第四話「ないしょの手紙」3
「クッキーお持たせで出しちゃって悪かったわねぇ」
菜奈が家路に急いでから、あかりが申し訳なく言う。
菜奈が来訪する直前に、今日これから市川に行くから、とヒカリがひょっこりやってきて、クッキーはその手土産だったのである。
すっかり冷めた紅茶をすすりながら、予定も聞かずに来たんだからいいのよ、と意に介さないヒカリである。
「菜奈さんから見えたんでしょ? 娘さんのトラブル」
「あの人の相から見えるってことは、娘さんのトラブルに関わるってことよ。親が関わるなら、小さいできごととはいえないわね」
「うーん」
あかりは少しバツが悪くなる。自分の占いでは、事の大きさを見ていなかったのである。
「私もどんなトラブルかまではわからないけど、女の子が自分で解決できないとなると、厄介よね」
クッキーをつまむ手を止めて、ヒカリは深く考えこむ。
ヒカリはいくつかの可能性をすでに考えているようだ。
「それはそうと、ヒカリに自慰のことを振ったのは──」
ヒカリは左手を前に出し、わかってると合図した。
「本当に世の女の子全員がオナニーするわけじゃないでしょうけど、みんなが、特に年の近い私もということにしておけば、相対的に自分の娘だけがはしたない感じはしなくなるものね。あんたらしい気の配り方じゃない」
「ありがたいわねぇ、察しが良くて」
そして、意地悪な目をしてつづけるのだ。
「ヒカリもするんでしょ」
「するわよ」
大真面目なヒカリの口調、これにはあかりも面食らう。皮肉のひとつでも返してくるかと思ったあかりは、はたと考えてみる。
ヒカリが夫を喪っていることは知っているが、ヒカリ自身からは亡夫のなんのエピソードも聞いていない。以前ほどではないにしても、普段から喜怒哀楽を表に見せないヒカリだ。その悲しみの心を知らないあかりだったが、自慰をすると言った今のヒカリからは、短い結婚生活を共にした夫への想いが感じられる気がする。
「やっぱり、それ、旦那さんを想って?」
「そういう聞きにくいことを自然に聞けるあんたの得なところを、あの人──菜奈さんも好いてくれてるんでしょ」
そう言いながら、ヒカリは天井を見つめた。
「圭吾くんとは恋愛結婚じゃなかったけど、性行為を重ねていくとね、だんだんと好きになって、いつの間にかね、大事な人だったのよ。なんて言うかな、恋したとは違う、もっと奥深いところでの結びつき、なのかな」
「そこ、男女の本質よね。体が受けるメッセージから、普段の優しさとかいたわりとかを、上っ面だけでない本物として感じていくのよね。亡くしたといっても、羨ましいわ。昔のお見合い結婚は、みんなそんな感じだったんでしょうね」
あかりも恋愛経験が豊富なだけに、ヒカリよりもヒカリの気持ちがわかるのだ。裏を返せば、そのような相手に恵まれてこなかったことでもある。だから人一倍、結婚への憧れが強いのだ。幾人の男性と親しくしていても、心が通じる一人との出会いが欲しいのに、例外ではないあかりである。
「そうやって、いつまでも心にいてくれるって素敵だけど、満たされる?」
あかりは平然と聞いてくる。
「圭吾くんのことを思いながらするんだけど、最近はね、そうじゃない時もあるのよ」
「それ、思い出や幻影じゃなくて、生きた男の人を求める気持ちが、少しだけ生まれてきてるんじゃない?」
「また言いにくいことをはっきり言うわね」
こんなデリカシーも遠慮もないあかりの性質が、ヒカリも憎めないのだ。むしろ、ぐいと距離を縮めてくるのが、なにやらありがたく感じ、自分も隠すことなく話そうと思えてくるのだ。
「私にもわからないわよ。でも、お母さんとお父さんが殺されて、ひとりになって、麗華先生に良くしてもらえても、ずうっと自分もどこかで死のうと思う気持ちがあったのに、まだ生きててもいいかな、って気にさせてくれたのは圭吾くんだから。圭吾くんのために生きておこうってね」
あかりは暗然としてしまう。総本山で自分に占術を教え、姉妹弟子として仲良くしていたときも、どこかで死ぬことを考えていたとは。
ヒカリは、あのときはそうだったってことでね、と残りの紅茶を全部飲み干してしまう。
この前までは、犯人を捕まえたら、自分も両親と圭吾のところへいくと決めていた。
だが、今、自分の周りには、あかりがいて、栞と七海が友だちになり、押野勇気に塚原望という新しい仲間もできた。姉夫婦のような百合と双龍もいる。たくさんの人が、自分の心を支えている。
少し前の自分とは、違う自分になっているような、不思議な感覚だ。
そして、思いのほか喋りすぎた自分に気づき、どんな顔で話していたんだろうと思うと、可笑しくなるヒカリである。
「この気持ちを話せたの、初めてよ。ほんとに得な人ね、あんたって」
「あたしって得なのかしら? 徳はないけどさ」
「徳がないのもいいところよ」
にこりともせず、二の矢を返してくる。
ようやく、いつものヒカリらしさが戻ったようである。




