最終話「悲歌」36
ヒカリは碧泉院流親占教会の事務局長のことを聞き出す。
長い年月、占術士として在籍していたが、事務方と話すことはなかった。ましてや小学生のころから格上として扱われ、中学では師範代そして名代として葛原麗華に次ぐ立場で敬われてきたヒカリである。事務に煩わされることなく過ごすのが、上級占術士のステイタスなのだ。ヒカリも事務方の職員はもちろん、事務局長の名前すら知らない。
碧泉院流の大師麗華も、各省庁との折衝などは事務方に任せており、その報告を聞くだけだ。
「事務局長は菅原久信という男で、前任の事務局長から受け継いでかれこれ十七年ということです。野村さん、彼は前職は旧厚生省の官僚で、旧大蔵省、旧総務庁、そして警察庁にも出向の経験があります。大変顔の広い人間です」
駿河専務は政界の実力者との仲介を受けていただけあり、菅原事務局長とは懇意に近い間柄である。
「警察庁にいたことがあるのですか」
まだそのころの人脈を保っているなら、事務局長と同年代の当時同僚には、警視庁に転籍し次期警視総監を狙える者もいるはずだ。
警視庁総務部と密につながりながら、警察庁とも関係を保つ。現職の五味警視総監の後任が誰になろうが、親占教会の事務業務に便宜をもらうつもりなのだろう。事務局長の立場ならまっとうな考え方だ。
だが、警視庁か警察庁、親占教会が得ている利権絡みでどちらかを推す意図を持っていたなら、排除したいほうになんらかの策を弄する、そういう立場でもある。
圭吾がもし、事務局長の与するのがどちらなのか察していたら──。
「富樫総務部長の、警視庁内での立場はどんなものだったのでしょう? 公安の神林、今泉、新旧の部長とは、本当のところどこまでの信頼関係があったか、わかる範囲でけっこうです」
「富樫総務部長は警視庁の部長たちのなかでも、本間刑事部長と並ぶエースです。警視監になれば、そう間をおかずに警視総監になれる人と目されていました」
「親占教会ではほかの部長たちとの忖度があったと思います。ほかの部長に近しい人物が親占教会に出入りしていたはずですが、気づきませんでしたか?」
「富樫部長は政界と財界の要人同士を親占教会を通じて引き合わせることで、彼らからの支援を受けていました。警視総監になるために、政財界からの圧力を自分のために使ってもらうためです。ほかの部長といいますと、神林さんの配下がきていたはずです」
神林元公安部長の配下。ならば圭吾とは顔見知りになるではないか。だが神林元部長なら圭吾にとっては味方になるはず。
「富樫部長と神林さんは互いの協力体制をとっていました。神林さんは定年も近く警視総監にはなれませんので、富樫総務部長を推す立場にいたはずです」
「神林元部長が定年退職されて、今泉公安部長となりました。総務と公安の関係はかなり変わったはずです」
「今泉部長になってから、公安の人はまったく姿を見せなくなりました。総務と公安の関係も、以前のような密なものでないのは、私も富樫部長にお会いしてよくわかっています」
「公安の人間がまったくこなくなった……」
つまり、神林部長時代は捜査官としてほかの捜査官との連携があったが、今泉部長となりひとりでやらされていた。唯一、富樫総務部長の計らいで工藤巡査が報告係としてかかわるだけ。
神林元部長の腹心だった圭吾が疎ましいにしても、やりすぎではないか?
