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最終話「悲歌」15

『宮様杯 決勝は東京東武ハイスクールVS誠実学園高校』

 ウェブニュースの地域面に、速報の見出しが出ている。

 ヒカリたちは組み合わせ抽選の日から、決勝であたる学校はここだと予想できていた。

 澄花も分析に一番多くの時間をあてていたのだ。

 全国レベルの実力者を擁して、当然のように決勝に駒を進めてきた強豪。

 ヒカリもシミュレートを重ねるが、素の実力は全員あちらが上だ。

 メンバー表をみて、澄花が導いた対戦相手の傾向と得手不得手への対応を指示する。そして、選手たちの勢いと伸びしろを最大限発揮させる。ヒカリは勝ちを確信できるほどの流れまでは組み立てられないまでも、五分の勝率はとれるとみている。


 今大会、東京東武ハイスクールの戦績は、初戦からは五戦全勝。先ほどの準決勝が四勝一敗である。

「負けたのは誰かしら?」

「副将ですが、こっちと同時だったから内容は見てません」

 ヒカリと澄花は、優勝候補筆頭の学校が一敗していた事実が意外だ。

「桃。客席のあかりのところへ行って、どんな相撲だったか聞いてきて。次の対戦校だから見ているはずよ。あかりもそこそこ相撲がわかるから、新たな弱点が見いだせるかもしれないわ」

 準決勝、鋼音の応援が選手の名前だけだったのは、言葉の指示を出すあかりが、偵察のために北面に移っていたからなのである。


 ヒカリは桃からの報告に、ふうん、と思案の目を見せる。

「この副将は多分──」

 準決勝対戦中に足を故障したのでは、とヒカリは読んでみる。弱点を露呈したわけではなさそうだ。

 向こうは選手を入れ替えてくるかなあ。そう桃はつぶやく。

「どうかしらね。副将の代わりに入る選手の力量次第……戦力が確実に落ちるなら、副将をそのまま行かせるかも。けがをかかえても、副将の実力だし、三勝すれば優勝だから、ふたつは負けられる」

 ヒカリもここは策の立てどころだから、入れ替えがあるかないかの影響は大きい。けがを押して副将が出てくるようなら、原田と田和を入れ替える手がある。

「選手の気持ちとしては、最後まで出たいよね。それをわかってくれる監督なら、出すんじゃないかな」

 桃も選手なのだから、けがをした本人の心中はよくわかる。当人にとって、戦わずしてでは喜びも悔しさもない。

「勝負に徹すれば交代。澄花さん、相手の監督の性格までは、分析してませんよね」

 ヒカリも迷ってしまい、結論を出せない。

「気持ちや性格に関係なく、けがが軽微でなければ交代させますよ。無理をさせて、選手生命にかかわる故障につながりかねないことは、高校ではさせません。これはどの競技でもです」

 なるほど、これは部活動である。勝負よりも選手の体の保全を重視するのはヒカリにも理解できる。大相撲にも逸材を送り込む高校だから、その高校で入門に障りが生じるまでに悪化させるわけにはいかない。大学の学生相撲に進むにも、大きな故障では推薦入学に影響が出る。副将ははずれる可能性が濃厚だろう。

「交代させるとしたら、対戦順も変わるわね。それも想定して、こちらも対戦順を組まないと」

 ヒカリはまず、敵の対戦順をシミュレートする。

「先鋒に控えの誰かを入れて、これまでの先鋒から中堅までをひとつ繰り上げる」

 もっとも可能性が高いのはその策だろうとヒカリは読む。

 ヒカリは澄花と桃をそばに呼び、こちらも選手を入れ替えると告げる。

「土屋くんを副将に入れて、原田くんを大将にまわすわ。いずれにしても大将は変わらないはず。土屋くんは今大会がはじめての公式戦。敵もデータを持っていない。原田くんもデータが少ないし、初戦ではじめて勝って、準決勝でも勝った。自信も最高潮。突進力との相乗効果で勝負よ」

