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無色の勇者と七色の約束  作者: 白猫サクラ
第17章 古代の記憶が宿る皇都
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第106話 大賢者の愛を未来に

 僕が未来へ帰る前日、アスピア宮殿。


 ミレーヌ皇女が、ゆっくりと立ち上がった。


 「準備が整いました。ルナ――時の巫女が、未来へ戻る旅路へご案内いたします」


 その声には、かすかな寂しさが滲んでいた。


 ルナさんが一歩前に出て、深く頭を下げる。


 「ロキ様。禁則の地で助けていただき……本当にありがとうございました。

  未来でのご武運をお祈りいたします。」


 ツキヨミが、静かに僕を見つめていた。


 ミレーヌ皇女が続ける。


 「明日は、アスピア神殿の奥――“時の回廊”へお越しください。」


 ルナさんが静かに言葉を添える。


 「……時の回廊は、古来より時の流れが交わる場所。女神の使いと呼ばれる聖獣と巫女の心がひとつとなった時、過去と未来への道が開かれます」


 神殿で見た光の女神アルテミナ像、揺らめく聖火、そして古代の壁画。


 壁画に刻まれていた、女神の背を守るように厄災に立ち向かう"古代の戦士"たちの姿を思いだす。


 その壁画は、ただの歴史の記録ではなかった。

 まるで、時を越えて“何かを伝えようとしている”ように見えた。

 

 ――僕を過去へ送り出した剣聖の末裔であるレイン先生、そして、時の巫女リリーナ。


 二人の顔が、脳裏に浮かぶ。

 すべては、この場所へ繋がっていた。


 明日、僕はいよいよ元の時代に帰る。


 ――――――


 その日の夕暮れ。


 僕とリファーナさんは、皇都の公園をゆっくり歩いていた。


 噴水の水音が静かに夜気へ溶け、遠くでは子どもたちの笑い声がまだ残っていた。

 その音が、どこか懐かしく感じられた。


 歩き出したとき、リファーナさんがそっと僕の手を取った。

 驚くほど自然に、指が絡んだ。


 その温かさが、胸の奥に静かに広がっていく。


 「……こうしてね」


 リファーナさんは、少し照れたように笑った。


 「ローディンと一緒にこの公園を歩いたわ」


 噴水の光が、彼女の横顔を淡く照らす。


 「短い時間だったけど……あなたといると、ローディンと過ごした日々を思い出した」


 その声は、懐かしさと、寂しさと、ほんの少しの幸福が混ざっていた。

 