「事務局長さんは、率直にいって、総務か公安か、どちらについていたと思いますか?」
警視庁と警察庁、双方と持ちつ持たれつを築いていたにしろ、警視庁に対しては、はっきりどの派の味方なのかを示していたとヒカリは推測する。
「……」
駿河専務は考え込んでしまう。
「わからないのですか……」
ヒカリはここで、捜査官としての圭吾が、所属の公安よりも総務に寄っていたと察するのだ。
「八矢さんのことをお聞きします。彼はお父さんが葛原麗華さんの庇護下で高額な医療費がかかる治療を受けていました。お父さんは余命二年と宣告されていましたが、葛原さんの権威で高度医療、その医療費負担の尽力で六年間生きることができました。とても感謝していたと聞いています」
「彼とは親占教会で知り合いました。葛原さんの特別の計らいで、事務方の仕事を手伝っていたのです。事務局長も彼には表に出せない役割りを頼んでいました」
「政界と財界の人物の邂逅を手助けするのは、表に出せないものとは言えません。事務局長が頼んだ役割というのは、政治資金の受け渡しですね」
さすがに駿河専務も、ストレートに追及されると、うっと唸ってしまう。
「セイント・セミコンダクターを助けてくださった野村さんですから、隠しごとはしません。経済産業省に近しい国会議員への献金──闇献金です」
「警視庁公安部が長い間追っていた政財界の不正な政治資金疑獄。よりによって公安捜査官の八矢さんにその受け渡し役をさせたことになります」
「私は当時、彼が公安から潜入している捜査官とは知りませんでした。そうだとわかったのは、彼がセイント・セミコンダクターに捜査官として派遣されてきたときです」
「駿河専務。あなたは八矢さんに全幅の信頼を置いて、セイント・セミコンダクター内でその活動を庇護しました。それは──」
「そうです。親占教会では何度も八矢くんに政治資金の受け渡しのカモフラージュを受けました。あの手この手で、百錬の策士のようで、彼なら信用に足ると確信したわけです。その彼がセイント・セミコンダクターを台湾侵食から救うためにきてくれた」
その後のことはヒカリも承知だ。
「話を親占教会でのことに戻します。政財界の不正なお金の流れを捜査していた捜査官が、その事実と証拠をつかんでも摘発に動かなかった。上にも報告しなかった。変だと思わなかったのですか?」
「八矢くんは、標的はもっと巨大な企業と大物政治家だと言っていました。ここで我々を摘発してしまえば、大物は隠蔽を施して逃げ切ってしまう、と」
もっともな理屈である。だがヒカリにはわかる。表向きの理由だと。
「八矢さんは親占教会で、もうひとつの事件の捜査を並行していました。平成二十七年三月に起こった、教会所属の占術士夫婦殺害事件です。なにかうかがっていませんか?」
「事件のことは耳にしたことがありますが、そのことは彼の口からは……。いや、確か、誰かとどこかの殺人事件のことで会話をしていたことが。ですが誰だったかまでは……親占教会の人間も全員を知っているわけではないので。外部の者かもしれませんし」
「男性か女性かは覚えていますか?」
「男性で間違いありません。親占教会の事務方に女性はおりませんし、女性ならもっとはっきり覚えていると思います」
ヒカリは二度うなずくと、
「鋼音──」
それまでオレンジジュースをストローで吸いながら、じっと話を聞いていた鋼音に、出番よ、と促す。
駿河専務も碧泉院流親占教会でのことをすべて明瞭に覚えているわけではないだろうとわかっていた。ヒカリでさえできない、忘却した記憶を呼び覚ます巻き戻しを起こせる占術技術。覚醒した鋼音が、その使い手としてヒカリの秘密兵器の役割りだ。
「専務さん、こんばんは」
駿河専務は、薄桃色のカチューシャを頭につけた、十代半ばだろうがそれより幼く見える少女へ改めて目を向ける。
「これは野村さんと色違いのお揃いのカチューシャですね」
「ええ、でもカチューシャではなく、この子の目を見てもらえますか」
ヒカリが強い口調で促す。
「目ですか?」
駿河専務の視線が鋼音の両目に合ったとき、サーッと空気が冷たくなる。駿河専務の周囲は真っ暗になり、ポッと浮かぶのは八矢圭吾の姿だ。
圭吾の向こうに、男性がひとり立っている。
「駿河さん、ちょっとすみません」
圭吾はひと言ことわって、その男性に近づく。
「富樫部長に伝えてください。まだ確たる証拠までは……でも近いうちに必ず」
男性は、わかった、とひと言残し立ち去っていく。
「この人は…、神林さん?」
我に帰った駿河専務は、自分の記憶に驚いている。当時は神林元公安部長との面識はなかった。気づかなかったのも当然だ。
神林元公安部長が自ら親占教会に姿を見せて、圭吾と直接やりとりをしていた。それだけでも構図がほどけてくる。
そして圭吾の伝言。重要なひと言だ。
確たる証拠。捜査対象の政財界の不正な献金のことに聞こえる。
──いえ、そうとは限らないわ。
ヒカリは別の角度で、圭吾の言葉を受け止めてみる。
──占術士夫婦殺害の犯人を特定する証拠。
殺人事件の話を念頭に置いて巻き戻った記憶だ。だからヒカリにはそのような気がしてならない。そしてそれを神林元部長に伝えている。
不正な政治資金のことは、おおむねをつかんでいながら、報告をしていなかったとわかっている。その摘発が行われれば、ヒカリの両親殺害の捜査が相当やりにくくなるからだ。
神林元公安部長から伝えられ、富樫総務部長は圭吾が職務以外の捜査を行なっていることを知っていた。そして黙認していた。いや、それにとどまらず、支援していた……。
辻褄が合わない。工藤巡査は圭吾が職務外の捜査を行なっていたと知るや、富樫総務部長への報告は当たり障りのないものにして知らぬふりをした。そのかわりに、圭吾に交際を迫ったのだ。
──工藤巡査は圭吾くんが単独で殺害事件の捜査をしていると思い込んでいた。でも実は、富樫総務部長は承知で、陰で援助を……。それは異母妹である工藤巡査の想い人と知っていたから? そんな理由で……?
