第112話 禁忌の遺物と少女の涙
リファーナさんの言葉が頭の中で響く。
古代人が恐れた“厄災”――。
その正体は、魔素を基盤として生成された防衛型の人工知能。
魔法工学の極致が生み出した、最強の自律式魔工兵装核――
古代兵器ガイアビナス。
二千年前、アスピア神殿で見た“古代の壁画”。
黒の線で描かれた、あの魔獣の影。
――その影が、今、現実になっていた。
ガイアビナスが魔素から生成した夥しい数の古代の魔獣が、色をもち、まるで壁画の中からそのまま抜け出したかのように姿を現す。
古代人が、後世の人々に伝えたかった警告。
壁画の中で静かに佇んでいた“獣の影”が動き始めた。
――その一体が、獲物を見つけたかのように突如高速で跳ね上がり、付近の魔導師を食いちぎった。
古代の魔獣は次々と聖浄院の外へあふれ出し、地を這っていく。
ものすごい数だ。
まるで大群の昆虫が、あっという間に世界のすべてを食い滅ぼしてしまうかのような光景だった。
シルフィアが冷たい笑みを浮かべる。
「さすがね。ガイアビナス」
僕とアミリアに魔獣が迫る。
アミリアの魔法障壁が魔獣を弾く。
「迎撃しろ!撃て撃て!」
「うわー!くるなー!」
あちらこちらから叫び声や悲鳴が響き、古代の魔獣に応戦する魔力の光が上がる。
「これでは……とても持ちこたえられない……」
アミリアの表情が強張る。
――――
空気が沈み、地面が低く唸り、石畳が波のように揺れた。
砕けた結界の中心で、白金の霧が激しく脈動し、光を放つ。
「……出てくる」
古代の魔獣たちが一斉に咆哮する。
まるで“主”の気配に触れた獣のように。
遠くの建物が、音もなく崩れ落ちる。
白金の霧の奥で、青白い光がゆっくりと巨大な形を成し始める。
それは、かつてリファーナさんの研究所で見た古代の記憶と同じだった。
霧に隠れ、輪郭は曖昧だが――
悪魔ではなく、神と呼ぶ方が相応しい神々しさをまとっている。
その光が、まるで世界の魔素そのものを吸いつくすように震えた。
ガイアビナスが、ゆっくりと手をかざす。
次の瞬間――
遥か上空から巨大な一本の青い光の筋が、央都の街をなぞった。
――――?
直後――
けたたましい爆音とともに、青い光がなぞった場所に炎が立ち上がり、建物が蒸発するように消滅した。
僕は声を失った。
「……何が起きたんだ……」
アミリアが胸の前に手を置き、悲しみの声を落とした。
「……何てことを……」
人々の悲嘆の声があちらこちらから響く。
「私達の……美しかったエルミナの街が……」
央都の人々が一斉に上空を見上げた。
――遥か上空。
豆粒ほどの浮遊物体が青白く光っている。
だが、あまりにも遠いせいで小さく見えるだけで、地上に届くはずのない光の強さが、その物体が本来もつ質量の“巨大さ”を静かに示していた。
シルフィアが目を輝かせ、満足そうに言葉を落とす。
「素晴らしいわ……。これが"バルキリア"の裁きの光槍」
(バルキリア……)
確か、リファーナさんがガイアビナスが使役する古代兵器の一つとしてその名を言っていた。
ガイアビナスが封印され、二千年の間、遥か上空で停止していた『天上攻撃型魔導兵装』――バルキリア。
ガイアビナスが使役する、“神の光槍”の異名をもつ古代兵器。
――土の賢者ガルドが言葉を落とす。
「これほどの威力とは……」
その声音は、かつて師事した賢者の師から『決して復活させてはならない』と言われていた存在の復活を許した後悔が滲んでいた。
他の賢者たちも、静かに息を呑んだ。
次の瞬間――
ガイアビナスが青白い光を放つと、遥か上空で、"同じ複数の影"が、それに呼応するように脈動した。
地上からでも分かるほどの光。
魔導師団の兵がつぶやく。
「あんなに……沢山……」
魔導大戦で勇者ローディンがガイアビナスを退け、封印されてから遥か二千年。
天上の彼方で静止していた無数のバルキリアが、古の神話が息を吹き返すように青白い光を脈動させ始めた。
それは、封印の時代が終わったことを告げる“天上の兆し”のようだった。
我先に逃げようとしていた国の重役や貴族たちも、天上の光を見た瞬間、動きを止めた。
「……世界が終わる……」
誰もが戦意を失い、抵抗も逃亡も無意味であることを悟った。
僕もただ、見ていることしかできなかった。
――――
――――
その時――まばゆい光とともに、ひとりの女性が前へ歩み出た。
アミリアが息を呑む。
「あの方は……」
女性の傍らに寄り添う白虎。
「アスピア皇国のエレオノーラ殿下」
リリーナのミミーやルナさんのツキヨミとも違うが、白虎の神々しさは同じだ。
彼女は、リリーナの母――
現・アスピア皇国の皇女、エレオノーラ・クラリスその人だった。
飛竜の背で、リリーナが呟く。
「お母さま……?」
エレオノーラ皇女の純白の聖衣が、風に揺れる。
その背中は、どこまでも静かで――どこまでも強かった。
シルフィアが冷たい目で見下ろす。
「アスピアの皇女が……何の用です。――時の魔力を引き継いだ“前巫女”のあなたに、もう大した魔力は残っていないはずでしょう」
エレオノーラ皇女は静かに告げた。
「あなたの言うとおり、娘に巫女の力を引き継いだ私に、魔力はほとんど残っていません」
シルフィアが鼻で笑う。
「では、力を失った巫女が、今さら何の用です?」
エレオノーラ皇女はわずかに目を伏せ、そして静かに顔を上げた。
