地獄に一番近い男
「あなたは死にました」
理人は目を見開いた。
目覚めてすぐに言われた一言がそれだ。
目の前にいたのは、白いワンピースを着た、黒のロングヘアで色白の女だ。
どこかで見たことあるような顔だった。頭の奥の方で鈍い痛みがする。思い出そうとすると痛みが強くなる。
辺りを見回す。白ばかりの果ての無い空間が、どこまで見ても広がっていた。
どうしてここにいるのだろうか。ここはどこなのだろうか。さっきまで職場で企画書を作成していたはずだ。
「死にましたってどういうことだよ。つーか、ここはどこだよ。帰らせてくれよ。仕事が終わってねえんだよ。朝までにコラボイベントのスキルの数値バランスを調整しないといけないんだって」
「だから、あなたは死んだんですって」
「いや、死んでねーし。五体満足じゃねえか」
理人は手を大きく広げる。女は目を細め露骨にため息を吐く。
「ここは境界域。わかりやすく言うと、天国と地獄のあいだ」
「天国と地獄のあいだぁ?」
「そうです。ここであなたを天国か地獄、どちらに送るか決定します」
女が、右手で払うような動きをする。
すると、理人の目の前に剣が出てきた。柄から剣先まで青い水晶で作られた剣だ。
「なーんか見覚えがあるような……」
「これは、あなたが今までの人生で『人を喜ばせた回数』に応じて強くなる剣です。なかなかの強さですね」
「……へえ」
剣を持ち上げてみる。仰々しい見た目の割には軽すぎて、バランスを崩しそうになる。振ってみると、軌跡が青く光り、理人の少年心をくすぐった。
「……ちょっとかっこいいじゃん」
今までの人生における「人を喜ばせた回数」がこれになっていると思うと、悪い気はしなかった。
女は右手を上げる。黒いモヤが勢いよく立ち昇る。一息で、理人が見上げるほどに高く広がっていた、
モヤは密度を増し、闇のように濃くなっていく。理人は後ずさる。何か、ろくでもないものが出現しそうな気配があった。
10秒ほどすると、モヤは次第に霧消していった。輪郭が、徐々に浮き出てくる。理人の血液が一気に冷たくなる。
「げえ!」
ビルほどの体躯。大木のように太い手足。角の生えた厳つい顔面。
理人はその生き物をよく知っていた。鬼だ。鬼が、そこに立っていた。
「ひええええ!」
理人は真後ろに走り出す。女が並走する。
「これは、あなたが今まで『人を悲しませた回数』に応じて強くなる鬼です。相当、人を悲しませてきたんですね」
「なんでだよ! 清廉潔白に生きてきたわ!」
女はにっこりと微笑む。理人は必死に走っているが、女は涼しい顔をしていた。やっぱり見覚えがある顔だと思ったが、誰なのかは思い出せない。いや、それどころではない。
鬼は咆哮する。空間が震える。鬼は大きな足音を立てながらあっという間に距離を詰めてくる。
「7分間耐えられたら天国行きですからね。頑張ってください!」
「7ふぅん!?」
女はふわりと上空まで浮き上がる。
音がすぐ後ろで鳴る。
理人は振り返る。鬼。目の前にいた。
「ぐええええええ!」
蹴られた。そう気がついたのは体が宙を舞ってからだ。
理人は大きな放物線を描いて、地面に叩きつけられる。
「ぶぎゃばろぼっ!」
骨の折れる音が聞こえた。1本2本ではない。何十本もの骨がまとめて折れる音だ。
激痛は脳天から指先までかけぬける。理人は、自分が死んでいないことが不思議だった。いや、もう死んでいるのだが。
女は上空から微笑みを向ける。
「ここでは死ぬことはありません。骨は何回でも折れますけど」
「くっ……そが……っ!」
理人は剣を杖にして力を入れると、立ち上がることが出来た。骨は確かに治っていた。しかし、痛みはまだ体に残っている。
理人は剣を両手で握って上段に構える。この剣はなかなか強い。そう言った女の言葉を信じることにした。