 噴水の水音が、二人の足音に寄り添うように響いていた。

 リファーナさんは、そっと僕の手を握り直した。


 その指先は、ほんの少し震えていた。


 「ローディンが守ってくれた世界を……今度は、あなたが守って」


 小さく息を吸い、彼女は続けた。


 「……お願い」


 その声は、強くも弱くもなかった。

 ただ、まっすぐで、揺れていて、胸の奥に静かに落ちてくるような響きだった。


 だけど、僕は言葉を返せなかった。


 戦うのが怖いわけじゃない……

 返事を返した瞬間、この時間が終わってしまう……


 この手が離れてしまうと思うと、返事を返せなかった。

 ずっと……つないでいたかった。


 噴水の光が揺れ、夜風が二人の間をそっと通り抜けていく。


 ――――


 翌日、別れの日。


 アスピア神殿の祭壇には、朝の光が静かに差し込んでいた。


 光の女神アルテミナの像は、その光を受けて、ただ静かに佇んでいる。


 言葉も動きもないのに、そこに立つだけで空気が澄むような存在感だった。


 時の巫女ルナさんは、聖獣ツキヨミの横で静かに両手を胸の前に重ね、まるで祈りの余韻をそのまま身に宿したように立っていた。


 白い聖獣は、揺らぎひとつ見せず、ただ前方を見据えている。


 床一面に刻まれた巨大な転移陣は、まだ沈黙しているにもかかわらず、空気そのものを張りつめさせるような圧を放っていた。


 ルナさんが静かに言葉を落とす。


 「……ツキヨミが空間を開きます。その空間に入れば、元の時代へと戻ります」


 その瞬間、ツキヨミの白い毛並みが、風もないのにわずかに揺れた。

 ツキヨミの周囲の空間がきしむような“歪み”が強まっていく。


 まるで、目に見えない膜がゆっくりと押し広げられていくような、そんな圧力が祭壇全体を包み始めていた。


 リファーナさんが、わずかに声を落とした。


 「この時間転移の魔法が発動したあと……あなたは元の時代に戻るわ。

  でも、そこは、激戦のさなかよ」


 彼女の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。


 「いい?ワルキューレの弱点は、花が開いた後に露わになる“付け根”。そこに魔工核があるわ」


 淡々と説明しているようで、声の端がかすかに震えていた。


 「傘がひらくと攻撃は激しくなるけれど……同時に弱点も露わになる。

  ローディンは、それを断ち切ってワルキューレを沈めていた……」


 言いかけて、リファーナさんは小さく息を吸った。


 「エグザリア・ジークの怨念は……あなたが断ち切って」


 その言葉は、祈りにも似ていた。

 リファーナさんは、静かに首を振り言葉を続ける。


 表情が険しくなる。


 「けれど、アスピアの禁則の地で見た、あの“影”。

  あれにはとても嫌な予感がするの……。

  あの魔力は、とても古く、深い感じがした……」


  リファーナさんのまつげが、わずかに震えた。


 「ジーク以外にも……敵がいるかもしれない。くれぐれも油断しないで。」


 リファーナさんは一度だけ息を整え、続けた。


 「世界の各地には、今も古代文明の遺跡が残されている。

  そこに、ガイアビナスを倒すための手がかりが必ず眠っているはずよ……。

  まだ見つかっていない遺物も、解き明かせていない謎も、きっとあるはずだから

  ――もし、あなたが道に迷ったときは、私の足跡を追って」

 

 理解が追い付かず、思わず首をかしげた僕の首元へ、リファーナさんはそっと手を伸ばした。


 「これを……いざという時のために」


 細い鎖のついた小さな薬瓶を、優しく、そっと僕の首へつけてくれた。


 「これは……?」


 リファーナさんは薬瓶をそっと指先で包み込み、胸元に触れたまま静かに告げた。


 「"女神の霊薬(エリクサー)"よ……最後のひとつ。お守りに……」


 高度な封印術式が施された小さな薬瓶の中の光が、リファーナさんの想いそのもののように淡く揺れた。


 胸の奥が震える、涙が滲む。


 リファーナさんは、そっと僕の肩を抱き寄せた。

 その温もりは、言葉よりも深く心に染みた。


 「ローディンが残してくれた宝物を……幼馴染を救ってあげて。」


 リファーナさんの瞳から涙が落ちる。


 僕は涙をこらえる


 「……リファーナさん……僕……絶対にアミリアを助けます。

  リファーナさんが作ってくれた世界……僕が絶対に守ります。」


 リファーナさんは静かに微笑んだ。


 「ええ。あなたならできる。――あなたは努力家で……"勇気"があるから」

 

 そして、リファーナさんは僕を、最後にもう一度抱きしめてくれた。


 その抱擁には、魔法世界に傷つけられた僕の心を癒す深い愛が宿っていた。


 ルナさんは両手を広げ、静かに詠唱し、ツキヨミが白い光を発する。

 空間が、ゆっくり歪む。


 「光の使徒に――虹の勇者に女神の祝福があらんことを……」


 ルナさんの声は、祈りとも呪文ともつかない静けさを帯びていた。


 ――――


 ――――


 「――時間転移魔法(クロノス・ワーク)」


 魔法陣が一斉に輝き、床下から震えるような低い音が広がる。

 

