最終話「悲歌」16
土俵際、両者もつれて横に倒れ込み、審判も勝負の判定をすぐに出せなかった。
このような際どい土俵際では、審判ひとりの判断によらず、土俵近くにいた関係者にも助言を求めることがある。
審判は別角度から見ていた運営のもとにいく。
「どちらの体が先に落ちたのか、確認しようとしているみたいです」
関係者たちの様子から、澄花がそう口にする。
大相撲と違い、高校相撲では取り直しはない。引き分けが存在するのだ。
同時に落ちたと判断されれば引き分けとなる。ならば両校二勝二敗一引き分け。その場合、勝負のつけ方は大会によって異なるが、高校相撲ではどの順が引き分けであろうが、大将戦を再び組んで決着をつける大会が多いという。
澄花が宮様杯規定を読み直す。
「……宮様杯も東京都予選は大将戦を六戦目に組ませます」
大将戦の引き分けでは実質取り直しなのだが、原田の攻め方はもう浜岡に通じない。これは誠実学園高校には格段に不利な状況だ。
二分が経過した。確認にしては、かける時間がずいぶん長い。
アマチュア相撲では大相撲のようにビデオ映像を確認して軍配を確定させることはしていない。まだ試験導入が検討されているだけで、実施に至っていないのだ。
だから高校相撲では、際どい勝負は検証に時間をかけずに引き分けとすることがままある。引き分けなら、審判はすぐその結論を出し六戦目を行わせるはずだ。なのに、その準備がはじめられていない。
「勝負がついたのよ。優勝を決める確認だから、その結果を回して、運営関係者の了承を取っているんだわ」
時間がかかっているのはそのためだと、ヒカリは読んだのだ。その見解に、桃と澄花は運営の席に目を移す。
見ると運営関係者たちがなにか言ってはうなずいて、伝言を送っている。
「──勝ったわ」
確信を帯びたつぶやきを発するヒカリだ。桃と澄花が、えっ、とヒカリの方を向く。
そして審判が土俵に上がると、誠実学園高校のほうに手を向けた。
「勝者、原田」
わああっ、と会場が歓声と悲鳴入り乱れて騒然となった。
「優勝だっ!」
「やったぞおっ!」
「俺たちが……夢じゃない!」
両手をあげて叫んでいる選手たちに、ヒカリが、まず最初にすることがあるでしょう?と笑顔を向ける。
その先は、家族応援席だ。部活動を支えてくれた家族に感謝を伝えなさい、とヒカリは目を細める。
「はいっ」
背後の観客席に向かって並び、ありがとうございました!と深く一礼をする選手たちだ。
「ヒカリ、なんでわかったの?」
「ヒカリさん、おしえてください」
桃と澄花は、引き分けと思っていた。
ヒカリは、先に土俵についたのはどちらかの確認ではなかったのよ、と自分の両手を交叉させて、上手と下手を作ってみせる。
「ふたりとも両まわしをつかんで離さなかったわ。原田くんは両下手。敵は両上手。そのまま横に倒れたなら、上手のほうが先に腕が土俵につく。確認は両者が死に体と見なすかどうか──死に体と見なしたら引き分け。それならすぐに引き分けの宣告をするはずだから、確認が長引いたということは死に体はとらずに勝者の選定があった。下手の原田くんの勝ちだったのよ」
ヒカリが論理的に導いたのをなぞるように、大会関係者から、勝負の判定について両校に説明が行われた。
つづいて表彰式。近藤、富田、青木の三人が、優勝旗、トロフィー、表彰状を受け取る。
誠実学園高校相撲部の、はじめての栄光が手渡される。
桃は改めて、照明を眩しく反射させるトロフィーの輝きに、じわりと胸に込みあがるものを感じる。
「みんな、素晴らしかったわ。都でナンバーワンよっ!」
桃がメンバーひとりひとりに抱きついて、顔がくちゃくちゃだ。選手として体験した勝利とはまったく違う。これが指導者としての嬉し泣きなんだ、と桃ははじめて知るのだ。
その姿に、ヒカリもやりきった充実感に浸らずにはいられない。
「部活動か……。いいものね、こんな気持ち」
「そうですよ。私も高校時代、懐かしく思い出しました」
澄花も目が潤んでくるのを感じながら、車椅子に座るヒカリの肩に手をかけている。門外漢の相撲でこんなに感激を味わうとは、想像以上だ。やはりスポーツはいいものだ。
「私たちは行きましょう。もう部外者だわ」
ヒカリは退出を促す。そんなヒカリに澄花はひとこと言わずにはいられない。
「またヒカリさんはそんなことを。チームというものに、部外者なんていません。たとえここでみんなから離れても、心はずっとチームの一員ですよ。スポーツってそういうものです」
チームの一員。桃との縁がそうなのだ。病室で仲良くなったとはいえ、心までつながった気持ちになれるのは、スポーツを介した結びつき、同じ目標に向かった仲間だからだ。