鬼が拳を振り下ろす。理人はその拳に向けて剣を突き出す。刃が、中程で折れる。
「なんでだぐぼろげええええ!」
理人は、ほぼ地面と平行に飛んで行く。錐揉みしながら地面をバウンドする。4回。その度に骨の折れる音がした。理人は痙攣していた。骨という骨がだいたい折れていた。内臓もだいたい潰れている気がした。
理人は真っ白い空を見上げていた。均質で無機質な白が広がっている。荒く呼吸をする。立ち上がる気にはなれなかった。何か、大事なことを忘れている気がしたが、どうでもよくなっていた。この苦しみから解放されるなら、地獄に落ちることだって構わない。全身の痛みがあまりにも痛くて痛すぎた。
ふと、右手に何かが当たった。段ボール箱である。Awazon超お急ぎ便。そう記載されていた。
「……え?」
理人は面食らった。あの世まで配送範囲とは。
「Awazonならあり得るか……」
開封する。中には、ウイスキーが入っていた。
「……『余市40年』!?」
理人は驚愕する。ウイスキーが入っていたことにではない。プレミアがついている幻の逸品「余市40年」が入っていたことにだ。
琥珀色の深い輝きに、理人の目は奪われる。
「……しまっ」
理人は弾き飛ばされ地面に叩きつけられる。鬼の巨大な平手が薙いでいた。。
ゆったりと、体を起こす。激痛は激痛ではあるが、慣れみたいなものを感じていた。ちょっと耐えれば、消えるには消えるのだ。
「あっ!?」
理人は驚愕する。鬼が『余市40年』の蓋を開けていた。やめろ。叫んだ。その言葉は届かない。鬼は、琥珀色の液体を喉に流し込む。樽の中で40年間熟成された逸品が、一気に嚥下される。液体が瓶から鬼の口まで流れていく。その光景が、コマ送りのようにゆっくりと見えた。理人は足を必死に前に出す。思うように走れない。俺の酒に手を出すな。もう一度叫んだ。余市40年は、瞬く間に空になった。理人は膝をついた。
「そんな……」
絶望した。せめて一口、いや一舐めでも良かった。
鬼が理人を見る。目が座っていた。理人の体は強張る。全身の骨を折られる感覚が脳裏によぎる。鬼は前に体重をかける。
「こ、こ、こうさ——」
降参。口にする前に、鬼は前に倒れた。地面がごんと揺れる。
理人はおそるおそる近づく。いびきが聞こえてきた。
「その見た目で酒に弱いのかよ……」
理人は中程で折れた剣を、鬼の首に突き立てる。刃はすんなり首筋に入る。鬼は、断末魔もあげずに消滅した。
女は、理人を見ていた。苦々しい顔をしていた。
「……倒しちゃった場合ってどうなんの?」
「……特例が発生します。初めてですよ」
「特例?」
女が両手をぱんと叩く。理人の足元に穴が開く。
「なんでだよおおおおおお!」
理人は暗闇の中に落ちていった。
「理人! 理人!」
視界が、ぼんやりしていた。
女が顔を覗き込んでいた。どこかで見たような顔の女だった。黒のロングヘアで色白の女だ。さっきまで一緒にいたような気がする。いや、違う。
「……日菜美?」
「理人!」
日菜美の目から涙がこぼれだす。そこで理人は思い出した。この女性は自分の婚約者だと。
「ここどこ……?」
声がくぐもっていた。そこで人工呼吸器が口についていることに気がつく。どうやら病室のようだ。
「仕事中に倒れて……全然目を覚まさなくて……お医者さんは二度と目覚めないかもって……でも理人宛のAwazon超お急ぎ便が届いて……それで……それで……」
そこからは声にならなかった。理人の胸のあたりに突っ伏して、ずっと泣きじゃくっていた。
理人は横を向く。開封されたAwazon超お急ぎ便の箱があった。「余市40年」のラベルが見えた。
理人の体が跳ね起きる。ずっと探し求めていたのに手に入らなかった幻のウイスキーだ。理人は全力で瓶を手に取ると首を捻った。
「余市40年」の瓶には、中身がほとんど残っていなかった。




