最終話「悲歌」39
ヒカリは鋼音を連れて、碧泉院流親占教会の門扉をくぐる。葛原麗華は在所していた。
還暦を超えても変わらず、若きころの美貌を彷彿とさせる麗華である。一派を率いて、政財界、文化著名人たちの寵児から、占術の大師にまで地位を上げてきた。
ふたり揃って麗華を訪れるのははじめてである。
「先生、ごきげんいかがですか」
豪奢な応接室で、ヒカリは起立して恭しく頭を下げる。鋼音もヒカリの真似てペコリとお辞儀をする。
「ヒカリさん、まずお座りなさい」
麗華の顔は嬉しそうだ。自慢の愛弟子ヒカリがきてくれただけでない。預けた鋼音がまずひとつ、免許を申請できるまでに育てられたのだ。
「驚きましたよ。巻き戻しの技術免許というのですから。あなたもこの免許は観相のひとつ前の取得で、だいぶ苦労したはずなのに」
「先生。鋼音の巻き戻しは、封印はもちろん忘却をも甦らせる、私以上の効力です。おそらく、日本で一番でしょう。免許を与えてしかるべきです」
「ヒカリさんは師範代を三年やりましたし、名代も務めてくれた、碧泉院流の首席指導者です。そのあなたが免許に相応しいと認めたなら、私が科挙を設けるまでもありません」
免許状を発行する、と確約した麗華も、内心は鋼音の急成長は考えてもいなかった。あかりが入門一年でタロットカードの免許を取るまでになったことも驚異的であったし、やはりヒカリが師匠としても希有の器だったということだ。
「麗華先生、今までのご指導に深く感謝いたします」
ヒカリにおしえられたとおり、鋼音はあいさつを述べてから跪いてお辞儀を重ねる。口上も動きもぎこちないのが、ヒカリには微笑ましい。
「今夜はあかりも呼んで前祝いをするから、帰って準備をしなさい。私は先生とあかりの話をするから後で戻るわ」
今夜は腕によりをかけて、鋼音の好きなものばかりの献立だ。
あかりの鑑定科目はタロットひとつ。占術士としての格は遠くないうちに鋼音に抜かれてしまう。
だからこそ、あかりには名声が必要なのだ。
「彼女の託宣導入は見事なものではありますけど、鑑定所が流行らないのはやはり碧泉院流の看板がないからだと思います。このままでは、タレント程度の占術士で終わってしまいます」
ヒカリはかねて心配していたのだ。あかりが占術士としての実績ではなく、単なる美人占術士として少しの話題をとるに過ぎない人生を送るのを。
「あかりさんも碧泉院流の免許を所持してはいますけど、自分から出ていった者に流派踏襲を許可はできません。独立して碧泉院流としての鑑定をするなら、もう一度ここで修行し直して、独立の許可を得ることです」
「やはりそうなりますね。あかりも意地っ張りですから、今のままでいい、と言い出しそうですが、まもなく独立して三年になります」
石の上にも三年という諺があるが、なんの切り開きもしない三年では報われるものはない。諺の三年耐えろという意趣は、なにもしないで良いということではない。
生活の糧を賭けごとに頼る日々のあかり。パチンコや麻雀、花札、競馬も単勝や連勝に限るという、生活程度の賭け金に抑えているのは、やはりタロット鑑定所に人生を預けたいからだろう。
還元率がホールコンピューターによって決まっているパチンコやパチスロは、その仕組みから厳密にはギャンブルとは言えないが、そのぶん出玉配分の読みと計算力が勝敗をわける。相応に稼げているとはいえ、あかりに向いているとはいえない。
刹那勝負の麻雀がやはり生命線だ。
今日もいつもの雀荘に出向いている。こんな生き方は、十年つづくかどうかだろうとヒカリは先を考える。
「あかりのタロット鑑定は、託宣のリアリズムが個性的で、バリエーションも従来鑑定の倍以上はあります。これだけで一派を成せる託宣素材です。ほかの科目を学ぶことが無駄とはいいませんが、あかりにとってはあまり役立たないのではないでしょうか」