 土屋も準々決勝のときからアップをさせていたから、昼食休憩をはさんでも体はできている。

「みんな集まって」

 ヒカリは全員を集めて、自分は輪の中心にいる。

 桃、澄花、メンバーからはずれた田和も、選手たちと一緒に車椅子を囲む。

「優勝できなければ廃部の相撲部が、あとひとつで生き残れるところまできたわ。みんなよく頑張った。けど、あなたたちの力はこんなものじゃない。まだ秘めている力を私に見せてちょうだい。そして、相撲の神様は私たちの味方よ。きっと三勝できる。優勝できる。行くわよ!」

「おすっ!」

 ヒカリがこんな鼓舞を仕掛けるとは、澄花はまったく意外だ。

 ヒカリも軍師の立場を通り越して、すっかり誠実学園高校の一員のようだ。



 審判をはさんでメンバー表の交換。

 受け取った誠実学園高校のメンバー表を見入って、東京東武ハイスクールの監督の目が驚いてる。

 敵はこの決勝ではじめてメンバーを動かしてきた。

 こちらはつながりを保っている大学から欲せられている選手が準決勝で左足の腱を痛めたため、メンバーからはずさざるをえなかった。順番を変え、力の劣る控え選手を先鋒に入れた。

 敵はそれを読んで、自軍のメンバーを合わせてきたとしか思えない。

 副将にまったくデータのない選手が入っている。大将を下げているのもなにやら不気味な感じがする。

 そんな深読みをさせるのも、敵将ヒカリの策のひとつだと、監督は気づいていない。



「誠実学園、青木。東武ハイスクール、美濃谷」

 先鋒対決がはじまる。

 東京東武ハイスクールの美濃谷は今大会はじめての出場である。だが、今年の他の大会では次鋒を務めたことがあり、澄花の分析の中にあった。

「押しの力は強くないけど、前まわしを取ってくるから、両差しを許さないこと。肩透かしなど小技を持ってるからよく見て攻めてね」

 ヒカリからの指示を胸に、仕切り線に構える。

 立ち合い、青木は両手(もろて)突きで相手の接近を止める。前まわしは守った。ここからの攻め、青木はスッと長い腕で左上手をかける。しかし、相手も同時に左上手をつかんでいた。がっぷり四つに組み合う。

「頭をつけても、胸を合わせても、懐の深い青木くんが有利だわ」

 体勢を読んだ桃が、行け!と気合いを送った瞬間である。

 相手の右足が青木の左足に絡む。青木にとっては軸足だ。

「あっ!」

 腰から土俵に落ちる青木である。

「勝者、美濃谷」

 外掛けで敗れた青木は呆然としている。足を掛けられる直前まで、勝てると思っていたのだろう。

 青木くん、礼よ、というヒカリの声でハッとして徳俵まで下がるが、有利な体勢からの逆転負けは相当のショックなのがありありとわかる。

「これが油断というものよ。富田くん、最後の最後まで気を引き締めなさい。わかったわね」

 敗戦もすぐさま教訓にしないと、みなが同じ轍を踏む。



 青木の負けに、鋼音、栞と七海はがっかりして、ああ……と嘆きしか言葉にならない。

「惜しかったけど、青木くんは敵の足技をまったく考えてなかったわねぇ。少しでも頭にあったら、足幅をもっと狭めてバランスを立て直せたのに」

 あかりはため息混じりに栞と七海に解説する。

 すると、詳しいですね、と大きな体の男性が声をかけてくる。

 相撲関係者なのだろうか。背広を着ているが、若いころは選手をしていたと思われる堂々たる体躯だ。

「好きなだけで詳しくはないですけど、身内が関係しているんで、悔しくてつい……」

 あかりはそう言いながら、どこかの相撲部屋のスカウトなのかなと、誠実学園高校の生徒たちはどうですか?とうかがってみる。

「弱小相撲部と聞いてましたが、ここまでの対戦では全体の総合力が高いですね。個々の力は付け焼き刃かもしれませんが、力の発揮の仕方がよく考えられています。桃もいい友だちを持ちました」