ヒカリにとって、はじめて味わう気持ちよさだ。
「祝勝会を準備しているわ。学校近くのファミレスだから、桃、引率してね」
手荷物を膝の上に乗せ、もう帰る支度になっているヒカリに、桃はまさかと顔を寄せる。
「え? ヒカリは?」
「私は行けないの。病院に戻らなきゃ。無理やり出てきたんだから」
「そうだったね……。ヒカリがいないんじゃ、喜びきれないな」
もっと共に喜びたかった、と口惜しい気持ちでいっぱいだが、ヒカリと澄花を見送らなければならないともわかっている。
向こうを見ると、大番狂わせを演じた誠実学園高校の側に、取材陣が殺到している。大会関係者がまだ規制しているが、これは応対が大変だ。
これから報道陣に取材と撮影を許可する。その前にここを抜け出さなければならない。
ヒカリは、早く出ましょう、と澄花を促す。
ヒカリが写真に写るわけにはいかないのだ。病院をだまして抜け出したことがバレてしまう。
「私がいなくなってから、マスコミを通してあげて。今日はもう会えないから、またね」
ヒカリは澄花に車椅子を押してもらい、人込みに紛れ体育館のロビーまで移動する。
そこにはあかりと鋼音、栞に七海が待っている。
「栞と七海は祝勝会に行ってあげて。おいしいものいっぱい食べてきてね」
「ヒカリは病院に戻るの?」
「一か所寄ってから戻るわ。ゆっくり話せないのは残念だけど、退院祝いのときに、今日のお礼もさせてもらうから。またね!」
澄花ともここで別れて、鋼音に押されながら、ヒカリはわざと意地悪顔をしてみせる。
「あんたたち、決勝ではぜんぜん声援しなかったわね」
あかりは肩をそびやかして、
「もう見るだけで手一杯よ。白熱の取り組みもあったし、そうでなくてもヒカリの戦略がどんなのかワクワクしてね。見入っちゃったわよ」
そう言い訳をする。
「私も応援のこと、忘れてました」
まったくもう、と苦笑いのヒカリだが、そのヒカリも声援がなかったことに今ごろ思い当たったくらいだから、みんながそれどころでないほどだったのだ。
「そうだ、ヒカリ。桃さんのお父さん、きてたわよ。元梅若丸」
ヒカリも、会場に足を運んでいるはずだと予想はしていた。だが、家族応援席には姿が見えなかったので、桃の目に入らないようにしていたのだろう。
「コーチのこと、結局伝えられなかったって桃は言ってたけど、良かったわ。また、前のように仲良し親子になれるわね。血のつながりなんか、些細なこと。生みの親より育ての親よ」
「それ、もう伝えてあるわ。ねえ、鋼音」
え?と目を丸くしてしまうヒカリだ。
そして、あかりが自分と同じことを伝えてくれたことに嬉しくなる。
「あかりさんの勝ち! 珍しく」
それこそ珍しくあかりのことを持ち上げた鋼音のおでこを指で押して、あはは、と茶目っ気を見せるあかりだ。
十分も歩くと、目的の建物が見えてくる。
「この料亭よ」
「なるほど、こりゃ立派だわ。あたし、水商売のときもこんなとこ連れてきてもらったことないわよ」
駅前にほど近い、中層の人々には明らかに敷居が高そうな店構えの料亭だ。ここで任侠の元締めが待ってくれている。
「ヒカリさんのお料理と、どっちがおいしいのかな」
「そういう較べっこは意味がないわよ。ヒカリの料理はブランドじゃないんだから」
対価を求める料理と、無償の愛情を込めた料理。そもそも比較することがおかしい。それがあかりの言い分だ。
「あかり、気持ちは嬉しいけど、鋼音には正しいことをおしえてあげて。食材には優劣の絶対値がある。私もお肉やお魚を有名専門店で買ってくることがあるけど、それでも食材の時点で負けてるわよ。絶対値を知れば、意地とか判官贔屓で見誤るのを防いでくれるわ」
師である葛原麗華の名代を務めるようになってから、政財界の大物顧客からこうした一流を振る舞われる経験を、何度ももっていたヒカリなのである。
「あんたたちも、一流を味わいなさいな。何ごとも本物を知る経験は、見る目を養うものだから」
本質を知るための勉強の場は身近なところにあるものだ。五感に訴える料理の賞味は、鋼音にとっていいきっかけになる。自分もそうであったように。
「ふうん。ヒカリが料理上手なのは、一流のエッセンスを自分のものに取り込んでいたからね。それが結婚で料理をはじめてから、開花したんだわ」
それと腕前の良さは別問題とわかっていても、ヒカリには素養を得た理由があったのだと、あかりにはわかってくる。
そして、鋼音を独り立ちさせる準備を、少しずつはじめようとしていることも。
アマチュア相撲の大会でビデオ判定が試験導入されるのは令和4年になってからです。この物語は令和元年ですので、ビデオ判定は行われていません。




