第114話 央都に戻る平穏と復興
数日後、街には、まだ戦いの爪痕が残っていた。
それでも人々は前を向いていた。
街の人々は傷を負いながらも、互いに声を掛け合い、瓦礫を運び出している。
アスピア魔導兵たちも、魔法で建物の補強を手伝っていた。
幸い、魔導学院の被害は少なかった。
授業は休講だが、学院の庭園には多くの生徒が集まり、久しぶりの日常を取り戻したかのように、中庭のベンチでおしゃべりをしたり笑い声を上げていた。
正直、復興に汗を流している魔導師団や街の人たちに比べれば、どこか自由で、のんびりした空気だった。
でも、その笑顔が、街に戻りつつある日常の証のようにも思えた。
――ミール先生の姿が見えた。
胸が、ドキっとする。
あのとき、先生の指示を無視して、勝手に飛び出してしまった。
叱られる覚悟で、それでも足は先生の方へ向かっていた。
「……あの、ミール先生……」
声が震えた。
呼んだ瞬間、先生の背中が、ゆっくりとこちらを向く。
「ロキーー!お前!」
やっぱり怒ってた。
ミール先生は、叫んだが、ふと表情が柔らかくなる。
「……無事だったから良しとするか……お前にも助けられたからな。」
怒鳴り声の奥に、“生きててよかった”という安堵が混じっているのが分かった。
僕は、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じた。
叱られる覚悟だったが、先生の声は、怒りよりも、心配と、安堵の色のほうが濃かった。
「……お前は、まだ学生なんだぞ。」
ミール先生は、腕を組んで僕を睨みつけながらも、その目だけは、どこか優しかった。
そこで先生は、ふっと目を細めた。
「……授業で、泣きべそかいていたお前が、あんなにやるようになっていたとは思わなかったぞ。」
怒っているのに、その声の奥には、驚きと、ちょっとした誇らしさが混じっていた。
ミール先生は、少しだけ視線をそらし、照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「学院長に、“ロキに剣を持たせるのを許してほしい”ってお願いした面目が……まあ、やっと立ったよ。」
その言葉は、怒りでも叱責でもなく、僕の成長を心から喜ぶ、大人の本音 だった。
柔らかな風が学院の庭を吹き抜ける。
――――――
学院の庭を歩くと、中庭の向こうから、見慣れた三つの影がこちらへ駆けてくる。
ニール、ルミ、そして――
リオナ
どんな顔をすればいいんだろう……
あの時は必死で、そのまま行ってしまったけど。
三人とも、僕の顔を見た瞬間にほっとしたように息をついた。
「ロキ! ほんとに無事だったんだね!」
ニールが勢いよく腕をつかむ。
「もう……心配したよ……」
ルミは胸に手を当てて、安堵の息を漏らす。
リオナは、少し遅れて歩み寄ってきて、僕の姿を確かめるように見つめた。
「……よかった。……無事で……」
そして――リオナは、ほんの一瞬だけ視線をそらし、
けれど、すぐに僕へ向き直った。
その瞳は、戦場で涙を浮かべながら告げた言葉の続き――そのままの想いを宿していた。
「……あの時、困らせて、ごめんなさい。
本当の気持ちを、二度と言えなくなるんじゃないかって……思ってしまって」
ニールとルミが同時に息を呑む。
「リオナ?」
リオナが二人を見て、真正面から僕へ言った。
「私、ロキのことが好きなんだ……」
「えっ!」
突然の告白にニールとルミの顔が真っ赤になる。
「どうしちゃったのリオナ!」
リオナは、慌てる二人の反応を横目に、どこか吹っ切れたように続けた。
「薬草採取の実習であなたに助けられて……
魔法が使えなくても努力するあなたを見てたら、ずっと気になってしまったの。
――気づいたら……あなたのことばかり考えてた」
免疫のない僕の顔が熱くなる。
女の子にそんな気持ちを言われたことのない僕は、ただ固まるしかなかった。
リオナは、ふっと笑った。
「……でも、ふられちゃったから、もういいの。言えたから、それで十分」
リオナは肩をすくめて笑った。
「ねえロキ、今後……私にも剣術、教えて!」
皆が驚く。
「えっ!」
「ちょっ、リオナ?」
リオナは、いたずらめいた表情を浮かべ、ぱっとニールとルミの方へ振り向く。
長い髪がふわりと揺れ、制服の裾がふわりとなびいた。
「二人とも。今日、ランチ……一緒に行かない?ちょっと……寂しい気分なんだ」
ニールとルミが顔を見合わせ、同時に頷く。
「もちろん!」
「行こう、リオナ!」
ニールとルミの声が重なり、学院の庭に、戦場とは違う柔らかな空気が広がった。
その時、ニールがぽつりと呟く。
「……リオナみたいな貴族で、賢くて、美人をふるなんて、ロキのやつ何考えてるんだろうな……」
ルミが慌てて肘でつつく。
「ちょっと、ニール……!」
リオナは、ふっと笑った。
その横顔には、ほんの少しだけ強くなった笑みが浮かんでいた。
平穏が戻った学院の庭には、生徒たちの笑い声と、小さな魔法の光がふわりと漂っていた。
――――――
