シュレディンガーの箱
佑の心中を黒いものが覆った。替えのビニール手袋が、鞄の中に入っていなかったのだ。
佑は、生来の潔癖症である。自分以外の生物は全て穢れだ。外界の物に素手で触れるなど、考えられなかった。
だから、外出する際は、使い捨て手袋を必ず鞄に入れていた。そのはずが入っていなかった。代わりに、似た包装のウェットティッシュが入っていた。朝急いでいたとはいえ、確認を怠るべきではなかった。佑は歯噛みする。
現在装着している手袋は、手のひらがボロボロになっていた。転んでコンクリートの上に両手をついたからだ。佑は舌打ちをして、ゴミ箱に捨てた。
午前8:21。都会の喧騒の中心。佑の手は、外界に剥き出しになっていた。
全身が粟立つ。人混み、改札機、吊革、自動ドア。世界はあまりにも穢れに満ちている。息が、苦しくなってきた。早く遮断しなければ。Awazon超お急ぎ便が、足元に見えていた。
佑は、心から安堵する。きっと、中身は愛用の使い捨てニトリル手袋だ。しかし、佑の頭を、よからぬ疑問が支配する。
――この箱に手袋を詰めたのは誰だ?
Awazonは、生物以外なら森羅万象なんでも揃ってると言われるほど、豊富なラインナップがある。
その一つ一つ全てが、機械によって梱包されているのだろうか。絶対そうだとは言えないし、絶対そうでないとも言えない。全身が脂ぎっている中年男性が、素手で梱包している可能性もあるのだ。佑の背中に冷たいものが走った。
配送方法に関しても疑問が残る。周囲は誰一人として疑問を口に出さないが、そもそもこれはどうやって運ばれているのか。魔法なのかSFなのかご都合主義なのか。3日間風呂に入っていない妖精が、性器を触った手で素早く運んでるという可能性もある。佑は、胃の内容物が逆流するのを堪えた。
佑の手は剥き出しであった。
箱はずっとそこにあった。
佑は、箱には一切触れず、踵を返して自宅に走った。




