第一章5「自己紹介と勘違い」
「ところで、お嬢様は名前すら教えなかった訳ですが……宜しかったんですか?」
「名前……確かに、自己紹介すらまともに出来なかった……はあぁぁぁぁぁぁ……」
大きいため息を吐きながらながら布団に潜り込みルウシェは、先程クラインに握られていた手を見て、胸が騒つく。推しの体温、推しの手のひらの質感、そして去り際に浮かべた、あの破壊力抜群の不器用な微笑み。
(国宝……。いや、世界遺産? ううん、神が生み出した最高傑作がそこにいた! 話は出来なかったけど最高の思い出が出来た!!)
布団の中で悶絶するルウシェの横で、ピィちゃんはパタパタと羽を動かしながら、壊れた扉の向こうを見つめていた。
(まあ、お嬢様のコミュ障を治す良いリハビリだと思って私は見守る事にします。あの様子だと、明日にでも来そうですし……)
翌日の放課後。
壊れた「開かずの時計塔」の扉の隙間から、コト、と小さな音が響いた。
「っひゃい!?」
ビクッと肩を跳ね上げたルウシェが布団から顔を覗かせると、そこには綺麗な装飾が施された紙袋と一通の手紙が置かれていた。
ピィちゃんが器用にそれを浮かせ、ルウシェの元へと運んでくる。
「お嬢様、お届け物の様です。差出人は……恐らく、クライン様かと」
「う、嘘……本当に来た……」
恐る恐る紙袋の中を覗き込むと、美味しそうな焼き菓子が綺麗に詰められていた。
次は手紙を取り、ゆっくりと開く。そこにはクラインの、整った綺麗な文字が並んでいた。
『時計塔の魔女殿へ。
昨日は突然押し掛け扉を壊してしまい、本当に申し訳なかった。修理の件は学校側に手配してある。
これは、昨日のお詫びとこれまでの感謝の一部だ。
それから、俺は君をもっと知りたいと思っている。
もし迷惑でなければ、明日もまた、お菓子を受け取って欲しい。
クライン・ミストレイク』
「………………」
ルウシェの顔が、林檎のように真っ赤に染まった。あまりの嬉しさに、胸を押さえて布団の上をゴロゴロとのたうち回る。
「む、無理無理無理! 『もっと知りたい』って何!? これって、乙女ゲームの親愛度イベント発生時のセリフじゃん! 生で浴びていいセリフじゃないってば!! 私がこんなセリフを貰って良いんですか!?」
「はあ……過呼吸で倒れる前に、まずはその美味しいお菓子を食べて一旦、落ち着きましょう。……ん?」
ルウシェの喜びを横目に、ピィちゃんが紙袋の底にもう一つの包みがあることに気づいた。
「お嬢様、どうやら別の方からもお菓子も入ってる様です。こちらにも手紙が入ってますね」
『クライン様を助けてくれたお礼です。良ければどうぞ。――レイン・サージェス』
「えっ、レイン……?」
ルウシェは首を傾げた。レイン・サージェスといえば、クラインの付き人であり、彼と同じく特級騎士クラスの攻略キャラクター。
手先が器用で、いつもクラインを一歩引いたところから支えている穏やかな人物。
(クライン様から話を聞いたのかな? なんていい人なんだろう……!)
ゲームの知識があるルウシェは、「さすがレイン様、気配り上手!」と純粋に感動していた。
――それが、レイン自身の「ルウシェに近づきたい」という、ほんの少しの独占欲とクラインへの嫉妬から生まれた行動だとは、純粋無垢なオタクである彼女は知る由もなかった。
さらに翌日。
約束通り、放課後の時計塔に「コツン、コツン」と足音が響いてくる。
「し、心臓が、口から飛び出そう……」
「昨日の夜に『せめて名前くらいは伝える』と仰っていたのを忘れたんですか?」
部屋の隅で、布団の隙間から外を伺うルウシェ。
彼女は昨日、手紙とお菓子を貰った際、改めて思ったのだ。「自己紹介をしよう」と。
「うぅ……や、やっぱり、今度に……!」
「しません」
「そ、そんなぁ……」
そんなやり取りをしていると、まだ修理中の扉の前で音が止む。数回ノックした後、クラインが部屋に入って来る。
今日は制服ではなく、白を基調とした騎士団の軽装でやって来た。
「失礼する。……魔女殿は、いるだろうか」
「あ、うあ……」
「大丈夫……か?」
声を出そうとするが、喉が張り付いて音にならない。ルウシェは助けを求めるようにピィちゃんを見た。
ピィちゃんは仕方ないとため息を吐きながら、クラインの前に出る。
「いらっしゃいませ、クライン様。一応、大丈夫ですので、お気になさらず」
「そうか、無事でよかった」
クラインはほっとしたように表情を緩めると、ピィちゃんはルウシェの元に近付き「お嬢様」と声を掛ける。
どうかしたのかと首を少し傾げるクラインを前に、ルウシェは布団から顔を出す。
(ゆ、勇気を出せ私! 名前を言うだけ、自分の名前『ルウシェ・ホワイト』って言うだけなんだから!)
「……あ、わ、わた……る、ルウ……シェ、です」
「……ルウ?」
震える声で名前を名乗るが、思う様に口が回らず伝わらない。それを見て『ルウシェ・ホワイト』とピィちゃんが補足。クラインはやっと名前を知れたと微笑んだ。
「お嬢様は、クライン様の一つ下の学年です」
「そうか。やっと君の事を名前で呼べる、教えてくれて嬉しい」
「……い、いえ……」
小さく返事をするルウシェにクラインは「そうだった」と手に持っていた小さな箱をそっと床に置いた。
「今日は……レイン、俺の付き人から『女の子は甘い物が好き』と教わってな、タルトを持ってきた」
クラインはタルトを机に置くと、真っ直ぐに彼女の桃色の瞳を見つめた。
「ルウシェ。俺は、君のその魔法に何度も救われた。俺には分からないが、君が使った魔法は相当の物だ」
この部屋を見れば分かる、そう言いルウシェに軽く頭を下げる。それを見てルウシェは慌てるが、彼は気にせず話を続けた。
「君がここにいるのは君の力が関係しているんじゃないかと。だから、人との関わりが苦手なんじゃないか」
(ち、違うんです! 孤独じゃなくて、ただ引きこもって推し活してただけなんです……!)
思いもよらぬ方向にクラインの思考が行き、焦るルウシェ。自分の口からは説明しずらくピィちゃんに訂正を求めたがプイッと顔を逸らされてしまった。
(これは、お嬢様を外に出せる良い機会です。勘違いしてて貰いましょう)
(そんなぁ……ピィちゃんの意地悪、鬼、悪魔!)
伝達魔法で文句を言うルウシェなど知らずに話はどんどん進んでいく。
「今度は、俺が君を支えたい。この時計塔の外でも君と会いたいし、話をしたい」
「ひゃうっ……!」
ルウシェの前にやって来てそう伝えるクライン。あまりにも真っ直ぐで、あまりにも情熱的な言葉に、ルウシェの脳内は完全にノックアウト。
「もう、無理!! リアル恋愛イベントが……ッ、神すぎて、死んじゃううううう!!」
ルウシェはついに耐えきれず、顔を手で隠しながら叫んだ。




