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最終話「悲歌」44

 今泉公安部長あてに、全国紙の日陽新聞の社会部記者という人物から問い合わせを受けたのは、翌日である。

 ある人物が、政治資金規制法違反となる証拠ファイルを持っているらしい。それを得たいが当人を探す手だてがない。ともかく、ある人物に心当たりがないかという内容だ。

 これを聞いて、青くなる今泉公安部長だ。

「もう猶予ならん。強引な手になってもやむを得ない」

 政財界の不正な金の流れをマスコミに先にすっぱ抜かれては、今泉公安部長の手柄にはならない。次期警視総監を目指すレースで優位に立つ材料を失ってしまう。

「八矢ヒカリを連れてこい。拉致になってもかまわん」

 四人の公安捜査官にそう指示する。今泉部長が就任にあたって連れてきた八人の捜査官は、それぞれの任務にあたっていたが、この四人は急遽呼び戻したのだ。

 かつて、極秘に強行な任務にあたらせた四人でもある──。



 その四人はすでにヒカリと任侠の手の内に落ちている。

「こいつらの所持品を取り上げました。ヒカリさん、見てください」

 門脇卓はテーブルに並べた四人の持ち物を指して、四つのパスケースをまとめる。

 警察手帳、つまりは警視庁公安部の身分証明だ。

「あなたがたがなんの任務についていたか、おおかたはわかっています」

 身分証明から得られた四人の氏名は、圭吾がファイル上でマーキングしていた四人と全員が一致している。

 ヒカリはたてつづけに問いただす。

「いつから親占教会の捜査に加わったのですか?」

「八矢圭吾殺害を指示したのは誰ですか?」

「実行犯はあなたたちですか?」

 四人とも黙秘を貫く。手足を縛られ身動きができない四人だが、任侠から殴る蹴るの暴行を加えられても、こんなときの耐え方を叩き込まれているのだ。

「仮にも公安捜査官です。並の拷問では口を割りませんよ」

 そうわかってはいても、門脇は最後の一線は越えられないと次の手に迷っている。だがヒカリには想定内だ。

 ヒカリはこのうちひとりを、別室に引っ立てるよう門脇に指示する。四人のうち、リーダー格とみられる男だ。

「お前たち、ほかの三人を見張っていろ」

 黒服の任侠たちに指示した門脇は、捜査官ひとりの首根っこをつかみ、ヒカリの後ろをついていく。

 別室に入ったヒカリたちを待っていたのは、鋼音である。

「ヒカリさん。お願いしたこと、できましたか?」

 もちろんよ、とヒカリは捜査官に目を向ける。門脇は捜査官がヒカリになにかされたような様子を見ていない。鋼音の頼みは、目に見えるようなことではないのだ。


 鋼音は捜査官と対峙すると、部屋を暗くしてください、とヒカリに頼む。

 次に門脇からライターを借りると、火をつけて、捜査官の眼前に突きつける。

「この炎はあなたの命そのものです」

 そう、意味を考えさせることをいう。

 炎は揺れながら、捜査官から遠ざかり、また近づいていく。

「あなたの命がこの世から遠くなっていく……。またこの世に戻ってくる……」

 捜査官の目が、炎に釘づけになっていく。これは催眠を応用した巻き戻しなのだ。

 ──鋼音、もうこんな技術を……。

 ヒカリは内心、驚嘆せずにはいられない。

「あなたは八矢圭吾さんのことを思い出していく。思い出すほど、あなたの命の炎は応援を得ていく……」

 捜査官はカッと目を見開き、炎だけを凝視している。

「炎はふたつに。四つに。そして八つに。十六に……」

 鋼音の言葉どおり、捜査官の目には炎が次々と分かれて増えていく。

「三十二、六十四、百二十八、二百五十六、五百十二、千二十四……」

 捜査官の目の前には、もう無数の炎が取り巻いている。増えた炎の数は、命を守る炎なのだ。これなら安心だと思った瞬間──。

「これらの炎を一度に消しましょう。そのとき、あなたの命は失われます」

 鋼音の声が冷徹に響く。幼さをもった、黄色い声質の鋼音の声が、まるで死神の声のように……。

「や、やめてくれっ!」

