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三日月ロック その2(2/2)

 靴音の乱反射が洞窟内を飛び交っていた。

 3人は地上に向けて走っていた。残り90分で水没する。それまでに脱出しなければならない。

 現在地から地上まで、洞窟内とはいえ、10km程度である。通路も広い。ジョギングのペースで走っても70分で地上につけるはずだ。

 しかし3人の表情は緊張していた。


 はかりはタブレットを確認しながら走っていた。

 外の様子が映し出されていた。計はシークバーを左手でスクロールさせると舌打ちをした。


「水位が人為的に上昇させられてる。ノチウマキリを台座に挿した瞬間からだ」


 道が3つに分かれていた。計は左の通路に進む。

 三日月は右の穴を目で追いながら付いていく。来るときはそこを通ったはずだ。


「計先輩! 今のところ右じゃなかったですかあ!?」

「水位の上昇するペースが早まってる。おそらく、水没まで50分だ」

「え、50分!?」

「別ルートから地上に出る。急ぐぞ」

「合ってますよね!? 合ってますよね!?」

「五月蝿い! 私が道を間違えたことがあるか!」

「前科が多すぎるんですよぉ!」


 計は走るペースを早める。三日月と伊藤もついていく。

 伊藤は口元に笑みを浮かべる。


「あの時以来ですね。南区のサファリパークの跡地」

「ああ、前後左右から岩が転がってきたときは流石に死ぬかと思った」

「何言ってるんですか!? なんなんですかこの部活!?」


 前方から何かが崩れる音が聞こえた。ごうと水の流れる音がする。三日月の背中に汗がじわりと滲む。


「三日月、カー、急ぐぞ」

「急いでますよおおおおおお!」


 目の前で、岩が盛り上がっていた。3人とも軽々と飛び越える。


「そういや三日月ちゃん、さっきのAwazon超お急ぎ便、何が入ってたの?」

「これです!」


 三日月は右手に握った袋を見せる。

 何かの魚のぶつ切りが入っていた。


「……ヒメマス?」

「三日月、なんでだ」

「そんなの私にわかるわけないじゃないですか!」


 目の前の道が上下に分かれていた。上の穴は、地面から2mほどの高さにある。


「ここを上だ」


 計が、横に向かって跳び、壁を蹴って上の穴に跳んだ。伊藤もそれに続く。三日月は躊躇する。


「なんで普通にそんなこと出来るんですかぁ!?」

「三日月ちゃん跳んで!」

「引っ張り上げる! 早くしろ!」

「ううー、やりますよ……やるしかないですよね……」


 三日月は息を整える。両手の手のひらをぶらぶらと振る。精神がフラットになる。

 三日月はその場で軽く真上に跳ぶ。地面に着くと同時に前に加速する。最高速度に達する。同時に跳んだ。壁につく。蹴り上げる。反動で、上の穴に跳び上がる。


「できた!」

「三日月ちゃん手を伸ばして!」

「三日月!」


 2人が手を伸ばしていた。水が迫っていた。三日月も手を伸ばす。足場につま先が乗る。

 指先が、空を切る。


「えっ」


 三日月は真後ろに倒れていく。足場が、崩れていた。

 何が起きたかわからなかった。2人の手が、少しずつ離れていく。2人は何かを叫んでいた。何も、聞こえなかった。無音の中、体がゆっくりと天井から遠ざかっていく。背中に、水が触れる。体が濁流に呑まれる。

 目の前。伊藤が跳んでいた。


「カー!」


 計が叫んでいた。伊藤はいっさい躊躇わずに跳んでいた。濁流に水しぶきが上がる。伊藤は下流に向かって泳いでいく。


「……あの莫迦ばかッ!」


 計は歯噛みした。水流は2人をあっという間に流し去った。

 水の音は次第に大きくなる。計は一瞬だけ思考すると、振り返って地上へ向かって走り出した。



 ◇◆◇◆◇



 三日月は激しい水の流れにされるがままになっていた。必死に手足を動かす。自分が浮いているのか沈んでいるのかすらわからなかった。とにかくもがいた。空気を吸いたかった。足掻けば足掻くほど、水が口の中に入ってくる。苦しい。手を伸ばしても岩肌に触れるだけだ。意識が朦朧としてくる。