 あかりは驚いてしまう。

「あなたはもしかして……」

「星野桃の父です」

 元梅若丸。その活躍を見ていたのも、あかりも子どものころだから思い出せなかった。

「あっ、元梅若丸関……。応援にいらしたんですか。桃さん、喜びますよ」

「どうですか。最近は距離がありまして。相撲部でコーチをはじめたこともおしえてもらえませんで、私もスポーツ紙で知ったくらいです」

 桃の父は、腹部の手術で桃の力が完全には戻らないことを医師から聞かされていたという。娘の失望に寄り添えないことに胸を痛めていたら、退院してすぐ、相撲部のコーチになっていたと報道で知ったのである。

 驚くとともに、相撲に再び関わりはじめた娘へ、血のつながりを超えた絆が残っていたと胸を熱くしたのだ。

 あかりにも、桃の父の嬉しさは、その表情を見るだけでわかる。

「ご覧になったでしょ? 桃さんの指導で驚くほど強くなってますよ。司令官ヒカリと分析官澄花さんの頭脳と合わさって、全国レベルと張り合うまできてますもの」



 次鋒の富田の相手は、突き押し相撲の吉本、一年生対決である。体格は富田のほうが勝るが、同じタイプの力士である。

「相手はただの突き押しではないわ。引きのタイミングがかなりうまい。終始足が揃わないように気をつけなさい。相手を下から起こせたほうが勝てるわ」

「と・み・た!」

 鋼音、あかり、栞、七海が声を揃えている。

 青木が負けたからだろう。先んじて声援を送り、士気を高めようとの思惑だ。誠実学園高校応援席も声援を合わせる。

 だが相手応援席も負けずに大きな吉本コールだ。声援を力に、両者とも闘志を前面に見せているのが会場中に伝わっていく。

「ハッケヨイ!」

 立ち合い、互いに相手の胸元を突きあう。富田は下から突っ張りながら、はずに当てられる機会をうかがう。押しに攻めを変える期を狙っているのだ。

 だが吉本は引き技の名人。タイミングをずらしながら同じ場所を突っ張る富田の、右腕がたぐられる。

「あっ、危ない!」

 富田の右横に相手がついてしまった。

 その瞬間だ。

「すくいなさいっ!」

 ヒカリの叫びに、富田の右腕が即座に反応した。

 相手の寄りに富田の足は土俵を出てしまったが、その前に打った右からのすくい投げで、先に吉本は肩から土俵に落ちていた。

「勝者、富田」

 肉眼ではわずかな差だった。

 心からホッと胸をなで下ろす誠実学園高校の面々だ。

「あれしかなかったです。ヘッドコーチ、すごい」

 一番の実力者である近藤が、ヒカリの瞬時の指示に感嘆している。

「どの相手も今までと違うわよ。近藤くん──」

 ヒカリは近藤を近くに呼ぶ。



「ヘッドコーチとはすごい肩書きですが、ヒカリさんという子は学校の生徒ではなさそうですね」

 桃の学校や柔道の友だちに、そんな名前の子はいなかった。

「あのふたりは、病院で同室だったんですよ。桃さんの再入院のときね。同い年だから、すぐ仲良くなったそうですよ」

 ヒカリが車椅子に乗っているのだから、病院での知り合いはなるほど納得である。桃の父は、近藤に指示を与えているヒカリ、そして技術的助言を加えている娘の身ぶり手ぶりに目を細めている。

「あのヒカリさんという子に、桃は心から信頼しているように見えます」

「ええ。ヒカリはみんなにとても頼られてますよ」

「あの子は小さいころから一番強い立場で、頼るということをしなかった。いや、できなかったんです。腹痛を我慢していたときも、盲腸が破れるまで誰にも相談できなかった。柔道教室で自分が相談される立場だったから。私にも体の不調を打ち明けてくれなかった。私が柔道に転向したことを快く思っていなかったからでしょう。私が受け入れていれば、桃はまだトップクラスの選手でいられたのです」

