MADE ME HAPPY!
彩海は控え室で大きなため息を吐いた。
鏡に、笑顔を向ける。引きつった顔がそこに映り、彩海はもう一度ため息を吐いた。
メイド喫茶のアルバイトを始めて、もうすぐ2週間になろうとしていた。
時給の良さと、自宅から近いという動機だけで始めたアルバイトだった。しかし、この仕事が、ここまで難しいとは思ってもいなかった。常套句を棒読みするだけで良いと思っていたのだ。
ピンクのフリルドレスも、似合ってるとは思えなかった。170cm近い彩海が着ると、どうしても無理しているように見える。これでは、客がつかないのも当然だと、思ってしまう。
もう一度、ため息を吐いた。今日のシフトが終わったら辞めよう。彩海はホールに戻る。
「おかえりなさいませ! ご主人様!」
美久の黄色い声が店内を彩る。
「ハヤタ様ー! 3日連続のご帰宅ありがとうございますー!」
同性の彩海から見ても、美久は眩しい存在だ。彩海と違って背が小さく、フリルドレスが似合っていた。一挙手一投足がメイドに徹していて、客のことも全員覚えている。採用されるまで、メイド喫茶ごときに、ここまでプロ意識を持った人間など、いないと思っていた。
「さいちゃん7番テーブルお願いね」
オーナーが促す。今日も指名なし客のお給仕ばかりだ。
「い、いらっしゃいませ! ご主人様!」
「彩海ちゃん軍人じゃないんだから」
3人のご主人様が苦笑していた。この店によく来る常連さんだ。入りたての彩海のことを気遣ってくれるような優しい人達だ。
「さいちゃん、気にしないでね。私も半年くらいはうまく出来なかったから」
先輩メイドの奏美が、こっそりと耳打ちをする。彩海は頭だけ下げた。ありがとう。その言葉が咄嗟に出ない自分も嫌だった。
注文を伝えにキッチンに向かう。客も同僚も、とても優しい店だった。その優しさに報いられないのが、何よりも苦痛だった。
下品な笑い声が、入口から聞こえてきた。
「なあ、ねーちゃん、何円払ったら、おさわりオッケーなの?」
「と、当店ではそのようなサービスは……」
染めた髪に派手なシャツの客が2人、受付にいる奏美に絡んでいた。奏美は眉をひそめて困惑していた。品の無い言葉を投げかけているのが、彩海の位置からもよく聞こえた。
「あの、お客様、困りますが」
美久が毅然とした態度で、男達に注意する。男は美久を突き飛ばした。
「きゃあ!」
「うっせーんだよドブスが!」
美久が、地面に倒れ込む。
彩海は宙を舞っていた。身体が、動いていた。膝蹴り。男の顔にめり込む。
「お、女ァ! 何しやが」
男は、言い終える前に崩折れた。上段蹴りが、意識を刈り取っていた。
静寂。店の中を支配していた。彩海は振り返る。全員が、口をあんぐりと開けていた。
しまったと、彩海は思った。咄嗟のこととはいえ、やり過ぎてしまった。彩海は俯く。
「え、ちが……あの、わたし……」
空気が、割れた。
喝采が、店中に巻き起こっていた。
「彩ちゃん!かっこよかったよ!」
「ありがとう彩ちゃん!」
「結婚して!」
ご主人様達の拍手と歓声が、彩海に向けられた。彩海は、心の底の方から、熱いものが込み上げてくるのを感じた。
ふと、足元にAwazon超お急ぎ便の箱があることに気がついた。開封すると、スレンダーなシルエットの、黒いゴシックドレスが入っていた。
「彩ちゃん絶対そっちのがいいよ! 似合うよ! かっこいいよ!」
奏美が鼻息を荒くしていた。
彩海が客の前に立つと、歓声が巻き起こった。美久とオーナーはうんうんと頷いていた。
美久が後ろから抱きついてきて、耳元に顔を近づける。
「彩ちゃん、クールキャラでいくのはどうかな?」
「クールキャラ……?」
「そう、なんかこう……スンッて澄ました感じ! ウチの店にいないタイプだし良いと思うよ!」
「彩ちゃーん! 目線ちょーだい!」
常連客が叫ぶ。彩海は、そちらを向く。
一瞬の静寂。
「彩ちゃん! 似合ってるよ!」
「かわいいよ彩ちゃん!」
「もっと蔑んで!」
彩海は、くるりと客に背を向ける。
「悪くないわね」
彩海は、誰にも見えないように口元を緩めた。




