第三章1「遠征前の夜」
数日後。
「失礼する、ルウシェ。明日からの遠征授業の前に……その、どうしても君の顔が見たくてな。急に来てすまない」
時計塔にやって来たのは、誰よりも真面目で不器用なクラインだった。
「ク、クライン様!?
えっ……あ、あい……」
対面した私の言語機能は完全にシャットダウンした。推しが至近距離で「会いに」来てくれたのだ。現実の恋愛免疫ゼロの私にとって、即死魔法を唱えられているようなものだ。
酸欠の金魚のように口をパクパクさせる私を見て、クラインは少し困ったように眉を下げた。すると、背後から彼の付き人であるレインが微笑みを浮かべて小さく咳払いをした。
「ゴホン。……クライン様、ルウシェ様との距離が少し近いです。驚いて固まっておられます」
「そんなつもりはないのだが……すまない」
(違うんです! 尊すぎて魂がログアウトしかけてるだけなのクライン様ーーー!!)
脳内で大爆発を起こし、焦るルウシェの前に、精霊のピィちゃんがフワリと飛んで来た。
「クライン様、お気遣いありがとうございます。お嬢様は今、あなたの顔面の美しさと不意打ちの訪問により、尊さの過剰摂取で心臓が停止しかけていただけなので気にしないで下さいね」
「ピ、ピィちゃん、なんてことを……っ!」
オタクモードになっていたルウシェの脳内を当てられ頬を膨らますが、クラインはピィちゃんの言葉を気にする風でもなく、ふっと胸ポケットに手をやった。
「そうだ、ルウシェ。……これを、明日からの遠征のお守りとして持っていっても良いだろうか」
首を傾げたルウシェに、クラインが少し耳を赤く染めて差し出してきたのは、一つの淡く輝くピンク色の魔石だった。それは以前、「隠密強化魔法」をクラインに掛ける際に誤って転送してしまった魔石。
(お、お守りぃぃぃぃぃ!?
私の落とし物を胸ポケットに入れて戦場に行くの!?
なんて純愛乙女ゲームなんだ!!
実質エンゲージリングじゃないですかヤダーーー!!)
嬉しさで限界を突破し、コクコクと激しく頭を縦に振ることしかできなかった。
「……ありがとう。君が許してくれたなら、百人力だ。どんな敵が来ようと、必ず無事で戻る」
クラインは愛おしそうに魔石を握りしめ、胸ポケットにそっと収めた。その様子を、レインが何かを言いかけるように見つめていたが、すぐにいつもの穏やかな笑みに戻り、「クライン様、そろそろ……」と彼を促す。
「おやすみ」とクラインはルウシェに言い、バタン、と重い扉が閉まる。
二人の足音が遠ざかったのを確認すると、ルウシェは布団にダイブし枕に顔を埋めて叫んだ。
「死んだ! 今度こそ死んだわ私! クライン様、一生推す……護ります!」
「……お嬢様は本当に彼の事が好きなのですね。明日の遠征は見守るんですよね?」
ピィちゃんの呆れ声に、ルウシェは顔を上げ頷く。
「……うん。ただ引きこもってるなんて勿体無いでしょ! 明日は朝から『水鏡』で、全力サポートする!」
こうして、彼女は推し活の準備を始める。
この遠征に不穏な影が忍び寄っていることを、知る由もないまま。