「あたしは詳しく聞いてないんですけど、だからかしらね。相撲にやり残しを感じていた自分に気がついたんだわ。だから、相撲にかかわることに、すべてをぶつける気になったのね」



 中堅戦、近藤の相手岩下は、高校生らしからぬ業師(わざし)という。岩下は本来次鋒だったから、腕力(かいなぢから)はそれほどでもないのだろう。

「上手でも下手でもいいから、とにかくまわしをとりなさい。客席の応援の声であなたを出し投げの名手と勘違いしている相手は、出し投げを意識しているはずよ。こらえるために取られた方の足を前に出すはず。そこを反対方向へのひねり。あなたの手首ならいけるでしょ?」

「出し投げは打たないほうがいいですか?」

 近藤は得意でないにしても、出し投げは打てるのだ。

「相手は待っているわ。出し投げを残す構えはしているはず。残されたあと内無双でも出されたら、あなたでも横転してしまう。もし、ひねりを残されときは、逆方向の横へ変わりなさい。横に動けば小細工にやられることもないもの。あなたの順でリードをとりたいの。頼むわよ」

 ここまで具体的に指示を出せるということは、勝算が高いということなのだ。ヒカリの目には、相手が業師ゆえに攻め手が見えてくるのだ。

 近藤は自信を持って土俵に上がる。

「ハッケヨイ!」

 立ち合いすぐ、近藤は右差し左上手の右四つに組み止める。だが相手は業師だ。組み止めたのではなく、組み止めさせられたのだ。簡単に組めたことをむしろ警戒しなければならない。

 相手は右足を前に出している。上手出し投げを打たせようとしているのだ。誘いの足だと近藤にはわかる。

 ヒカリのいうとおり、上手ひねりを出すと、岩下は重心が右に傾く。並の高校生ならここで決まるのだが、岩下は足の送りが早く持ちこたえるのだ。

 だが重心は戻りきらない。そこを近藤が右にいなすと、相手の背中が見えた。

「しめた!」

 近藤は背中を押して送り出そうとする。しかし、土俵際でくるりと一回転して向き直った岩下は、右を差して半身(はんみ)の体勢で持ちこたえた。

「ヒカリ、残されちゃったよ!」

 相手の粘りに、桃が泣きそうな声をあげる。

 敵は半身ながら右下手をつかむ。近藤は左上手が取れず、右はあてがうのみだ。

「相手はうまいわね。近藤くんは我慢比べだわ」

 ヒカリも敵の予想以上の粘りに、動いたほうが負けと展開を読む。

「近藤くん、巻き変えちゃだめよ。向こうが左をねじ込みにくるまで待つのよ」

 この思いが伝わってくれるよう、ヒカリは固唾を飲んで見守っている。

 両者動きが止まり、膠着状態となる。立ち位置は岩下のほうが土俵際間近だ。少しでも下から起こせれば寄り切れそうだが、それは誘い水だろう。

 下手をがっちり握られているので、小手投げも効くまい。近藤は肩を動かして相手の右肘をきめにかかる。

「そうよ。右を殺せば左を入れてくるわ」

 ヒカリの目は岩下の左腕を見つめている。

 岩下は我慢しきれなかった。左を差し込み両差しになろうとする。半身で保っていた重心が偏る。すぐに近藤の左手がひねりを見せた。

「うおっ」

 叫びながら岩下の右半身が土俵に落ちたのである。

「やった! 腕(かいな)ひねりだっ!」

 高校相撲でも稀に見る熱戦だった。会場は割れんばかりの拍手に包まれる。

「こ・ん・ど・う!」

「い・わ・し・た!」

 勝者も敗者もたたえられ、ふたりともすがすがしい顔で自陣に戻っていく。



「いいもの見せてもらったわ……」

 あかりは激闘の余韻そのままに、気持ちまで熱くなっている。

「これが相撲なんですよ。桃も、こんな相撲に魅せられて、相撲競技をつづけてきたはず」

「挫折があって柔道に転向したけど、桃さんは相撲が大好きなんですよ。同じくらい、お父さんも。縁あって父娘になったことを、幸せに思ってる。いいわねえ、生みの親より育ての親」