街を歩くと、瓦礫を運び出す音が、あちこちから聞こえてくる。
街の住人たちが壁を補修し、子どもたちが水を運んでくる。
――やがて、セントラルパークの広場に出る。
そこには、街の職人たちが集まっていた。
大工、石工、鍛冶屋、魔導灯職人、そして屋台の骨組みを作る木工師たちまで。
大きな地図を広げ、復興計画を真剣に議論している。
「まずは水路の確保だ」
「いや、運搬路を先に整えた方がいい」
「魔導灯の復旧は夜までに終わらせるぞ」
声は大きいが、険しさはない。むしろ、活気があった。
戦いの爪痕は深い。それでも、街は前を向いている。
木々の葉が揺れ、光の粒がその上を静かに流れていく。
――その時。
「おい、ロキじゃないかい」
女性の声がした。
振り向くと、魔法薬工房のサキュバス――カーミラさんだ。
紫の長い髪、妖美な表情は相変わらずだ。
「カーミラさん。よかった無事だったんですね」
「あたしらはね。それより剣を持った学院の生徒が暴れてるって……あんただろ?」
「あっ…僕……かも……しれないです」
カーミラさんが、口の端を上げて笑った。
その笑みは毒舌なのに、どこか優しさが滲む。
「剣を持ってる生徒なんて、あんたしかいないよ……」
――すると
カーミラさんの視線が、僕の胸元を凝視する……。
「――――――」
「……その小さな魔法瓶……」
カーミラさんの目が細くなる。
紫の瞳が、獲物を見つけた魔獣のように光った。
「まさか、この色……この純度……これ……女神の霊薬じゃないのかい?」
胸元に下げた小瓶。
この世界に戻る時、リファーナさんが“お守り”としてつけてくれたもの。
たしかに、リファーナさんも“エリ……なんとか”と言っていた気がする。
「たぶん……そうです。もらいました……」
なんて説明したらいいのか、言葉が出ない。
カーミラさんは、息を呑んだ。
「……幻の霊薬……あたしが人生をかけて追ってる薬だよ……こんな国宝級の魔法薬、どこで……」
カーミラさんは言葉を失っている。
「これは、大昔、大賢者が使っていたと言われる伝説の魔法薬だよ。」
リファーナさんがローディンさんに手を添え、静かに魔力を流し込む姿が浮かんだ。
カーミラさんの声が震えている。
普段の妖美な余裕が、完全に吹き飛んでいた。
「ちょ、ちょっと触らせておくれ!」
僕が差し出す前に、カーミラさんの指先が小瓶に触れた。
――カチリ……?
びくともしない。
「……開かない?封印……?何これ、魔力が跳ね返される……」
カーミラさんの顔色が変わる。
「誰だい!こんなとんでもない封印を施したやつは……!」
その声には、驚愕と、嫉妬と、そして職人としての純粋な敬意が混ざっていた。
僕は言葉に詰まった。
二千年前の大賢者にもらいました……なんて言えるわけがなかった。
胸の奥が熱くなる。
――――
すると――
僕の腰のあたりに、ずしりとした“圧”がかかった。
大きな図体がうずくまり、僕の腰の剣をまさぐっている。
(えっ何?)
よく見ると……鍛冶師のラグさんだ。
「これは……これは……」
言葉になっていない。
けれど、その震えは伝わってくる。
「坊主……この輝き……まさか……オリハルコン……」
ラグさんの声が、かすれる。
「ミスリル合金すら霞む……神の金属と呼ばれるオリハルコン……」
ラグさんは、剣の柄に触れたまま、まるで祈るように目を閉じる。
「二千年前……俺の先祖の師匠が触れたっていう……あの“神鋼”……」
ごくり、と喉が鳴る。
「それ以来……見たものは誰もいないって……何でお前が……」
ラグさんの手が震えている。
鍛冶師としての誇りと、畏怖と、そして信じられないという感情が混ざっていた。
カーミラさんも、ラグさんも、放心して固まっている。
もはや、何を言っても耳に入らないようだった。
二人とも、ただ“それ”を見つめている。
胸元の小瓶と、腰の剣。
まるで、世界の理がひっくり返ったかのようだった。
――後ろから、落ち着いた男性の声がした。
魔道具工房のリワードさんだ。
「おやおや、二人とも放心してしまっていますね。飛竜大会では魔道具のアイデアといい、君には驚かされることばかりです。」
その声音は穏やかで、しかしどこか商人らしい笑みだった。
「先に君に恩を売って正解でした……」
ぼそりと、何か聞こえた。
「えっ、何ですか?」
「いやいや、こっちの独り言です。」
リワードさんはにこりと笑う。
放心したまま固まっているカーミラさんとラグさんを見やる。
「色々なものを見て、触って、知ることは良いことですよ。魔工というのは、そうした“気づき”や“縁”が積み重なって形になるものです。」
その言葉に、胸の奥がまた熱くなる。
魔道具を語るとき、いつも瞳を輝かせていたリワードさん。
魔工学を語るとき――同じように目を輝かせていたリファーナさん。
次代を超えた二人の“キラキラした目”が、ふっと重なった気がした。
朝日が、胸元の小瓶と腰の剣を照らす。
その光は、二千年前の記憶が、静かに息をしている、そんな気がした。
――――――




