第103話 アスピア戦士団
僕たちがアスピア神殿を後にすると、慌ただしい足音が街の中で響いていた。
さっきまでの静けさが嘘のように、数名の兵が宮殿へと走っていく。
リファーナさんが小さく眉を寄せる。
「……何かあったのかしら」
僕とリファーナさんは、急ぎ宮殿へ向かった。
――宮殿の広間に入ると、すでに数名の将校や士官が集まり、緊迫した空気が漂っていた。
その中央で、ミレーヌ皇女が報告を受けていた。
僕たちに気づくと、静かに視線を向ける。
「ロキ様、リファーナ様……」
皇女は報告書を閉じ、静かに言葉を継いだ。
「アスピア北方山脈の禁則地に、不穏分子が立ち入ったとの報告がありました。禁則地は古代遺物の眠る地……調査隊を向かわせるところでした」
ミレーヌ皇女はわずかに目を伏せる。
「国を預かる者として……このような事態をお見せしてしまい、恥ずかしく思います」
その言葉に、広間の奥で控えていたアスピア戦士団が一歩前に出た。
隊長と思われる男性が、静かに膝をつく。
「皇女殿下。禁則地の調査は、我々アスピア戦士団にお任せください」
その声音には、揺るぎない誇りがあった。
広間の反対側で控えていた魔導兵団の一人が、わずかに眉をひそめる。
言葉にはしない。
ただ、“なぜ戦士団が先なのか” という空気が、広間の温度を変えた。
戦士団の数名も、それに気づいたように視線を返す。
互いに一言も発しないのに、魔法と剣の立場の違いが、静かにぶつかり合う。
皇女はその空気を感じ取ったのか、少し疲れた様子で息を整えた。
「……オーウェン隊長の戦士団に任せます」
「は!」
魔導兵団の士官は黙って頭を下げたが、その沈黙には、“納得ではなく、従うだけ” の色があった。
オーウェン隊長は立ち上がり、出陣のために踵を返す。
――その途中、ふと僕の剣へと視線を落とし、静かに目が合った。
その一瞬、胸の奥がざわついた。
静かだが、僕に思うところがあるような目。
まるで、自分たちの領域に踏み込んできた者を、静かに測るような目だった。
「リファーナさん……あの隊長さん、僕のことが嫌いなように感じました……」
リファーナさんは小さく首を振る。
「ええ……。アスピア戦士団とは、色々あって……」
そこまで言うと、リファーナさんはそれ以上語らなかった。
その沈黙が、かえって重く感じられた。
――――――
僕たちは謁見の間を後にし、静かな宮殿の庭園へと歩みを進めた。
白い石畳の道を抜けると、中央に大きな噴水が見えてくる。
リファーナさんは、その噴水の縁にそっと腰を下ろした。
「ごめんね、ロキ……少し……疲れてしまって……休ませてくれるかしら」
「はい、大丈夫ですか?」
(……リファーナさんも疲れるんだな)
「ええ。ありがとう」
庭園には、小鳥のさえずり、噴水の水音、遠くで衛兵たちが交わす声が穏やかに響いていた。
リファーナさんは小さく息をついて、過去を見つめるように語り始めた。
――――――
オーウェン隊長は、大昔からアスピア皇国に仕える“戦士の一族”とのこと。
一説には、カイエン国の剣士と同じ系譜だと伝えられているようだ。
魔法文明の時代、戦士たちは不遇の立場に置かれ、誇りだけを支えに耐え続けてきた。
かつて、ミレーヌ皇女の外交護衛としてオーウェン隊長率いる戦士団が同行していたことがあったという。
その際、長期遠征で消耗しきっていた彼らに、運悪く危険度S等級の魔獣、レオ・バジリウス(獅翼蛇獣)に遭遇してしまったようだ。
アスピア皇国に向かって旅をしていたローディンさんとリファーナさんが、偶然その場に遭遇し、結果としてローディンさんが魔獣を斬り伏せたようである。
しかし、それは戦士団が弱かったからではない。
アスピア戦士団は、遠征中、皇女を守るために、何度もジーク聖兵との戦闘を重ね、すでに限界だったようだ。
アスピア皇国の戦士団の高名は、遠く離れたカーネスト帝国にも届いていた。
ローディンさん自身も、オーウェン隊長の剣技には深い敬意を抱いていたという。
しかし、皇女を危険に晒したことで、アスピア戦士団は面目を失った。
ミレーヌ皇女は彼らの働きを認めたが、国民からも魔導兵団からも嘲笑され、誇りを深く傷つけられてしまったようだ。
――その後、“ラグナ戦役”と呼ばれる大規模な衝突が起きた。
アスピア西方、ラグナ平原で、ラーカンクス王国が突如侵攻。
主力の魔導兵団は別戦線に出払っており、皇都に残されたのは予備兵や少年兵ばかりだった。
絶望的な状況を迎え撃ったのは、皇都防衛の任に就いていた、わずか三十名の戦士団。
アスピア聖剣の光る剣技で魔族を斬り伏せ、侵攻軍の突破を許さなかった。
その最前列に立ち続けたのがオーウェン隊長だった。
ラーカンクス国は業を煮やし、暗殺者を宮殿へ送り込んだ。
だが、接近にいち早く気づいたオーウェン隊長は、命をかけて皇女を守り抜き、刺客を討ち取った。
その献身に、皇女は勲章を授けた。
それは戦士団の誇りを今につなぐ唯一の証となったようだ。
しかし、戦いのあと、戦士団には噂が流れた。
暗殺者を宮殿に紛れ込ませたのは、オーウェン隊長の失態だった――と。
ラーカンクス国が送り込んだ暗殺者は、カーネスト軍の“影の隊”でさえ遭遇したら最後と恐れる存在。
怠慢で片づけられる相手ではない。
それなのに、噂はまるで真実のように広まり、戦士団の働きまで“魔導兵団の功績”として語られるようになった。
ミレーヌ皇女は否定した。
「戦士団は私を守ってくれた」と。
それでも噂は止まらず、勲章でさえ“疑惑の勲章”と囁かれ続けてしまったようだ。――――
リファーナさんの言葉は淡々としているのに、どこか痛みを含んでいた。
その痛みは、静かに胸の奥へ沈んでいく。
戦士団が背負ってきた重さが、ゆっくりと形を持って伝わってくるようだった。
――リファーナさんの話を聞いて、オーウェン隊長の視線が再び胸に刺さった。
ずっと馬鹿にされてきた……悔しい気持ち、オーウェンさんの気持ち……痛いほどよくわかる……
――――――
その瞬間。噴水の水面が揺らいだ。風も止み、鳥の声も消える。
「……え?」
僕が顔を上げた瞬間、地面が ドンと一度だけ揺れた。
広場の人々がざわつく。
「地震……?」
「いや、違う……何だ今の……」
リファーナさんが立ち上がる。その表情が強張っていた。
「……魔力が揺らいでる……」
――次の瞬間
北側の山脈の方角で、青い雷光が天へと突き上がった。