ヒカリは遠回しに、あかりがタロットカード占術士として名を上げるために力を貸して欲しい、と伝えているのだ。賭けごとに頼る生活から脱してやりたいのである。
次は鋼音の話だ。
「鋼音は四柱推命も間もなく修了です。タロットカードもあかり並みとはいかないまでも、免許を視野に捉えています。私の得意科目の方位占術も並行で学ばせます。比較的楽な姓名鑑定や占星鑑定もこれからですから、あと五つの免許を一年以内に取得可能です」
そう話しているヒカリのほうがワクワクを感じてしまう。碧泉院流の真髄とされる観相は別にして、占術科目の総免許を達成したのは、当時十二歳のヒカリが最年少。次点はというと十九歳、それもだいぶ前のことなのだ。鋼音は修行次第で次点を目指せる。
「ヒカリさん。占術士は鑑定をしてこその存在です。『光の路』を再開して、鋼音さんにも鑑定させるのでしょう?」
本来は親占教会に戻して鑑定の実践を積ませるのだが、麗華はヒカリがどれほど鋼音を可愛がっているかがわかっている。特例としてそばに置かせてあげるつもりなのだ。その気持ちに感謝せずにはいられないヒカリだが……。
「そんな日がくればいいなと思ってます。ですが──」
鋼音の過去、そして記憶に決着をつけなければ、ヒカリが望む穏やかな日々は訪れない。
「鋼音の両親、八年前に経済的困窮に陥ったことがわかっています。先生に心当たりがありますか?」
「八年前……衆議院選挙供託金事件かしら?」
思い当たるとしたらそれしかないと麗華はいう。
「はじめて聞きますが、どんなできごとだったのですか?」
親占教会や麗華自身とは無関係の詐欺事件だという。なので当事者と麗華以外は事件のことを知らないそうだ。
八年前。衆議院解散に伴い総選挙が告示されたが、ある占術士の知人が東京都内の選挙区から出馬することになった。
無所属かつ政党推薦なしの厳しい選挙戦となるが、とにかく政策内容を訴えたい意欲が高かった。費用は自分でも用意があるが、供託金の工面だけが残っているとのことで、占術士は親占教会の仲間たちに供託金出資を募ったのである。
たとえ落選しても供託金は規定の得票数を得ていれば戻ってくるし、たとえ届かなかったとしても返済は必ずできる、と担保も見せた。当選の暁には出資者はそれなりに優越の恩恵を受けられる、という甘い文句もあった。
ところがである。
出馬の話自体が嘘だった。三百万円の供託金は、偽立候補者とともに消えた。
麗華はこの事件をだいぶあとになって知った。その偽立候補者がほかの事件を起こして逮捕され、保釈中に自死してしまったという。余罪として明るみになったのだ。そのとき麗華の身には、ヒカリの母睦美と父信太郎が自宅で殺害されるという事件が起こったばかりであり、警察への対応、葬儀の手配、なにより深く傷ついたヒカリを守ることに精いっぱいで、事件を深く追及する余裕がなかった。
「先生。ある占術士とは、鋼音の継父ですか?」
「それもわかりません。ある占術士が誰なのかはみな口を閉ざしました。口車に乗って出資した人たちも誰なのかわかりません」
麗華に知られれば破門もあり得る。露見までの数年隠しとおしたのは当然だろう。
その占術士が鋼音の継父だろうと、ヒカリは考える。
鋼音の継父は一家の蓄えを失ったばかりでない。誘った仲間の占術士にも謀られたお金を返済するために、食事にも事欠くほどに生活が苦しくなった──理屈は合う。
「総本山は政界、財界の支援なしで運営は成り立たない。先生は太い支援者のもとを訪れていらっしゃるし、私もここにいたときはそうでした」
親占教会を訪れた政界の誰かに声をかけられて、供託金詐欺に引っかかってしまったのだろう。
「……」