(これ私、死ぬかも)


 三日月は自分の体から力が抜けていくのを感じた。苦しさがどこか他人事のように思えてきた。視界が、少しずつ暗くなっていく。


「三日月ちゃん!」


 手が、握られた。強い輪郭を持った手だ。しっかりと、三日月の手を握っていた。

 意識が、少しずつはっきりとしていく。口に何かが当てられていた。息を吸う。新鮮な酸素が肺を満たしていく。

 失いかけていた意識に明かりが灯る。三日月は段々と冷静になる。左手はまだ握られている。体はまだ流され続けている。三日月は左手を強くぎゅっと握る。ぎゅっぎゅっと、2回握り返された。伊藤が、確かにそこにいた。


 吐き出されるように広い場所に出た。三日月はウォータースライダーのように飛び出す。


「とっ! わっ! てっ!」


 三日月は3回転げて立ち上がる。


「痛ててて……って、あー!」


 視界が真っ暗になっていた。ヘルメットのライトが粉々になっていた。台座のうっすらとした淡い光だけが、ぼんやりと辺りを照らしている。

 不意に、強い光が顔を打つ。伊藤が、こちらを向いて立っていた。


「無事で良かった」

「伊藤先輩ごめんなさい! 私がドジしたばかりに……」


 三日月は伊藤に抱きついた。目に熱いものがこみ上げる。背中をぽんぽんと叩く感触があった。体温がじんわりと伝わってくる。

 三日月は自分がとっさにしたことに気がついてぱっと離れた。鏡があったら自分の真っ赤な顔が見られただろう。


「さて、どうやって帰るかな」


 伊藤は酸素ボンベを担いでいた。入手方法は聞くまでもない。

 冷たい感覚が、どんどん上に上がってくる。足首くらいだった水位が、わずかな時間で膝下まで来ていた。

 出入り口は一箇所だけで、そこから水が勢いよく流れていた。流れに逆らえるようには見えない。

 三日月は酸素ボンベを一瞥する。泳いで戻ることを考えたが、すぐに振り払った。入口までの距離は10kmある。泳ぐのに現実的な距離ではない。


 伊藤が、怪訝な顔で三日月の手元を見ていた。


「三日月ちゃん、まだそれ持ってたの?」

「……ええ!?」


 三日月は驚いた。右手に、まだAwazon超お急ぎ便で届いたヒメマスのアラを持っていたのだ。無我夢中で気がついていなかった。

 三日月は慌てて袋を捨てた。鮭のアラは、水底に向かって、力無く沈んでいく。


 水位は腰のあたりまで上がっていた。伊藤も、三日月も黙っていた。Awazon超お急ぎ便の箱は出てこない。


「……三日月ちゃん、ちょっと目を瞑ってて」

「……はい」


 理由は、聞かなかった。伊藤にはなにか妙案がある。きっとなんとかしてくれるはずだ。三日月はまぶたに力を込める。


 何かが放出されるような音がした。例えば光線銃のようなそんな音だ。

 ヘルメットに何かが当たる感触があった。小石や砂のような小さな物が。洞窟が崩れているのだろうか。不意に、三日月は不安に襲われる。


「伊藤先輩、そろそろ目を開けても――」


 大きな音がした。目の前で背の丈を軽く超えるほどの飛沫しぶきが上がる。全身を水が濡らす。

 三日月は目を見開く。目の前に大きな影があった。天井から落ちてきたようだ。

 三日月は口に両手を当てる。


「……サッピー!」


 それは、巨大な首長竜だった。

 平たい胴体、大きなヒレ、長い首、つぶらな瞳。

 その大きな口で鮭のアラをすくい取ると、バリバリと噛みしめる。

 三日月はその生き物と目が合う。


 さっぽろ湖に生息するとされていたUMAが、目の前にいた。