 必死の目で叫んだそのとき、捜査官の眼前には、公安の拷問室の情景が広がっていく。


 機械室だろうか。周囲の設備は一般の部屋とは違う。

 そこに椅子、ベッドのような台、指や手足を切り離すギロチン、刃物、革鞭、硬質棒、そして、鉄球が天井から吊り下げられている。

「部長、できません!」

 四人の捜査官は、椅子に縛られて、顔をあげる力もない圭吾に、これ以上の責め苦を与えたくない。

「八矢からの自白はあきらめる。我々のやり方を知られた上は、やるのだ!」

 今泉公安部長は、かつての公安はこのような判断に躊躇がなかったのだ、と諭す。これも公安の任務なのだ、と。

「仲間を殺すなど、できません!」

 場合によっては一般人の命を奪うことも許される公安捜査官も、仲間を自ら殺すなどできない。

「やれ!」

 イライラを募らせた今泉公安部長は、捜査官の手首を引っ張ると、その腕に思い切り鉄球を引かせる。

 ここで手を離せば、確実に圭吾の顔面を直撃する。

「お前の手でやるんだ!」

 二人羽織のように、後ろに立つ今泉部長に鉄球を引かされたのは、今ここで巻き戻しをされている捜査官だ。

「部長!」

 鉄球は離された。

「ヒカリっ──!」

 圭吾の最後の声だった。



 ヒカリは、捜査官の記憶から、確かに圭吾の叫びを聞いた。

「捜査官たちに私から質問させたのは、彼らにそのときの情景を思い起こさせるためだったのね」

「はい。直前に思い起こさせれば、隠したいことでも思考のすぐそばに情景が移動します。巻き戻しが成功する確率が格段に上がります」

 技術だけではない。成功率を上げるロジックも行き届いている。

「あんたは、日本一の巻き戻し師よ」

「ヒカリさん……」

 ヒカリの目から涙が止まらないでいるのに、鋼音は胸を締めつけられる思いだ。愛する夫の最期を、巻き戻して見せてしまった。鋼音は、ヒカリのつぶやきを聞き逃さない。

「圭吾くん。幸せをありがとう……」


 明るく電灯をつけられた部屋となると、ヒカリは平静を取り戻している。

 そして、鋼音と門脇に、寂しい微笑みを向けて、こう言うのだ。

「この人たちは、最後まで圭吾くんを殺すことに抵抗してくれた。それがわかったのは、良かったわ」



 日陽新聞の記者を装ったのは押野勇気である。今泉公安部長の着任前に公安を離れていたから、今泉部長は勇気の声には聞き覚えがない。記者と信じこませて、焦りをあおったのだ。

「お嬢、次の手はどうしますか?」

 今泉部長が圭吾の殺害を企て指示したことが明白になった今、ヒカリはそのあとのことも考えなければならない。

「警視庁の部長による殺害事件となれば、次の警視総監はまた警察庁からの人事になるわね」

「警察庁がこの件を知れば、当然表に出したくなるでしょう。警視庁は阻止したい。ですが、八矢の殺害事件をなかったことにはできません」

 ヒカリも、もちろん圭吾の無念は晴らしたいが、圭吾の意志だった、富樫総務部長を次の警視総監にという思いも遂げさせたい。

「こんな手はどうでしょう」

 ヒカリは勇気に顔を寄せていく。

「さすが策士のお嬢です」

 心肺停止までに陥って、過去の疲労からも体を相当に弱らせたヒカリだが、頭脳はまったく衰えていない。東原公園での八面六臂の活躍を彷彿とさせる気概もそのままだ。


 勇気は、圭吾がなぜ公安捜査官たちに拉致されてしまったのか、やはり疑問に思う。そもそも捜査官たちに見つからなければ、事件は起こらずに済んだはずだ。

「八矢が簡単に尾行撹乱を失敗するとは思えません。敵はもしや、お嬢と八矢の住まいを事前に把握していたのでは? 葛原さんが護衛などの手を打っていることを警戒して、八矢かお嬢がひとりで外に出る機会を辛抱強く待っていたのかもしれません」

 ヒカリの命が狙われていると見せかけた圭吾の策。麗華もヒカリも、そうだと思い込んだ。圭吾は買い物も含めて、必要なものの入手はすべて宅配を使っていた。これらのことは、ヒカリの両親の殺害事件を捜査のための必要な過程だったと思われるが、圭吾の思惑の外で、実際にふたりの安全を守っていたことになる。

