最終話「悲歌」24
ヒカリの私室のリビングに置かれているディスクプレイヤーの上に、録画ディスクが五枚重ねられている。
どれも澄花の選手時代を語るのに外せない試合の録画だ。そのうち、澄花のキャリア初期のマッチゲームの模様を収めた一枚は、ヒカリも通して鑑賞した。
澄花のデビュー一年目、シーズン終盤にレギュラーに定着し、期待のストライカーとして注目されはじめたころだ。
澄花のキャリアで一試合三得点、いわゆるハットトリックをマークしたことが二度ある。その最初がヒカリも観たこのゲームだ。
澄花が出演する情報番組の企画で、澄花の現役時代のダイジェストを作ってみることになった。
視点の広さと、個々のプレイの有機的関連の提示、組み立てが明快な解説は世間で評判となっている。サッカーを詳しくわかっていない層にも、技術と知力が融合する醍醐味を感じさせるのだ。
下部リーグのチーム所属ゆえ、現役時代は無名だったので、なおのこと彗星のごとくあらわれた名解説者との世間の認知だ。
その人気に乗じて、知られざる澄花の選手時代の活躍を紹介する意図だったが、そのナレーションを瑠璃が担うことになったのは、コーナー制作費の都合である。
当初は神ユミカがこの役を買って出た。澄花の親友なのだから、制作費が出せないならノーギャラでも引き受けると息巻いたのだが、もはやトップクラスの女優の評価をもつユミカにノーギャラを許せば、他の仕事に対してもノーギャラの前例を作ってしまう。
事務所社長も澄花にはスキャンダル収拾に尽力してもらった恩義があるので板挟みになるが、結局、他からナレーションを連れてくることになった。
しかし制作費の都合上、声優すら起用することができないとなり、局のアナウンサーならギャラを考えなくても良いので、その方向で話が進んだ。
ところが、制作会社はナレーターの人件費込みでの制作費を局から提示されており、ギャラのない局アナを使うならその分制作費を減額すると局から通達される。制作会社はむろん困る。
お鉢が回ってきたのは瑠璃なのであった。
瑠璃は、ヒカリさんが許してくれたら引き受ける、と返事は保留したのだが、自分の芸能活動のせいでヒカリが死線をさまよったことを考えると言い出しにくい。当の瑠璃も、芸能の仕事は今後一切しないと誓っていたのだからなおさらだ。
鋼音に相談しても答えなど出ず、とうとうヒカリに言い出せないまま制作が進んでしまい、打ち合わせまで足を運んでしまった。
鋼音の口からヒカリの知るところになったが、ヒカリは黒潮組の処理や誠実学園高校相撲部のことで手一杯だったからか、叱られることはなくホッとするのだ。
ヒカリのほうは、瑠璃から改めて、澄花さんのためだから引き受けさせて欲しいと強く願われると、複雑な思いは置いておき、ナレーションの担当を許すことにした。
しかしである。テキストを読みながら滑舌の練習をしている瑠璃なのだが、その舌の回り方を聞くと、これは栞に頼んだほうが良いのではと思えてくるヒカリなのだ。
ドラマのセリフならまだ許容範囲だが、ナレーションでは発音もアクセントも欠陥だらけに聞こえてしまう。栞なら滑舌もできるし、カズサビューティーグループのCMは一発オーケーだったときく。
だが瑠璃の承諾なしに勝手に栞を引き出してしまえば、当然怒らせてしまうだろう。また距離が離れてしまう。出ていかれでもしたら、鋼音も親友を失う。
事務所お抱えのボイストレーナーを頼んで発声と滑舌を鍛えてもらことを条件に、ナレーションを許可したという展開だが、せっかく切り離せた芸能の世界にまた近づけてしまう結果となるのが、ヒカリにはやるせない。
葉山由紀子が結婚を望む男性、川原謙次郎は、ハウエル・エレクトロニクスの輸出調整部長。由紀子はその部下のひとり。
由紀子を含む熟女三人は、謙次郎に心を寄せている。しかし謙次郎には、恋愛ではない別の目的があって、部下でもある三人と近しい関係をもっているとヒカリは感じる。
あかりのタロット鑑定所で、ヒカリは由紀子と会ってみることにしたのだ。
「先日、ご両親が見えられましたよ。由紀子さんのご結婚が成るかどうか、心を痛めていらっしゃいました」
ヒカリはまず、由紀子の心中を知っておきたい。及ばぬ鯉の滝登りと自覚していての恋心であれば、両親には話さないだろうと思うのだ。可能性を感じるからこそ、年老いた両親を残して家を出ることへの覚悟を伝えたかったはずだ。
「私も、ひとり娘として親を最後まで面倒見たかったです。ですが、親を見送ったあと、自分ひとりだけの人生になることが、とても寂しいものに思えて、孤独のまま自分も年老いて死んでいくのかと考えると……とても不安で」
あと数年も過ぎれば、由紀子を結婚相手にと考える男との出会いはないに等しいだろう。四十八歳という今の年齢でさえ、世間一般ではよほどのステイタスを伴っていないと難しいのだから、この年齢を交際相手の対象に含めている男性がいるなら、逃してはならない。そう思うと、なにがなんでも結婚にこぎつけたい。由紀子はもう先しか見つめていない。
「ご両親のご依頼で、ほかおふたりの結婚運を見ました。一応結果は出ていますが、状況との照合もしておかないと、誰が有利なのかを見誤ります」
ヒカリはそううまいこと誘導して、ハウエル・エレクトロニクス輸出調整部のことを聞き出す。
部長の川原謙次郎は部長代理職であった四年前、主な取引先となる台湾企業数社を優遇することで、ライバルとなるセイント・セミコンダクターとの受注合戦を制していた。
