最終話「悲歌」14
教会式の結婚式でも、本式となると牧師から聖書の一節を贈られ、その間介添人は下って壇下に控える。
薄い桃色のドレスに身を包んで、瑠璃は、少ししゃがんで背中を大きく開けた美歌の純白のウェディングドレスの裾を壇下から整える。
これから指輪の交換の儀式だ。
牧師が、新郎に、そして新婦に、互いに慈しみ生涯にわたり愛することを誓うかを問い、誓います、の宣誓を聞く。
薄手袋をはめた美歌の左手をとり、すっと手袋をはずす。瑠璃はすぐ一歩下って、美歌は夫から指輪を通される。
瑠璃は一歩歩んで、今度は右手の手袋もはずし、美歌の右手に夫への指輪を持たせる。
日本では牧師が兼ねることが多いが、この結婚式では新婦の介添人の、一番重要な役目なのだ。
美歌が夫の左手に指輪を通すと、互いの指輪を前にかざす。
そして、その誓いを示す口づけだ。
映像ではない、本物のキスをはじめて目の前にして、瑠璃は背中が震えるほどの感動を受けてしまう。
ヒカリがいつも口にしている、人の縁、という言葉。縁が確かな形になった瞬間を見た気がする。
この場面の写真を撮りたかった。式場専属のウェディングフォトグラファーが瑠璃の居たかった位置で、瑠璃の切りたかった瞬間にリレーズしていた。
瑠璃が譲り受けた本格的な撮影道具一式。
はじめてカメラを手にしてまだわずか十日だというのに、瑠璃の頭には撮影した画像のイメージができあがるほどのワクワクを感じる。
スマートホンのように背面モニターを見ながら撮るよりも、ファインダーを覗いて切り抜いた視界に没入するのが断然好きになった瑠璃だ。
写真を趣味にしている人たち。そして、仕事として報酬を得るプロカメラマン。
瞬間を切り取り、光を感じることの面白さ。芸術でも商業でも、きっと楽しいだろうと想像してみる。
伝えることに主眼をおいた報道も面白そうだ。
「うちに写真部があったらなあ」
なければ作ればいい。瑠璃は二年生である。創部を校長に上申できる学年だ。
そのためには、まず成果を示すこと。学校行事での撮影は、体の空いている教職員がコンパクトカメラかスマートホンを使っていることは知っている。
手にいれたカメラで、先生たちよりもいい写真を撮って示せば、設立に前向きになってもらえるのではないか。
同じ時間。
世田谷区の体育館では、高校相撲、宮様杯東京都予選の準決勝を控えて、勝ち残り校は昼食休憩である。
昨日、お昼ご飯は私にまかせなさい、とヒカリが胸を叩いたが、なにも持参してきていない。
桃もヒカリが請け負うので、弁当は持ってこなかった。選手たちも同様だ。
どうするのかと思っていたら、控え室に和服姿の艶やかな女性がふたり、重箱を運んでくるのだ。
ヒカリがニコリと笑みを見せて、
「ありがとうございます。みんな待ちかねてますよ」
感謝の目を送るのは、門脇の女房へだ。
門脇の女房が微笑みながら風呂敷をほどくと、ふたに描かれた堂々たる漆塗りの任侠の代紋が目に入る。
ヒカリに恭しくお辞儀をするのは、増本明美である。門脇の女房と明美は元締めからヒカリのサポートを命じられ、任侠の奥さま会の面々で、祈願料理をこしらえてきたのだ。
「あらま、カツばっかり」
桃が素っ頓狂な声をあげる。
開けてびっくり、カツの山なのである。
ロースカツ、ヒレカツ、チキンカツ、アジカツ、シャケカツ、タラカツ。
「あらゆる敵に勝ちましょう」
ヒカリは、こういう験担ぎも必要よと、大真面目な口調だ。
もちろん煮物にサラダもあり、主食は手製のむすびだ。飲み物もウーロン茶とスポーツドリンクが十分。
「この時間に用意を頼んでいたってことは、ヒカリは準決勝に進めるって確信してた?」
「当然でしょ」
澄ました顔でウーロン茶をすするヒカリである。
「その顔。ヒカリさんらしくなりました」
澄花も、ヒカリが完全復活したかのような思いで嬉しくなってくる。
「元締めが、駅前の料亭でお待ちするそうです」
門脇の女房がそう伝えると、明美も、祝勝会も兼ねられるよう祈ってますので、と控えめに笑う。
「わかりました。終わり次第、あかりと鋼音も連れて行きますので、よろしく伝えてください」
奥さま会の重箱料理は、以前の披露会の時よりも腕前が上達している。門脇の女房も、相当指導に熱を入れたのだろう。
余るようならあかりたちにもと考えたが、あんなにたくさんの重箱が空になり重なっていく。二十分もすると、奥さま会の心尽くしは、選手たちのお腹にすっかりおさまる。
「アマチュアでもさすが力士ねえ。よく食べること……」
桃が感心しきりに言うが、見ると当の桃もかなりの量を平らげている。
「桃もアスリートだものね。みんなに負けてないわ」
なおも口いっぱいにむすびをほお張っている桃に、小さく微笑むヒカリと澄花だ。