 育ての親になれたことに、いいわねえ、と寄り添う言葉をかけてくれる人がいる。嬉しいではないか。なさぬ仲などという世間は、血ではない、心でつながる親子の絆を知らないのだ。

 桃の父は、育ての親になる決意をした日のことに、思いを馳せる。



「これで二勝よっ! あとひとつ!」

 桃は、いよいよだよ!と気勢を上げる。

 だが誠実学園高校もここから力が落ちる。わかっているからみんなの気持ちを高揚させたいのだ。

 次の対戦。副将土屋ははじめての公式戦だ。しかし、ヒカリはだからこその策を用意していた。

「土屋くん、ロケットスタートよ。体当たりで突っ込みなさい。まわしも差し手も気にしない。タックルで相手を倒すつもりで立つのよ」

 陸上競技のスタート線からの立ち合いの練習、瞬間で飛び出せた土屋である。ヒカリはその反応力を見いだして、突き押しも四つも劣る土屋をリザーブに抜擢したのだ。

「相手が受け止めにきたらしめたもの。かわされたらあきらめもつく。一発勝負よ」

 近藤が勝って、敵はあとがなくなった。慎重に立ち合ってくるに違いない。それならば、ここは賭けてもいいところだ。

「ねえ、ヒカリ。張っていく手は?」

 桃は相手をひるませて勢いを助けることを考えつく。

「高校相撲での張り手は肩の外からは禁じ手だから、内から出せる近藤くんレベルでないと反則をとられるわ。それに張り手に意識がいくと、勢いが落ちる。土屋くんを出す意味がなくなるのよ」