 三日月は目を輝かせる。想像通りの外見だった。

 ホイッスルのような音が響き渡る。それがサッピーの鳴き声だと一瞬遅れて気がついた。威嚇しているようには聞こえなかった。

 サッピーは背中を2人に向ける。そのまま静かになる。水位は肩の辺りまで来ていた。

 伊藤は困惑する。


「……乗れって言ってるのか?」

「乗り心地は良さそうですよ? ほら突起とかついてますし」


 どちらにせよ選択肢は無かった。2人はサッピーの背中にまたがった。

 伊藤は首に捕まる。三日月は一瞬だけ躊躇したが。伊藤の腰に手を回した。

 伊藤の背中はとても固く、じわりと熱が伝わってきた。


 水位が上がっていく。それに伴いサッピーも上昇していく。天井に、穴が空いていた。どうやらそのせいでサッピーが落ちてきたようだ。

 これが伊藤の用意した()()なのだろうか。伊藤の戸惑い方を見ていると、そうではないような気がした。

 三日月は何も聞かず、体を伊藤の背中に預けた。



 ◇◆◇◆◇



 計は穴から飛び出した。地上がそこにあった。草むらの上に転がる。少し遅れて水が出口から溢れた。

 計は仰向けになる。樹木の重なりが見えた。さっぽろ湖のだいぶ西側だろう。()()()()()()地上に出られた。

 ひと呼吸して計は跳ね起き、トレッキングスカートのポケットからスマートフォンを取り出す。


「……くそっ!」


 計はスマートフォンを投げ捨てる。半分に折れていた。脱出するまでに何度も岩に体が当たっていた。

 カバンからタブレットを取り出す。幸いこちらは壊れていなかった。通話アプリを起動し、電話帳を開く。歯を、強く食いしばっていた。そうしないと震えてしまいそうだった。


 轟音。背後で鳴っていた。振り返る。水柱が天高く爆ぜていた。計の全身に水がかかる。間欠泉。計の脳裏によぎった。しかしそうでは無かった。巨大な影が目の前に出現する。計は尻餅をつく。首長竜がそこにいた。


「あ、計先輩だ!」


 三日月は計に手を降った。サッピーの背中に乗っていた。伊藤もそこにいた。

 2人は背中から軽い身のこなしで降りる。髪の先から靴の先までびしょびしょになっていた。


「じゃあねサッピー」

「ありがとな」


 サッピーは低い声で鳴いた。寂しいとか、侘しいとか、そんな響きに聞こえる。

 サッピーはその場で高く飛び上がると、洞窟の中に飛び込んでいった。水しぶきが高く上がる。


「先輩、今回もなんとかなっちゃったすね」


 伊藤は髪をかき上げた。水滴が宙を舞う。

 計は口元を緩めかけたが、すぐに真一文字に戻した。


「カー、何故あのとき水に飛び込んだ」


 伊藤は肩をすくめる。


「いいじゃないですか、結果的に三日月ちゃんも俺も助かったんですし」

「良くない。君があと3秒待てたらもっと良い方法が浮かんでいた。いつもそうやって何も考えずに」

「でもでも! あのとき伊藤先輩が助けてくれたからサッピーに会えたんですよ!」


 三日月は屈託のない笑顔を向ける。計は苦笑いを浮かべる。


「それはそうだな……ん?」


 計は口元に手を当て、小首を傾げた。


「ところで、サッピーの写真は?」

「あっ」

「あっ」


 三日月と計は顔を見合わせる。


「なんのための写真部だ!」

「計先輩だって撮れてないじゃないすか」


 計は伊藤の尻を蹴り上げた。

 三日月はそれを見て笑った。

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