アルキメデスイッチ
村西はそれを手に取ると、顔をにんまりと緩めた。
金属性の容器ながら、ぱんぱんに膨らんでいた。そのフォルムは、熟成が進んでいることの何よりの証左だ。
村西はこれが好きで好きでたまらないのだが、周囲から理解されたことはない。
海外でしか製造しておらず、今までは注文してから届くまで2週間はかかっていたが、Awazon超お急ぎ便を使えば一瞬である。
村西は左手のトートバッグにバゲットとマッシュポテトと蒸留酒を詰め込み、右手にそれを持って玄関を出る。トートバッグに一緒に入れないのは、万が一破裂したときに、取り返しのつかないことになるからだ。
秋口である。暑さも去り、心地の良い夜風が吹いていた。
満月が空に浮かんでいた。村西は上を見上げる。不意に、右手から重さが無くなる。振り返る。猫。それを咥えて走り去っていた。
村西は呆然とそれを見送った。
◆◇◆◇◆
キアヌ。彼は自身の名前をそう自認していた。同居していた人間のメスがそう呼んでいたからだ。好きなハイユウとやらが由来らしいが、真偽はわからない。もう確かめる相手がいないからだ。
キアヌは生きるために、人間のオスからそれを奪った。以前、人間が出してきたカンヅメとやらに良く似た形状であった。舌先に、あのまろやかな風味が思い出される。
キアヌはねぐらにしている廃ビルに着くと、屋上まで登る。カンヅメは自力では壊せない。だから、いつも高所から落として割っている。
静かな夜であった。キアヌは下に誰もいないことを確認すると、口から缶を離した。
◆◇◆◇◆
強い、衝撃があった。
久田の額を冷や汗が伝った。
操縦していたドローンが、突如としてコントロールを失ったのだ。
Awazon超お急ぎ便で届いたばかりのドローンだ。値段は決して安くない。
カメラからの映像が大きく乱れていた。原因はわからない。何かに衝突したとは思えなかった。カメラには何も映っていなかったからだ。
上から何かを落とされたのだろうか。久田の手のひらに汗が滲む。そんなことが出来る高さにはいなかったはずだ。
しかし、久田は知る由もなかった。ドローンの真上から缶詰を落とされて機体にめりこんでいたことを。
久田はコントローラーをひたすらに動かすが、一切の反応が無い。
ドローンは次第に高度を落とし、河川敷まで落ちていく。
カメラからの映像が途切れた。久田は両手を合わせて祈った。
◆◇◆◇◆
坂園はAwazon超お急ぎ便から届いたバッティンググローブを着用した。
さっきまで使っていたものは、手のひらが露出するほどボロボロになっていた。
坂園は再びバットを持つ。素振りは毎晩の日課だ。
闇雲に振らないようにしていた。一振り一振り、テーマを持って振っていた。
坂園は思い浮かべる。地区予選決勝、9回裏、ツーアウト3塁、1-1の同点、スリーボール、ツーストライク。この一振りで仕留める! 坂園は思い切りバットを振った。
ドローン。ちょうどそこに飛んできた。ストライクゾーンど真ん中に来た機体と缶詰は、バットに弾き飛ばされ、遥か彼方まで飛んで行った。
◆◇◆◇◆
半グレ集団「ギルティ・デビルズ」は川沿いにある廃屋に集合していた。
闇バイトを使って集めたデータを元に、襲撃先を値踏みしていた。
10人がそこにいた。彼らが見ているタブレットには、カモの住所氏名はもちろん、生活サイクルや所持資産額まで記載されている。
短いミーティングを経て襲撃先が決まった。目配せをして全員が立ち上がる。
ガラスが割れた。缶詰。部屋の中央に落ちてきた。
男が1人近づく。缶詰に触れようとした瞬間、破裂して中身が部屋中に飛び散った。その物質が顔に張り付き、男は嘔吐した。
異臭が、襲ってきた。卵と牛乳と雑巾と生ゴミをまとめて腐らせたような臭いが、ギルティ・デビルズの嗅覚を突き刺す。
シュールストレミング。缶詰にはそう書かれていた。ニシンを発酵させて作る、世界で一番臭い食品である。
ある者はその場で嘔吐し、ある者は気絶した。そして何人かは廃屋を出ようとしたが、ドアが開かなかった。外から、重たい箱で塞がれていた。Awazon超お急ぎ便。箱にはそう書いてあった。中身は業務用の空気清浄機だが、彼らがそれを知ることはなかった。開封する前に全員が気を失ったからだ。
静寂が訪れる。
廃屋の中は、飛び散ったシュールストレミングと吐瀉物で散乱していた。
遠くから、サイレンの音が聞こえてきた。次第に大きくなってくる。
特殊防護服に身を包んだ警察が、何者かの通報によって廃屋に向かっていた。