「ガイアビナスの復活は、光の女神の御心に背くもの……」
その声は静かだが、揺るぎなかった。
「時の血族の使命は、古の時代より"光の使徒"を導くこと。
"光の使徒"が討つべき神敵……厄災の復活を許すことはできません……」
その声音は、時の魔力と聖獣を授かる巫女として――
アスピア皇国を背負う皇女として、揺るぎない意思を帯びていた。
「……厄災の“時”を、戻します」
その声には、深い覚悟だけがにじんでいた。
シルフィアの頬を、一筋の汗がつたう。
「何を……馬鹿なことを……」
焦りが、わずかにその表情を乱した。
時を巻き戻すなど、本来、神が定めた法理に背く行為――
使うことは許されぬ禁呪。
その表情は、光の中に立つ一本の矛のように、ただ凛としていた。
「これほどの遺物に干渉するには膨大な魔力が必要……
時の巫女は、魔力を受け継ぐ代償として時の魔力の大半を失う。
しかし、幼い現巫女のリリーナでは力が足りない……」
エレオノーラ皇女は振り返らない。
ただ、シルフィアだけを見つめていた。
「……ひとつだけ、時の魔力を使う方法があります」
「!!」
従者が悲鳴のような声を上げた。
「殿下、いけません!! その術は……!」
「ただひとつ――世界に滅亡の危機ある時、時の巫女が女神への信仰の証として、己の命と引き換えになせる唯一の術をもって」
エレオノーラ皇女の周囲に、“時の光”が静かに集まり始める。
エレオノーラ皇女は、最後に一度だけリリーナの方を見た。
その瞳は、母の優しさと、皇女の覚悟が同時に宿っていた。
「リリーナ……あなたは……生きなさい……」
エレオノーラ皇女の視線が、リリーナを抱えるレイン先生に向く。
「レイン様。
一人の母として、どうか私の我儘を聞いてください。
娘を……リリーナのことを守ってあげてはもらえないでしょうか……」
レイン先生に苦渋の表情が浮かぶ。
その表情は、他に手だてがないことを理解している者の表情だった。
「……大賢者ラズウェル様と交わした血の盟約――
勇者を導く時の巫女を守護すること。
リリーナは、剣聖の一族の名誉にかけて、命に代えてもお守りします」
エレオノーラ皇女に安堵の笑みが浮かぶ。
「本当に……ありがとうございます。」
エレオノーラ皇女の視線が僕に落ちる。
「ロキさん……私にできることは時間稼ぎのみです。
厄災を断つことができるのは、神鋼の剣で振われる虹の刃だけ。
勇者としての力をつけ、いつか厄災を、ヴァルシエル王朝の野望をあなたの手で断ち切ってください」
その言葉は、命を賭ける者の“願い”であり、未来を託す者の“祈り”だった。
――光が弾け、時の呪文が紡がれる。
エレオノーラ皇女は胸に手を当て、ゆっくりと祈るように目を閉じた。
「さようならリリーナ……生まれてきてくれてありがとう。母はあなたのことを愛しています」
そして静かに、しかし確かな声で紡ぎ、天へと杖を掲げた。
「光の女神アルテミナの御名において聖獣に命ずる。
時の巫女の偽りなき祈りの証として時の魔力を女神へ還し、
我が生命を代償に捧げ―― 厄災を……光の結界の時へと還さん……」
その声は、祈りではなく、命を賭した最後の誓いだった。
――シルフィアが顔をゆがめる。
それまでの冷静さを完全に失い、叫びを吐き出した。
「……だめ……ッ!私たちの“計画”が……やめなさいッ!エレオノーラァ!!」
その叫びは、二千年に及ぶ祈願そのものを引き裂かれた絶望の声だった。
リリーナが震える声で叫んだ。
「お母さま――――!!」
リリーナを抱きしめるレイン先生に苦渋の表情が浮かぶ。
「時間反転魔法」
エレオノーラ皇女の声が響き、戦場のすべての音をかき消した。
従者も、アスピア魔導兵たちも、祖国の皇女が散っていく姿を、涙を流しながら見つめていた。
エレオノーラ皇女と聖獣の身体が光に包まれ、輪郭がゆっくりと薄れていく。
白い聖衣が風に揺れ、光の粒が指先からこぼれ落ちる。
その光は天へと昇りながら、まるで――女神のもとへ帰っていく魂のようだった。
誰も声を出せなかった。
ただ、光だけが空へと舞い上がっていった。
―――――
次の瞬間、光が爆ぜた。
世界が白く染まり、空間がねじれ、音が消え、ガイアビナスの時が逆流を始める。
風が逆巻き、砕けた瓦礫が空へ戻り、血の跡が地面から吸い込まれるように消えていく。
魔獣は魔素の粒子に戻り、天上の古代兵器とガイアビナスの青い脈動が収束する。
――静寂
そして――そこには、まるで何もなかったかのように、大結界が静かに光を放って存在していた。
――ただひとつだけ違うものがあった。
エレオノーラ皇女の姿がどこにもなかった。
まるで、最初からこの世界に存在しなかったかのように。
リリーナは、ミミーを抱きしめ、レイン先生の胸の中で泣いていた。
ミミーは小さく鳴き、その白い毛並みが、風に揺れている。
「……お母さま……」
返事はない。
光の粒が、彼女の頬に触れて消える。
リリーナの肩が震えた。
「お母さま…………いやだよ……」
小さな手が、空をつかむように伸びる。
そこにあるはずの温もりは、もうどこにもなかった。
光の粒が、彼女の髪に、肩に、手のひらに落ちていく。
それはまるで、母が最後に触れてくれているかのようだった。
レイン先生は、ただ静かにリリーナを抱きしめた。
――――
――――




