力は光となって、疲弊した民の心を癒やした。
やがて人々は、その光を“賢者の光”と呼び始めたのだった。
土の賢者ガルドが重い声で言葉を落とす。
普段は岩のように寡黙な男だが、その声音はめずらしく、ほんのわずかに柔らかかった。
「全員がここを離れるわけにはいかん。アミリア、お前が民に祈りの光を捧げてこい。
――癒しの魔力は、お前が最も長けている」
火の賢者イグナが遠目でロキを見ながら続ける。
「ちょうど、あそこに魔欠の小僧がいるぞ。
――あいつの飛竜にでも乗せてもらえば、空から央都全体に光を注げるだろう」
アミリアは、驚き、固まった。
胸の奥で、長く閉じていた何かが、そっとほどけた。
十三歳で聖浄院へ上がったあの日から、ほとんど出ることを許されなかった。
――今、民のために空へ出ることを許された。
その直後――震えながらも、深く頭を下げた。
「はい……精いっぱい、努めてまいります」
――賢者たちは知った。
至上最年少で聖浄院に上がったアミリアが、最近、何かにつけて話題に上がる“魔欠の少年”と幼馴染であったことを。
そして、六賢者の決定によって、幼い二人の仲を引き裂いた事実も。
誰も口には出さなかったが、賢者たちの胸には静かな祈りが宿っていた。
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