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最終話「悲歌」46

 今泉公安部長、いや、もう元部長というべきだ。八矢圭吾殺害容疑で警視庁捜査一課に逮捕され、取り調べを受けているが、その動機は部長への諫言に腹を立てての衝動的なものとして調書が作られた。

 本間刑事部長も、知らぬふりをしてそのまま送検する。

 ヒカリは圭吾の母、彩子を訪れて、圭吾とその父の仏前に静かに正座する。

「圭吾、ヒカリちゃんがあなたの仇を取りましたよ……」

 黙って圭吾の遺影を見つめるヒカリに代って、彩子が報告する。息子の嫁だが、娘も同然のヒカリの横顔は、どこやら陽が差したかのような良い色だ。

 明日は圭吾の一周忌。あの日から一年。あの悲しみから一年──。

 彩子は夫につづき、一人息子も喪い、傷心から立ち直れなかった。

 だが、ヒカリはただ悲しんで一年を過ごしたわけではない。何者かわからない圭吾の殺害犯人をおびき出す目的で『光の路』を立ち上げた。

 一方では、ヒカリの人生を彩る仲間たちに囲まれた。

 妹弟子だったあかりとの再会。百合との出会い。澄花との交流。美歌もいる。もう自分の一部同然の瑠璃と鋼音。

「圭吾くん。あの日から、私は犯人をつかまえたら圭吾くんとお母さん、お父さんのところにいくつもりだった。でもね、ごめんね。私の寿命まで待って」

 みんなと離れたくないないんだ。ヒカリは寂しい微笑みを遺影に向けている。

「まだ、お母さんとお父さんの事件を解決してないもの。圭吾くんでも追えなかった犯人だけど、私は必ずつかまえる。みんながいてくれるもの。きっとできるよ」

「ヒカリちゃん……」

 彩子はヒカリの目が悲壮ではない、希望の色に染まっているのに、目頭が熱くなってくる。

 ──今までのヒカリちゃんじゃない。

 ヒカリは合わせた手をほどくと、にこやかに彩子に話しかける。

「お義母さん。すべてが終わったら、一緒に暮らしましょう。鋼音と三人で、楽しく生きましょう」



 ヒカリから西成の家に帰るよう諭され、大ゴネした瑠璃だが、ヒカリを狙うであろう犯人が捕まり、帰らなくても良くなったから嬉しさ満面に過ごしている。

「だけどね、両親のことも殺人事件なのよ。こっちの捜査で私が狙わるわけではないといっても、その犯人は人を殺すことができるんだから、私が危険だと判断したらすぐに帰ってもらうからそのつもりでね」

「はーい」

 ヒカリの心配をよそに、瑠璃は軽くあしらってくる。

「やれやれ」

 とはいうものの、三人の生活がまだつづけられるのは、ヒカリの心も潤うというものだ。

 すると、瑠璃のスマートホンに電話がかかってくるのだ。

「え? パパ?」

 表示されている名前は瑠璃の父なのである。いつもは母が連絡をよこすのにまったく珍しい。

「もしもし。どうしたの?」

 父の話に、瑠璃は目を丸くして驚いている。

 母の菜奈が家の階段で足を滑らせ、右足の薬指と小指を骨折したというのだ。

 松葉杖を使って立つこと、左足一本でゆっくり歩きはできるが、家事と小さい子たちの世話までは無理だというのだ。

 ヒカリから、すぐ行ってきなさい、と言われて帰ってみると。

 ソファに座っている菜奈が、悪いわねえ、と申し訳なさそうにしている。

 たかだか足指の骨折で足裏全体にこんなに分厚く包帯を巻くのかと思うが、その右足を床に着けられないのだから、とてもではないが炊事に掃除にチビたちの世話など、どれも無理そうだ。

「瑠璃、あなた帰ってきてくれない? パパもろくに家のことはできないし、チビちゃんたちも、この足ではなにもしてあげられないわ。ヒカリさんには本当に申し訳ないんだけど」

「しょうがないなあ。鋼音も連れてくるから。ヒカリさんも最近調子がいいし、旦那さんの犯人を逮捕できて、すごく明るいんだよ」

「あなた、鋼音ちゃんを連れてくるのは、チビちゃんたちの世話をしてもらうつもりね」

 瑠璃の小(こ)ずるい考えなど、母ならお見通しだ。

「あの子たち、鋼音のこと大好きなんだもん。なんでも言うことを聞くんだから、鋼音がいてくれなきゃ」

 ちゃっかり楽をする計画をしている瑠璃なのだ。


 だが、そんな瑠璃の算段はあっさり崩れるのである。

「悪いけど鋼音は行かせられないわ。総本山では鋼音の巻き戻しが必ず必要になる。それも、今ここで、というタイミングで。西成のおうちから来るのを待っていられる状況とはまったく限らないのよ。もし危ないかもしれないことになっても、任侠のところにいてもらうつもりなのは、すぐに総本山に来てもらえるからよ」

