アフタヌーンティーアフター
萌香は膝に拳を乗せてじっとしていた。手のひらの内側に、汗が滲んでいた。
広大なリビング、重厚なカーペット、黒革のソファ、高そうな絵、大きな花瓶。美術品のような調度品の数々が、萌香を取り囲んでいた。
「アフタヌーンティーご一緒しませんか?」と沙耶絵に誘われたのは今日の今日だ。
沙耶絵の家は、今まで吸ったことのない種類の空気で満ちていた。荘厳で、肺腑に重い。
萌香は生まれついての庶民である。息が、少しずつ苦しくなる。
秒針の音が1秒1秒よく聞こえた。沙耶絵には少し待っててと言われている。少しとはいつまでだろうか。萌香の緊張が徐々に高まっていく。
アフタヌーンティー。一度だけ、友人と体験したことがある。ホテル1階の喫茶店だった。
作法があるはずだ。記憶から必死に引っ張り出す。萌香の脳内にケーキスタンドが浮かぶ。
3段に分かれたケーキスタンドは、下段にサンドウィッチ、中段にスコーン、上段にケーキが配置されていた。それを、下から順に食べていく。マナーはそれくらいしか思い出せなかった。紅茶の飲み方やケーキの食べ方にも何かあった気はするが、そのときは何一つ気にせずに食べ飲みしていた。
正式なアフタヌーンティーの知識がまさかここで試されるとは。萌香は自身の不勉強を悔やむが、今更どうにもならないこともわかっていた。それよりも、今の静寂が辛かった。
「沙耶絵さん、早く来て……」
萌香は思わず口に出していた。
Awazon超お急ぎ便の箱が出現する。
◇◆◇◆◇
沙耶絵はキッチンで固まっていた。
勢いで「アフタヌーンティーご一緒しませんか?」と誘ったは良いが、アフタヌーンティーが何かを知らなかった。なんとなく上流階級っぽいワードだから言ってみただけだ。
沙耶絵は生まれついての庶民である。旅先で出会った夫が、たまたま上流階級だっただけだ。
夫も義父母も「自然体で良いよ」とは言ってくれたが、家の一員にしてもらえた以上、そうはいかなかった。懸命に勉強して、身なりや立ち振る舞いだけでも釣り合うようにした。
Awazon超お急ぎ便で送られてきたのは、3段のケーキスタンドだ。見覚えはあるが、使い方はわからない。
スマートフォンで「アフタヌーンティーのやり方」で検索する。
『アフタヌーンティーはまず下段のフードを——』
「あっ」
思わず声を出してしまった。スマートフォンの電源が切れた。まだ1行目しか読んでいなかった。充電しようかとも考えたが、これ以上萌香を待たせるわけにもいかない。
しかし、ヒントは既に得ていた。『下段にフード』と来れば、その次は中段にフード以外の物が来るはずだ。おそらく下段→中段→上段に行くにつれ、軽くなっていくのだろう。そして『アフタヌーンティー』の名称が示す通り、時間帯は午後。つまり昼食のあと。そうなれば、そこまで重たい物は食べないはずだ。そして『ティー』の部分。つまり『茶』を使えば良いのだ。そうなると選択肢は広くない。Awazon超お急ぎ便の箱が出現する。沙耶絵は口の端を緩める。思った通りの物が入っていた。
◇◆◇◆◇
「お待たせしてごめんなさいね」
「あ、いえ、全然待ってないですよ」
萌香はつとめてにこやかな顔をした。手のひらは汗でぐっしょりとしていた。リビングに通されてから30分ほど経っていた。
沙耶絵がキッチンからワゴンを押してくる。その上には、3段のケーキスタンドが乗っていた。
「それじゃ、少し遅くなったけど始めましょ」
萌香は面食らう。
「えっ?」と言葉を出しそうになったのをなんとか飲み込む。
3段のケーキスタンドに乗っていたのは、サンドイッチでもスコーンでもケーキでもなかった。
上段にすりおろした生姜や細かく刻んだ葱。
中段に茄子や蕪や人参の漬物。
そして、下段にあったのは茶漬けである。
(……え!? これがアフタヌーンティー!?)
萌香の頭の中がぐるぐると回る。
客人に茶漬けを出すことが「早く帰れ」の意になる地方がある。まさか、何か粗相をしたのだろうか。萌香はチラリと沙耶絵の顔を見る。特に変わった様子は見えない。
沙耶絵は喜色満面で、茶漬けの入っている椀を萌香の前に置く。
「これ夫が昔作ってくれたレシピなの。本当に美味しいから食べてみて」
眩しすぎる笑顔に萌香は思わず目を細める。悪意があるようには見えなかった。
茶漬けの上には茗荷と胡瓜と梅が刻んだ物が乗せられていた。
お茶漬けに食事の作法なんてあるのだろうか。萌香は考える。
椀を左手で持ち上げる。箸を持つ。椀を口に近づける。沙耶絵を横目でチラチラと見ながらした。どう食べたら良いのだろうか。いや、箸を出された時点で食べ方の選択肢は無いはずだ。萌香は意を決して、さらさらと口にかき込む。
「……おいしい!」
「でしょでしょ!」
「ミョウガと梅肉が清涼感あっていくらでも食べられます! キュウリの食感もいい感じです!」
「うふふ、どんどん食べてね」
無邪気な笑顔だった。萌香はそこに上流階級の女性の内側を見た気がした。
椀はあっという間に空になった。
昼食を食べたばかりであったが、するすると腹に収まった。
「この漬物も美味しいです」
「うれし~、うちで漬けたぬか漬けなの~」
「へえ、沙耶絵さんも糠床なんて触るんですね。意外です」
沙耶絵の手が止まる。ひょっとして上流階級は糠漬けを作らないのだろうか。
「なんか上品な味がします!」
「え、あ、あらそう? 普通のぬか漬けと大した変わらないと、お、思うわよ」
ふたりは、談笑しながら冷やし茶漬けを食べ進めた。薬味で味を変え、食べ飽きすることなく椀を空にした。
「いやあ美味しかったです。思ってたアフタヌーンティーと違いましたけど、すっごい良かったです」
沙耶絵はどきりとする。これがアフタヌーンティーではなかったのだろうか。
「私だけごちそうになるのもアレなんで、これ食べませんか?」
萌香がAwazon超お急ぎ便の箱から出したのは、十勝の菓子メーカー流月の「しらかばうむ」である。バームクーヘンを、丸太を六つ割りにするようにカットし、表面にチョコを塗った洋菓子である。白樺の薪を模した形をしているからこの名前がつけられた。
「わあ、しらかばうむ! 私これ大好きなの!」
「ふふふ、塩バター味もありますよ」
「じゃあお茶を入れてくるからちょっと待っててね」
沙耶絵は小走りでキッチンに向かった。
本当のアフタヌーンティーはここから始まるが、2人がそれに気がつくのはもう少し先である。