「土屋は突進だけなら原田よりも上だからね。原田を残して、押しと四つのバランス型の田和を下げたのも、副将大将には技術は何も通じないとヒカリは見たんだ」

「仮に負けても、大将戦の原田くんの攻め手を敵は迷うわ。二戦つづけて同じ突進を使ってこないとも思うし、裏をかいて同じかもしれないと迷いを生ませられる」

 ヒカリは、とにかく思い切りいきなさい、と土屋に声をかけ、その背中を土俵へと送り出すのだ。

 誠実学園高校土屋対東京東武ハイスクール斉藤。

 土屋は早足で土俵に上がる。審判の掛け声が待ちきれないと言わんばかりだ。

「ハッケヨイ!」

 その瞬間、土屋は猛然と突っ込む。そのスピードに、敵は明らかに立ち遅れた。

 その立ち合いが勝負の分かれ目となった。土屋の目の前に相手はいなかった。立ち遅れた分、勢いを止められないと判断する時間があったのである。

 サッと右にかわると、土屋はまっすぐ土俵の外まで走り出てしまう。

「……」

 少しだけ斉藤の手が土屋の背中に触れたので、決まり手は送り出しとなったが、自分から土俵を飛び出してしまった土屋に、会場中が静まり返ってしまう。

「しょ、勝者、斉藤」

 審判もあっけにとられて、宣告が遅れてしまう。

 これで両校とも二勝ずつのタイである。



「もうっ。前を見てないじゃない。なんであの子を出したのかしら」

 あかりが呆れて隣に座る鋼音の太ももをバシバシ叩いている。

「いえ、あれでいいんです。相手が立ち遅れなければ電車道だったかもしれません。勝負運があちらにあっただけです」

「そうなんですか?」

 元関取に説かれても、あかりのプンスカはおさまらない。

「桃にはまだ賭けどころを見る力はありません。ヒカリさんの作戦なのか……。だとしたら、大変な能力です」

「賭けどころだったなら、ヒカリですね」

 あかりもやっと、読みの上の人選だったとわかってくる。ここぞというときには思い切った手を打ってくるのがヒカリなのだ。

「桃のやつ、本当にいい勉強をさせてもらっています。今日の経験で、本気で指導者をめざす気になるかもしれません……」

「今夜、桃さんと話されたらどうですか? もう、仲直りしてもいいと思いますよ」

「桃がどう思っているか……」

「きっと、本当は、話したいはずですよ」

 相撲談義を交わすふたりの姿が見えてくる気がするあかりだ。そうなるに違いないと思えてくる。



 最後の決戦。

 誠実学園高校の大将、原田。東京東武ハイスクールの大将、浜岡。

「百八十五センチ、百四十キロ。今すぐ大相撲で取れるわね」

 堂々たる体格で、押しも四つもアマチュアでは屈指。来年は全日本選手権にもノミネートする予定、と澄花の調べだ。

「まともに勝負すれば、とても勝てる相手じゃないですけど、ただひとつ、引きが上手ではないです。呼び込んでしまうんですね。本人もわかっていて、今年は引きを封印しています。だから今年は無敗なんですよ」

「無敗だもんなあ。ヒカリ、大将戦の作戦は?」

「相手に引かせる。引かざるを得ない攻めをする。原田くんを大将に持ってきたのは、それができるからよ」

「ええ? まあ確かに、まともに戦うなら近藤を大将にもってくるものね。あえて原田ってことか」

 ヒカリは原田を呼ぶ。原田にも突進を指示するのだ。

「この相手は超高校級の実力の自負があるから、勝ち方にもこだわるはずだわ。だから土屋くんみたいに変わられる心配はない。受け止めにくるわ。でも当たり勝ちしてもそれからの攻めが肝よ。はずを押せても目方が重いから押しきれない。中に入って両差しで寄るしかないわ。上手をとられてしまうけど、先に寄り切れるかで勝負が決まるわよ」

 原田も陸上競技のスタート練習で突進力を高めたから、先手を取れる可能性が高い。

「ヒカリさん。こうしてみると、敵の大将戦に、最善の人選になりましたね。原田くんは体が小さいから、向こうは取りにくい相手だと思いますし、差し手からまわしもつかめます」

 澄花にも、個の実力差を埋める策と思えるし、ヒカリらしいシンプルさもある。経験のない原田には、込み入った手では墓穴を掘るとわかっている。

「こっちが負けるなら、つかまえられての寄り切り、あるいは上手投げよ。だからつかまえられる前に、少なくとも土俵際まで攻めておきたい。原田くんの突進力と差し手のコンビネーション力が発揮されれば、向こうは引きにくるわ」

 超高校級の相手の唯一といって良い弱点。澄花の分析は、引きの癖を克服したのではなく、引かないように攻めに重点をおいている、だ。引かせてしまえば脆さを露呈するとヒカリは読んだ。

 変わられる心配がない。ヒカリの言葉に気合が乗るが、気の逸った土屋の負けを見たばかりだ。原田は急かずにゆっくりとした動作で仕切る。

「ハッケヨイ!」

 緩慢な仕切りが嘘のように、原田は頭を下げて、弾丸のように突っ込む。浜岡は受け止めるが、立ち合い前とのギャップに勢いを削ぎきれず、二歩下ってしまう。当たってすぐの横への変化に備えたのも裏目に出たのだ。

 当たるや否や原田は両腕を同時に差し込むが、自分の勢いが強かったから、差し手が深くなってしまう。それでもかまわず寄っていく。

 浜岡は体が伸びそうになり。思わず封印していた引きを見せてしまうのだ。

「わっ、引かせた!」

 ヒカリの読みどおりだ。

 桃が、寄れぇーっ、と絶叫する。

 土俵際まで追い詰めた。あと、わずかひと息だ。

 ぐいぐいと体を寄せていく原田。浜岡は両上手を取ったが、引きつけるだけで精一杯だ。

 あと少し、半歩だけ退かせれば優勝だ。

「寄り切れーっ!」

 桃も誠実学園高校の選手も、声を合わせて、最後の檄を飛ばす。

 そのとき、原田の左足が浮いた。浜岡は死に物狂いに両上手から原田を腹に乗せたのだ。

「うっちゃり……!」

 ヒカリが思わず車椅子から立ち上がってしまう。

 原田と浜岡、ふたりが同時に、横倒れで土俵外に落ちていく──。

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