そうなると、ヒカリには腑に落ちないこともある。鋼音の継父は政財界の人物と接することができるような格ではなかったはずだ。いつどこで引き込まれたのだろう。
「その件を、事務方が知っているということはありますか?」
「みな騙されたことを恥じて話しませんでしたから、ないと思いますが……」
だが取られた金に困ったなら、報酬を管理する事務方に相談した占術士もいたかもしれない。いや、必ずひとり以上はいただろう。
「先生、ありがとうございます」
供託金事件のことは、市川に住む義母、彩子のほうが詳しいかもしれない。
ヒカリは塚原望と落ち合うと、電車に乗り市川まで向かう。
圭吾の母、彩子の家だ。
「お義母さん……」
思わず彩子に抱きついてしまうヒカリだ。その姿に、思わず目が潤む塚原である。
「ヒカリちゃん。圭吾の最後の仕事を、あなたがやり遂げてくれたのね。さ、こちらで報告しましょう」
仏間に足を向けた三人は、それぞれに遺影に手を合わせる。
「塚原さんも、こうして主人に手向けをつづけてくれること、ありがたく思っています。人を残すのが人の道、と常々言っていた主人です。警察官としての道は、間違っていなかったわ」
「奥さま、恐縮です」
「そして今度はヒカリちゃんのために、力を尽くしてくれているのよね。圭吾も喜んでいるでしょう」
「親占教会にはお嬢さまのご両親殺害に関与した人物が必ずいるはずです。自分は管轄外ですが、外勤ですから自由が利きます。必ずお役に立ってみせます」
ヒカリは、塚原を警視庁の渉外として親占教会に送ることを、富樫総務部長にかけあっている。事務方と対等以上に話せる立場だ。接近させるなら少しは圧力をかけられるほうが良いはずだ。
「お義母さん、八年前のことです。衆院選挙出馬を騙った供託金詐欺があったと知りました。総本山の事務方からそんな話を聞いたことはありませんでしたか?」
「ヒカリちゃん。睦美たちが殺されたころよ。その話が葛原さんに知られるところとなって、占術士たちが話を聞かれたわ。でも、睦美たちの事件があったから、一度の聴取で終わったのよ」
「先生の話では、誰が供託金をもちかけられ、総本山の占術士たちに出資を募ったのか、結局わからず終いだったそうです。みんな騙されたことを恥じて、口を閉ざしたようなのですが、騙された人の中にはお金に困った結果、事務方に報酬の相談をしたのもいたのではないかと思うのです。そんな話を聞いたことはありませんか?」
彩子も睦美と親しくしていたが、親占教会に直接出入りをしていたわけではない。だが睦美が独立の計画を立ててからは、事務方への接触はあった。そこで耳にした噂を覚えていた。
「以前報酬の前表示をした占術士がいて、その占術士は破門になったそうよ。前表示というのは前借りと同じで、お金に困っていたからだと思うけど、関係あるかしら?」
「どのくらい前の話なのでしょう……」
「破門になったのは六年くらい前よ」
六年前──。鋼音の両親が、鋼音への猥褻行為を名目に破門になった時期と符合する。
事務方に報酬の相談をしたのは、鋼音の継父と実母その人ではなかっただろうか。
「お義母さん。総本山の事務局長についておしえてもらえますか。お義母さんは、両親の独立計画をひそかにたてたときには事務方と関わりがあったのですよね」
事務局長は立場上、政界と財界どちらにも接客する。圭吾の親占教会捜査には欠かせない重要人物だったはずだ。
「事務局長は菅原という人で、以前は厚生労働省の官僚だった人よ。出向が多くてほうぼうに顔が利くから、総本山に各方面からの便宜を期待できるということで、事務局長に引き抜いたと聞いているわ。ちょうどヒカリちゃんが生まれたときのことだから、よく覚えているわ」
事務局長交代についても、特にトラブルはなかったという。麗華は重病の彩子の夫へ、先進医療の高額な治療費を出してくれていた。当時は何度も事務局を訪れていたので、事務方の様子はある程度わかっていた。