 そう言われてしまうと、瑠璃はなにも言い返せない。ママが歩けるようになったらすぐ帰ってきます、と言い残して、学校用具を抱えて西成家へ戻っていくのである。


 瑠璃が発ってから、ヒカリはあかりに電話をかけてみる。もしかして、と思い当たるのだ。

「あんた、菜奈さんにわざとケガをするように頼んだんじゃないの?」

「瑠璃さんが家に帰されるのを嫌がってひっくり返っている、っていうから、一芝居してもらったのよ」

 涼しい顔をしているあかりが電話の向こうに見えるようだ。ヒカリは呆れてしまう。

「足の指を折るなんて、行き過ぎよ」

「本人は足首の捻挫程度のつもりでわざと階段で転んだんだって。でも、加減がうまくできなくて、折れちゃったのね。奈々さん自身も、まさかこんな大ケガになるとは想定外だったのよ」

 タイミングが合わないというのは、こういうことをいうのであろう。

 圭吾を殺害した犯人だから、ヒカリを狙うことも十分想定できた。瑠璃はしばらくヒカリの元から離しておきたいと考え、あかりに相談した。

 そのときは、どうすれば良いかしらねえ、と結論は出せなかったが、あかりはひと閃きしていたのである。

 菜奈にケガの芝居を頼むも、一週間分は家事の量を減らす準備をしなければならないといって、すぐには実行できなかった。

 そして今泉元公安部長の逮捕へと進み、とりあえず瑠璃を西成家に帰すまでしなくても良くなったのだが、それをまだ知らされていなかった菜奈は、自演のケガを実行してしまったのである。

 それも、菜奈本人がまさかと思った骨折である。



 警視庁警視総監室では、急遽の昇格人事で部長となった横溝捜査官──横溝公安部長が、五味警視総監のもと、ヒカリを迎えて事後報告をしている。

 今泉元部長の指示で動かざるを得なかった四人の捜査官たち。ヒカリの策どおり、脅迫の告訴が効いて殺人罪での起訴は免れたが、死体遺棄容疑まではかばいきれなかったという。死体遺棄はたとえ脅されたにしろ、実行してしまえば罪に問われてしまうのだ。あとは情状酌量に頼るしかない。

「依願退職となるのでしょうか。今泉元部長に最後まで抵抗してくれたのに……」

「それでも死体遺棄は実行しない選択肢が四人にはありました。ことここに至っては、の思いがあって実行したのでしょうが、検察もこの点をスルーするわけにはいかないでしょう」

 ヒカリが訪れていると聞いて、富樫総務部長も警視総監室へ入ってくる。

「神林部長時代のような協力関係が戻り、我々もやりやすくなった。ヒカリさんのおかげと言って良いのかな?」

 近々警視監への昇格が諮られるから、富樫総務部長もなかなかの機嫌だ。警察庁出身の五味警視総監の推薦だから、警察庁から横やりが入ることもない。

 それはそうと、と富樫総務部長はヒカリににこやかな顔を向ける。

「妹が、塚原くんと毎日会っているようなのだよ。あれは付き合っているのか?」

「さあ? ふたりは十歳くらい離れていますが、どうなんでしょう」

 ヒカリの両親の殺害事件解決のために、親占教会の捜査には引きつづき協力している塚原だから、ヒカリとも『光の路』で打ち合わせはしている。だが、工藤巡査との話はしてこない。おばさん好きなんですね、とからかわれるわけでもないのだが、照れがあるのだろう。

 富樫総務部長は、もしもだが、と一応前置きをして、

「未来の警視総監の義弟が、ノンキャリアの平警官とは、どういうものか」

 そんな気の早いことを言い出すのである。

「いいじゃないですか。そういう凸凹(でこぼこ)、私は好きですよ」

 ヒカリは人ごとのように笑っている。その心の内は、かつて圭吾に恋心を寄せていて、吹っ切れずにずっとこじらせていた工藤巡査が、新たな恋に向かっているらしいのに、えもいわれぬ安堵の気持ちなのだ。


「ヒカリさんのご両親の件では、入山──いや、押野も協力しているそうですね」

「ええ。主人とは大学の先輩後輩の間柄でもあり、公私ともに親しかった人です。公安在籍中はエースの存在だったとも聞いています」

「あの男は飄々としているがなかなかの切れ者だ。移籍先でもチーフとしてやっているらしいから、忙しい体のはずだが、それでもあなたのために捜査の時間を割いている。ヒカリさん、あなたの人柄なのだろう」