「私たちの住まいがバレていたとするなら……」

 昨年一月の下旬、麗華がお忍びでふたりを訪ねてきたことがあった。ヒカリのことがどうしても気になって、尾行には細心の注意を払って来たというが……。

「葛原さんがつけられて、当時の住まいは明るみになっていた。自分はそう見ます」

「住まいを見張って数日後、圭吾くんは捜査官たちに狙われていると知らずに、駿河専務に請われてセイント・セミコンダクターへ。敵は圭吾くんを拉致して、拷問を……」

 麗華のヒカリを想う心が悲劇を招いたのだ。だが、それゆえに麗華を責めるなど、ヒカリにできようか。

 あの日、ヒカリと圭吾の幸せそうな姿を見て、涙ぐんでいた麗華の顔を、ヒカリは忘れることができない──。



 その夜、ヒカリは、富樫総務部長と『光の路』で面会するのだ。ヒカリが呼び出し、富樫部長が応じたのである。

 もはや富樫総務部長の未来は、ヒカリの指先三寸に委ねられたも同然だから、いうとおりに足を運ぶのは当然だ。

 星図に囲まれた鑑定部屋で、ふたりは互いに意の疎通を果たそうとしている。

「今泉公安部長がここまで強行な手段を用いるとは……。四人の捜査官は自白したのか?」

「はい」

 ヒカリの目が、ことが思いどおりに運んでいることを物語っている。自分が囮になって四人をおびき出すのに成功した時点で、ヒカリは勝ちを確信していたのだ。

「簡単に口を割る者たちではないだろう。どうやって?」

 そのとおり、巻き戻しを受けても、口頭では事実だとは言えない立場の四人なのだ。相当に痛い目にあわされても、口を割らずに耐えられる訓練を受けている。

「神林元部長にお願いして、横溝捜査官にきていただきました。横溝さんから、説得してもらったのです」

 公安第一人者の先輩捜査官から諭されて、四人は今泉公安部長の非道を認めたのだ。

「私も古い公安の話は知らなかった。ヒカリさんは、警視庁の中に拷問室がまだ存在しているとみているのか?」

「実際にあることが、公安捜査官たちの供述でわかっています。場所は機械室のようなところのようです。現在は機械室として使われている部屋ではないでしょうか? 通常機械室は地下ですが、警視庁は高層建造です。階上にも機械室があってもおかしくありません。その部屋に、過去の拷問器具がそのまま置きっぱなしになっていたと考えます」

「地上階の機械室はふたつあるはずだが、そこを捜索して見つけたとして、ヒカリさんはどうするつもりなのか?」

 富樫総務部長はそこが当然気になる。殺害事件を葬るつもりはないが、現代に警視庁内で拷問がおこなわれたこと、それと自ら催した政界と財界との要人邂逅のことも表に出してほしくない。

「主人の意志は果たします。私は親占教会とは切り離して、殺害事件の首謀者として処罰してくれることを望みます」

「私も、それができるなら一番良いが……四人の捜査官も罪は免れえんだろう。どうするのだ?」

「四人には今泉公安部長を脅迫の罪で告発してもらいます。部長の立場を利用して、殺人をさせようとした脅迫です」

「なるほど、告発を使うか! その巻き戻しという技術だけでは立証は難しく思うが、告発とは良い手だ。少なくとも今泉部長は立場を失う。さすが霞が関でも評判なだけのことはあるあなただ」

 ヒカリの算段は、結果がどう転んでも、警視庁からの総監昇格人事なら富樫総務部長に傾くものだ。

 富樫総務部長も、これならとヒカリの策に乗ることにする。

「もうひとつ──。私の両親の殺害事件、主人は真相に迫れませんでした。でもこの件も、私が解決します。総本山の菅原事務局長は真実に近いところにいるはずです。攻め落としてみせます。富樫部長がこの件に協力してくださるなら、次の総監が警視庁からの昇格になれるよう、私も協力します」

 それは警察庁からの人事にならないように策を講じてくれるということだ。

 富樫総務部長を次の総監にします、とは言わないのに、成功すると確信までは持てていないのだろうと察するが、今泉公安部長の罪が明らかになった以上、ヒカリの提案に従うのが自分にとって最善なのは明白だ。

「妹をヒカリさんにつける。八矢の敵討ちにもなることだから、全面協力してくれるだろう。外勤の塚原くんも、総務部付きとして妹の下につける。今日にも異動させるから、これからは自由に使ってくれて良い」

 そう決めてから、それまでの緊張した面持ちを崩して、

「といっても、今までも随分こき使っていたようだが?」

 最後に笑いで締めてくれる富樫総務部長。ヒカリはようやく、一年にも及ぶ悲しみの渦に区切りをつけられる感慨に耽るのだった。

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