「事務局長の腹心のような人はいましたか?」
「特には……。事務方は人も多くないし、半分は占術士の世話係のような立場だったでしょう? ヒカリちゃんくらいの上級占術士はまったく顔をみないでしょうけど」
事務方が上級鑑定占術士とは直接つながらないのは、親占教会の方針だ。占術に専念させるためである。
「圭吾くんも、総本山のなかでは事務方に入ります。私もボディーガードにきてもらうまで、圭吾くんのことは知りませんでした。事務局長は圭吾くんをセイント・セミコンダクターの駿河専務につけるほどでしたので、信頼を得ていたのだと思いますが」
「事務局長に信用されることが、睦美たちの事件を捜査できる早道だと考えていたのね。圭吾が睦美たちの事件の犯人を絞れていたのか、私は聞かされていない。指示役と実行役がわかれていて、実行役は総本山とは関係のない人物を雇ったか依頼したかもしれないとは思うけど」
「おそらく圭吾くんは、動機を見つけて犯人に結びつけるのでなく、先に犯人を挙げて動機を追及する方針をとったんですね。だから実行役に近いとみた事務局長に近づいた……」
そうなると、事務局長が過去に出向した省庁で結びついた者が実行役となりそうだ。これは洗い出すのにかなりの苦労だとわかる。
だが、塚原がそれを承知で身を乗り出すのだ。
「事務局長の周辺に、そんな仕事を請け負うような輩がいるのか、そこを調べる必要があります。自分にまかせてください」
「気をつけてください。事務局長の周辺ではなく、警視庁の誰かの子飼いという可能性もあります。工藤巡査が昨年、はじめて総本山の中に入って、事務局長と面会しました。富樫総務部長からの直の伝言があったのだと思います。富樫総務部長は事件の被疑者側ではありませんが、次期警視総監の椅子を争う以上、政財界の不正は表に出したくない人です。隠蔽が危ういとみたらなんらかの手を打つはずですので、危ないと思ったら、私や押野さんとよく策を練ってから動くようにしてください。約束ですよ」
ヒカリには任侠という心強いバックがあり、任侠の下には黒潮組がいる。親占教会に送りこみたい塚原に、危険な高潮に飛び込ませる無理はさせたくない。
「お義母さん、最後にお尋ねします。総本山と文部科学省とに、なにか特別な関係があったという話は聞いたことがありませんか?」
「文部科学省? どうしてそんなところが……」
やはり彩子にも意外な名なのだ。謎がひとつ増えてしまった。
「お義母さんでもわかりませんか……。でも、必ず関係しているはずと思うのです」
帰り道、ヒカリは富樫総務部長に頼んだ渉外役への指名を催促すると塚原に伝えたあと、
「圭吾くんはもしかしたら政財界の不透明なお金の流れも、世間からは隠すつもりだったのかな。お母さんたちを殺した犯人を捕まえるために……。カズサビューティーも、セイント・セミコンダクターもそういう任務だった。富樫総務部長は圭吾くんと利害が一致していたんだ。だから陰で支援した……」
そうひとりごとを口にすると、富樫総務部長と今泉公安部長とが、真逆の結果を求めていることに改めて気づくのだ。そして神林元公安部長は富樫総務部長側。警視庁の相関図が明確に見えてくる。
「塚原さん、八矢家に上がったのはかなり久しぶりなのでしょう?」
塚原の数年ぶりとなる仏前へのお参りの姿に、圭吾の父への尊敬を改めて感じたのだ。
「仙中交番に配されてからは、はじめてになります。お嬢さま。奥さまはずっとおひとりで寂しい思いをされていたと思うんです。お嬢さまが一緒に暮らしていただければ、さぞ安心されるかと」
彩子の様子に、寂しさの翳を感じ取っていたのだろう。ヒカリもしんみりとうつむいて、ひとつうなずくのである。