 先日も会ったばかりの、長髪を後ろで束ねて、涼しい目をする勇気の立ち居を思い浮かべる。

「表向きは殉職と聞きました。そうやって生まれ持ったものを捨ててまでの捜査というのが想像つきません」

「国際案件でしてな。生きているのがわかってしまうと、家族もろとも皆殺しという、そんな非道を平気でおこなうシンジケートだった。入山でなければ、摘発はできなかっただろう」

本来は公安外事の案件だったのだ。よほど信頼が厚かったと思われる。

「主人はいかがです?」

 ヒカリは話の流れを自身に引き込んでくる。

「八矢くんかい?」

「ええ。押野──いえ、入山さんのケースと比べられるような大ヤマではなかったでしょうが、警察をやめました。本当に退職したのですか? カモフラージュではなかったかと、私は何度も考えたのですよ」

 五味警視総監は、ふぅと一息つき、あなたの怖いところはそういうところですよ、とこれは畏怖を交えた溜め息だ。

「総監、まさか……」

 富樫総務部長は、妹の工藤巡査から、ヒカリが圭吾の退職を疑っていることを耳に入れられていたのだ。まさかと思ったが、事実だったとは。

「八矢は一度、身分を明かさねば摘発できない事態に陥ったことがある。葛原さんからあなたとの結婚を命じられたことを利用して、セイント・セミコンダクターでニノ轍を踏まないための策として偽装を思いついたのだろう」

「ニノ轍……主人ははじめからセイント・セミコンダクターへの復帰を視野に入れていたのですね」

「駿河専務から復帰を請われなくても、戻るつもりだったのだろう。表向き一般人になるのだから、大変な決断だっただろうが、駿河専務とつながっていれば、親占教会の菅原事務局長の重用がつづいていく。それだけあなたの両親の殺害事件解決に、全精力を注いでいたのだろう」

 やはりヒカリの両親殺害事件でも、菅原事務局長がカギになると圭吾は睨んでいたようだ。



 数日たつ。

 任侠の門脇卓からだと、ヒカリへ報告の使者がくる。

 和服姿で訪れたのは増本明美である。『光の路』の前で、掃除をしていたらしい鋼音の姿を見つけて、鋼音ちゃん、と声をかけてみる。

「わあ、明美さん。お元気でしたか?」

「瑠璃ちゃんはいないのかしら。今日は日曜だから久しぶりに会えると思ったのに」

「お母さんが骨折して家に戻ってるんです」

「まあ……。ケガはひどいのかしら?」

 三階のヒカリの私室に案内して、鋼音がコーヒーと茶菓子をトレイに乗せて、テーブルに運んでくる。

 すっかり年齢らしくなったわねえ、と昨年食事に呼んだときの様子と比べてしまう明美なのだ。

「明美さん、新宿クリニックでアンダーの永久脱毛をしたのでしょう? 刺青を入れるのはいつの予定なのかしら」

 ヒカリはまずそんな話からしてみる。明美が話したいだろうことから会話をはじめる、ヒカリの処世術だ。

「毛根のあった場所が細胞で埋まって、石嶺先生のオーケーが出てからなので、まだ決まっていません。でも図柄は決めたんですよ、見てください」

 やはり嬉しそうに話に乗ってくる明美だ。

 下絵のコピーを広げて見せると、背中の観世音菩薩と対になる、阿弥陀如来の図だ。堀源らしく極彩色で、遠近法で浮き出るような如来様。体の前なので背景は控えめにしている。

 仏となった如来と、仏の過去の姿として菩薩。明美は仏教徒ではまったくないが、この表裏はなかなかのセンスとヒカリも感心する。

「鋼音ちゃんの両親が退去に使った業者がわかったのです。アパートの向かいの家の人が、夜中に作業していたトラックを覚えていたんですよ」

「夜中に作業したのだから、正式な引っ越しとして引き受けたわけじゃなさそうね」

「はい。会社名が側面にペイントされていて、それも記憶されていました。調べたら、引っ越し業者でも、運送業者でもないそうです」

 もしや、とヒカリは考えつくのだ。一般企業に終業後のトラック貸し出しを依頼したなら。

「その会社の近くに、鋼音の両親はいるのではないかしら。居住荷物もあるから運ぶだけで大仕事、搬入もある。しかも夜中よ。終わってから遠くに戻るのは、本職の業者でも嫌がるわ。引っ越し先の近くの会社に車を出してくれるよう頼んだ可能性が高いと思うわ」

 会社はここです、と明美はメモを渡す。

 この近所を回ってみて、鋼音の両親の姿を見かけられたらもっとも手っ取り早い。

 鋼音の両親の顔を知っている百合に、見廻ってもらおうと考えるヒカリだ。

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