 ―――光が爆ぜた


 世界が、ひっくり返るように揺れた。


 世界が裏返るような轟音。

 僕の身体は、時の奔流に呑み込まれていく。


 (あの時と……同じだ……)


 視界が白く染まり、音も、重力も、境界も消えていく。

 リファーナさんの優しい笑顔が脳裏に焼き付いている。


 僕の世界の皆は知っているのだろうか……。

 大賢者ラズウェルは……女性だった。


 教科書に載っていた“偉大な魔導士”。


 学院の先生だって知らないよね。


 魔法文明の礎を築き、魔法を使えない僕を“落ちこぼれ”とした世界の始祖。


 僕は……心の奥でずっと嫌いだった。

 僕を否定した世界。僕を出来損ないと切り捨てた文明。


 その中心にいたのが、大賢者ラズウェルだと思っていた。


 でも――


 大賢者リファーナ・ラズウェルは、古代兵器ガイアビナスと、文明の暴走と、ずっと戦っていた。

 リファーナさんは誰よりも賢くて、誰よりも優しい女性だった。


 アミリア……君は、勇者ローディンと大賢者リファーナ・ラズウェルの宝物だった。


 君のご先祖である大賢者様は、魔法が使えない僕を……落ちこぼれと呼ばれた僕を“勇気”があるって、褒めてくれたよ。


 光がさらに強くなり、意識が遠のいていく。


 視界が白に覆われ、身体が時の奔流に溶けていく。

 脳裏に浮かぶのは、あの優しい声、賢く、すべてを見通すような澄んだ青色の瞳。


 (リファーナさん……)


 光が消え、魔法陣の残滓がゆっくりと空気に溶けていった。


 ――――――


 ――――――


 そこには、もうロキの気配はない。


 ただ、静寂だけが残った。

 リファーナはそっと手を伸ばし、ロキが立っていた空間をなぞるように触れた。


 「……ロキ」


 その名を呼ぶ声は、誰にも届かないほど小さかった。


 「短い時間だったけれど……あなたが来てくれて、本当によかった」


 言葉の途中で、リファーナの瞳から涙が落ちた。


 その涙を慰めるように、聖獣ツキヨミが静かに寄り添う。

 まるで、彼女の悲しみをそっと受け止めるように。


 「私が作った世界が、あなたのような優しい子を傷つけてしまった」


 魔法文明が生んだ歪み。

 その影で、ロキはずっと傷ついてきた。


 「差別を生んだ元凶は……私。

  今回の大戦で、戦士の多くが命を落とし剣の血は確実に衰える。

  ローディンを……私を守ってくれた剣(つるぎ)がいなくなった不安に囚われ、あなたを傷つける因子を、私は見過ごしてしまった」


 リファーナは唇を震わせ、それでも逃げずに言葉を続けた。


 「……本当にごめんなさい」


 リファーナは涙をぬぐい、ロキが消えた空間を見つめる。


 「でも、今のあなたの力は、あなたの勇気は……幼馴染を思う心。

  そして不遇な運命に立ち向かった証。

  甘えた環境に歴史を変えてしまえば……今のあなたの未来は消えてしまう」


 リファーナは唇を噛みしめた。


 「……あなたを“時の因果”の歯車から外すことはできない。

  だからせめて、あなたが勇者として成長するまで、私の力の片鱗が、邪悪な者から必ずあなたを守る」


 リファーナの手の中で、ロキが送ってくれた"白木のしおり”が、やわらかく揺れた。

 

 リファーナは涙を拭い、まっすぐ前を見据える。


「今はまだ存在しない歴史。

 二千年後に産まれてくる、あなたと、ローディンが残してくれた宝物を守るために、私は生涯をかける」


 小さく息を吸い、震える声で続けた。


 「さよなら、未来の“虹の勇者”……ロキ。

  私とローディンの"宝物"を愛してくれて……ありがとう……」


 透き通るような瞳が、まだ形を持たない未来の輪郭を、静かに見つめていた。


 ――――


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