ヒカリはまたひとつ増えた謎に、智力を注いでいく。
「駿河専務はいつから親占教会に出入りするようになったのですか?」
「もうかれこれ五年ほどになりますか」
「ではその殺人事件が起こった、ちょうどそのころになります。当時、親占教会について事務方でされていた噂とかを聞いた覚えはないでしょうか。」
占術士は教会運営については一切知らされない。安心して鑑定に臨める環境を保証するためだ。まだ小学生だったヒカリはもちろん、ヒカリの両親もそのはずだ。むしろ、事務方と接する政財界の部外者のほうが、事情通ともいえる。
「噂ですか……。聞いたとしても、覚えておりませんなあ……」
駿河専務もだいぶ以前の、それも些細なことなど、もちろん記憶にない。
「もう一度、過去へ飛んでもらいます。五年前、ここでどんな話を聞いたか、思い出してみてください」
ヒカリは簡単にいうが、闇に包まれる感覚は、一度受けると深層心理が警戒する。間を置いたならともかく、今さっき巻き戻されて、すぐに再度の巻き戻しにかかるものなのか。
「鋼音、できるわね」
ヒカリの目は信頼の色を見せている。
「できます。今度は引き込み方を変えますもん」
「じゃ、も一度私の目を見てくださいね」
視線が合った瞬間、鋼音の瞳に吸い込まれるように、駿河専務は異世界へ飛んできたかのような錯覚を覚える。引き込まれたのだ。
聞こえてくる。噂話だ。
「諍いは文科省からだ」
「大師を抱き込めるかだ」
「大師ではないな。姫様のほうだろう」
「内紛か? どこにでもあるんだな」
耳にしたのはこれだけだ。駿河専務は何の話なのか皆目わからない。数カ月過ぎても結局なにも変わったことは起きず、記憶は忘却の彼方へ──。
駿河専務が聞いたのは、断片ばかりだ。ひとつひとつはつながりをもたない。
駿河専務の記憶に甦った言葉を書き取ったヒカリは、姫様、の文字を囲む。
姫様とはヒカリのことだ。親占教会の支援者には、天才占術少女を偶像のように崇める者も少なくなかった。ヒカリの母、睦美が親占教会からの独立を画策した理由のひとつである。
「諍い。内紛。どちらも事務方の視点で言われた言葉だわ」
事務方に絡むのは厚生労働省、そして警視庁。駿河専務の記憶からは、文部科学省の言葉も。
「なぜ文科省が? 総本山とどう関わるのかしら?」
百合がゆっくりと水割りを口にしている。
鋼音もおかわりのオレンジジュースを。
ヒカリは烏龍茶からレモンティーに。
駿河専務を帰して、テーブルには重苦しい空気が残る。
「謎がほぐれて、新たな謎ね」
黙りこくってしまったヒカリに、百合が言葉をかけるが、それでもヒカリの表情には冴えがない。
「鋼音。あんた総本山にいたとき、ずっと麗華先生の付き人をしていたわよね。麗華先生は省庁の役人と面会することはほぼなかったはずだけど、例外的に迎えた人はいたかしら?」
「わかんないです。それに、いたとしても、事務局長さんが同席するんじゃないですか?」
そのとおりだ。だからおかしい。いつなのかはわからないが、麗華は文部科学省の官僚と自分だけで会っている。そうでなければ、無関係のはずの省が出てくるわけがない。
なんのために? 母の睦美の独立の企てを知ったからだとしても、文部科学省はつながらない。
「いえ、つながりが見えないだけ。意味は必ずあるわ」
ヒカリの目は燃えるような色に映えている。自分が碧泉院流親占教会で直接捜査するときがきた。
──圭吾くん、待っててね。私が必ず……。




