植木鉢の中の甲子園
泰介の歯は、カチカチと鳴っていた。
膝は震え、目は焦点が合わない。
「ストラーイク!」
審判が力強く叫ぶ。球が見えなかった。いや、気がついたときにはミットに収まっていた。景色が、定まらない。
甲子園決勝。9回裏。2-1。1点ビハインド。ツーアウト。ランナー二塁。
バッター遠藤泰介。何故この大一番に俺が。泰介は強く思った。呼吸が整わない。Sのランプがひとつ灯る。
遠藤泰介。鎌澤高校不動の9番ショート。堅実な守備でチームを支えてきた。打率も悪くない。足も使える。ただ、緊張に弱かった。
責任感の強い男でもあった。それ故に失敗を誰よりも恐れた。そうなると心拍数は上がり、身体は強張り、実力は半分も出せなくなる。
球が、ミットに収まっていた。ストライクゾーンを、大きく右に外れていた。細く長く息を吐く。泰介は、さっきまで地面をどう踏んでいたか、思い出せなくなっていた。
ベンチからは、必死な応援の声が上がっていた。しかし、泰介には聞こえていなかった。心音はあまりにも大きい。
キャプテンの隆は、監督に代打を進言したが受け入れられなかった。監督は「俺は遠藤を信じる」とだけ言った。そう言われたからには、選手も信じるしかない。隆も必死に声を上げた。
ピッチャーが投げる。直球。球数は130を超えていた。球威が明らかに落ちていた。泰介は振り遅れた。球を打つというより、バットを振っただけ。そんなスイングだ。
「いつも通り行け! いつも通り!」
隆は声を上げる。泰介は目が泳いでいた。隆の声は聞こえているように見えなかった。
隆はAwazon超お急ぎ便の箱がベンチに現れたことに気がつく。遠藤泰介様宛と書いてある。隆はそれを勝手に開ける。中身を見て、隆は思わず口元が緩んだ。
泰介はバットを見つめていた。焦燥感が消えない。カウントはワンボール・ツーストライク。追い込まれた。鼓動は更に大きく、速くなった。終わる。みんなで目指した夢の舞台が。自分の失敗で。
「泰介ェー!」
隆の声が、急に耳に届いた。
「お前Awazonからこんなの届いてんぞ!」
ベンチを見ると、隆が植木鉢を抱えていた。胸に抱えるほどの、大きな植木鉢が。
「どんだけ土を持って帰る気だよ!」
「つーか負ける満々かよ!」
味方からのヤジが飛ぶ。隆は笑っていた。他の部員も腹を抱えて笑っていた。
泰介は声を押し殺して笑った。ピッチャーはそれを見て、薄気味悪さを覚えた。
泰介は、自分の弱さが植木鉢の大きさに表れてる気がして可笑しくなった。あの大きさなら何人分の土が入るだろうか。
もう思い切り振ってしまおう。それで負けてしまおう。今までお世話になった人たち一人一人に土を配って許してもらおう。「頑張ったけどダメでした」と頭を下げよう。
もし土が余ったら植物を植えよう。この、汗と涙が染み込んだ土で、何かを育てよう。勝とうが負けようが自分の夏には価値がある。今なら、胸を張って言える。
バットが軽かった。景色が鮮明に見えた。ピッチャーがセットポジションから投げる。カットボールだ。軌道が良く見えた。縫い目まで、良く見えた。振る。乾いた音が、夏の甲子園に響いた。
泰介が打ったボールは、大きな弧を描いてアルプススタンドに吸い込まれていった。
歓声と悲鳴が、真夏の甲子園に湧き上がった。