その功績で部長に昇進したが、セイント・セミコンダクターが半導体からメモリーに軸足を移したことから、出遅れたハウエル・エレクトロニクスは輸出業績が低迷するようになる。
半導体においても、メモリーとの抱き合わせで値を下げ、出荷額を抑える手法をとったセイント・セミコンダクターの後塵を拝するようになった。
だが、技術面ではハウエル・エレクトロニクスも負けてはいないはずだ。安いが正義の分野ではない。むしろ性能が重要で、日進月歩の半導体開発事情だから、追い越しては追い抜かれの繰り返しで、両社とも同じような業績で推移するはずなのである。
部長である謙次郎は、このままでは低迷の責任をとらなければならない。競争に負けている理由を洗い出すことも必要だ。
ちょうど一年前、昨年の一月のある夜、由紀子は謙次郎から食事の誘いを受ける。そこで、酒をともにして、謙次郎は、これまで独身を通してきたが、伴侶を娶ることも考えているとポロッと漏らすのだ。
気の置けない同年代の女性が良いが、なかなか相手がいないと笑いながら話す。
若いころから女遊びで名を通してきた謙次郎だと由紀子も知ってはいたが、だからこそ女性の扱いもうまく、喜ばせ方を知っている。そんな男のほうが、女としては幸せを感じさせてもらえる気がして、なにか交際に持っていけそうな話題をと考えていると、謙次郎は、台湾のエムジー工業という会社への接待に同席してくれ、と頼んでくるのである。
由紀子はその席に謙次郎と出てみると、自分の現職はハウエル・エレクトロニクス下請けの工場の社長になっていた。
ヒカリはうなずきながら、やはりという感触を得ている。エムジー工業とは、圭吾が転売益の還流を依頼した企業だ。
ほかのふたりも、謙次郎は何かに装わせていたと見る。だが、由紀子はそれに気づいていない。
謙次郎から特別な頼みをされて協力している自分は、ライバルふたりより信頼されており、有利だと思い込んでいる。
ヒカリはつぎに、小諸典子という女性のことを聞いてみる。子どもも社会人となり、自分の幸せに目を向けることができるようになったという話だった。しかし、その子どもはひとり息子なのだが、定職に就いたわけではなく、アルバイトの掛け持ちで母親とふたり暮らしをしており、その息子が謙次郎に一発お見舞いした男なのである。素行も良いとは言えなさそうだ。吉川巡査部長によると、未成年時に補導歴があるらしい。つまり、グレた息子なのだ。
「川原さんは小諸さんとおつき合いされていると複数の人が言っておられます。息子さんも、交際を認めていらっしゃったようですが」
「小諸さんは人はいいんですけど、男性にはだらしないんです。息子さんも、若いころに不倫した相手の子どもで、周りには離婚したといってますが、結婚したことがないんですよ。つき合った男もみな妻子持ちばかりで、要は不倫でなければ恋愛できないタイプです。彼も小諸さんのことは良く言ってません」
なのに周囲から交際していると認知されているのはなぜなのか。相手が妻子持ちでなければ恋愛感情が持てないのに、独身の謙次郎とつき合っている。由紀子の話には矛盾がある。
「だから私もおかしいと思うんです。本当はつき合っていないんじゃないかと。きっと、私との交際を隠すためではないかと」
それはいくらなんでも都合の良すぎる解釈だろう。
「あなたとの交際を隠す理由は?」
「エムジー工業を騙していることが、バレないようにではないかと」
ヒカリはうーんと考え込んでしまう。
「エムジー工業のそちらとの窓口は、やはり台湾の人ですか?」
由紀子の恋とは関係ないことだが、やはり聞いておかなければならない。
「いえ、出向されていた人で、今は日本法人に戻っている人です。佐藤さんという人です」
佐藤という姓では何人も該当者がいるだろう。だが名刺を見せてくれとまで頼んでしまえば、いくら由紀子でも不審を持ってしまう。
ヒカリは橋中円香のことも由紀子に聞いてみる。
謙次郎が本当に伴侶を求めているなら、円香が本命だろうと見ている。
「橋中さんは今はハウエルにはいないんです。どこかに出向しているらしいんですが、詳しいことはなにも聞いてません。彼がなにか橋中さんの不祥事を知って、飛ばしたという噂ですよ」
「では、三人の中では……」
「彼とは一番遠いです。でもネイルが趣味で、うちの会社でも彼女にネイルを頼んでいる人がいて、ときどき顔を見かけます」
円香は由紀子同様、どこかとのコンタクト要員をさせられているのだろう。押しが強く、男性を引っ張るタイプの円香だが、曽根八幡神社での様子では、謙次郎はそんな性格をうまくコントロールしている感じがする。
そんなタイプの女性を手中におさめているということは、男女の仲であろう。
一番遠いと見せかけているなら、由紀子以上に大きな役回りということだ。
「由紀子さん。率直に言いまして、彼は恋愛と結婚はまったく別物と考える男性です。仕事を離れて癒される時間を求めるような人ではない、公私を一緒にするタイプです。だから、おつき合いされているだけで、その先に結婚があるわけではありません。彼と結婚したいなら、あなたが必要な存在にならないといけません。それも、ほかの人では替えにならないような存在です。エムジー工業のことは、あなたでなくても替えが利きます。リードしたつもりになってはいけません」
今のままでは結婚に至らない、とヒカリは言い切ってみる。
これはカウンセラーであっても占術士であっても、答えは同じになる。結婚にまで進まないことを今から意識させておくことが、由紀子のためだ。