「準決勝は農大付属山家高校です。個人の力が強くて、国体の個人戦はみんな都でベストフォーに入っています。ただ、団体戦は近年さほどの実績ではないです」
「それは作戦ではなく、個の力に頼るからね。あまり才のある指導者ではないのね。準々決勝までの対戦順は、おそらく単純に実力順だわ。大将が最強で、以下先鋒まで少しずつ力が落ちていく」
「うちの対戦順はどうしますか? 相手が押しか四つかに合わせて組み直しますか?」
澄花はここはヒカリの判断に従うという。
「このままでいいわ。下の選手でも押しにも四つにも対応する力があるから、攻め手の工夫でいくのよ。大将と副将はかなりの実力者だから、このまま田和くんと原田くんで」
ここでヒカリは、食後に体を休めている田和と原田のところへ、澄花に車椅子を押してもらうのだ。
「思い返してみなさい。初戦はふたりとも変化で勝った。二戦目は変化についてこられて負けた。違いはなに?」
「え……。運ですか?」
そんなわけがないが、ヒカリは、運は確かになかったわね、と否定せずに笑っておく。
「変化技は敵の意表を突いてはじめて効くものよ。読まれたとしたら、むしろ思うツボの動きになり、相手につけ入る隙を与えてしまう。普通はね」
「普通は?」
「でもね、一たす一は二とは限らないのが相撲よ」
ヒカリは大将戦も副将戦も捨ててはいないのである。この二戦もものにして、決勝に勢いをつけたいと考えている。
「フフフ。一たす一は二にもなるけど、三にもなる。一のままのこともある。だったら、変化たす変化は?」
変化のスペシャリストに育てたふたりだ。変化のまた変化も、スペシャリストならではの攻め手だとふたりに考えさせるのだ。
準決勝の先鋒戦。
ヒカリは、背が高いので棒立ちにならないことを心がけろ、と注意を与える。相手は両差しを得意としていることが、澄花の分析でわかっている。
長身ゆえ、両差しで中に入られると、懐の深さが仇になる。この相手、初戦から自分よりも体格で勝る敵を倒している。今度の相手は、それだけの技術を持っているとヒカリはみた。
「敵が両差し狙いなら、体を開いて小手投げが効くけど、おしえてないのよね」
桃は相撲選手だったころ、腕力にものをいわせた小手投げも得意としていた。
「おしえていても青木くんはそこまでの腕力ではないわ。小手投げは残されたら完全に中に入られてしまうし、あれは見た目より高度な技でしょ。自分の技術をつい頭に入れてしまうのは桃の悪い癖よ」
もう何度目かのダメ出しだから、桃も、これを直さないと良い指導者にはなれないと頭をかく。
「この相手への攻めは、横の動きよ。横につくことで活路が開ける。みんなが見せてくれた反復横跳びの成果、あなたはここで出すのよ。横について相手の腕を返してバンザイさせられると理想だけど、できなくてもあなたは腕が長いからまわしはとれる」
そこから引きつけて寄り切るシミュレーションを描くヒカリだ。
そして対戦がはじまる。
「ハッケヨイ!」
青木は鋭く立ち上がるが、相手も同じく速かった。バチンと当たってすぐ、左に変わる。瞬間移動のように横についても、相手は姿勢を低くしながら体の向きを合わせてくる。やはり今までの相手と実力が違うとわかる。
だが、青木はここで思い切って腰の高さまで頭を下げたのだった。相手も低かったが、青木の頭の先が相手の右脇の下につく。
「やったわね。青木くん」
ヒカリと澄花が勝ちを確信している。
ぐいと頭で押すと、相手の右腕が天井を向いて上がる。ヒカリが理想と言ったバンザイだ。
もうこっちのものだ。左上手を深い位置でとると寄っていき、相手は横向きのまま土俵を割った。
「ヨッシャっ」
思わず大きな声をあげてしまい、審判に注意されるも、青木は勝者の宣告を受ける。
「あ・お・き! あ・お・き!」
鋼音たちがシュプレヒコールを送ると、後ろの観客席も呼応して大合唱だ。
準決勝ともなると、関係者ではない一般の観覧者もけっこうな人数がいる。熱戦には拍手を送り、勝者には声援でたたえる。会場が青木コールに包まれる。
「あなたも名前の声援を受けたいでしょ。そのための作戦はこれよ」
次鋒の富田にも、ヒカリは横への変化を指示するのだ。
突き押し相撲で巨漢の富田の変化は、敵も予想していない。事実、これまで公式戦で変化を見せたことは一度もなかったのである。
立ち合い、両者はまともに当たるが、百二十キロの体格にはね返された相手が二度当たりにくるところを、富田がさっと横に動いたから、向こうは的を失って前に倒れてしまったのだ。
引き落としの勝ちとなり、誠実学園高校の二勝。これには客席のいたるところからどよめきが起こりはじめる。これほど強い学校とはどこも予想していなかったのだ。
「誠実学園って、例の女子コーチの学校だろ?」
「見ろよ。女子が三人に増えてるぜ」
「なんか、応援したくなるな。よしっ」
「と・み・た!」
一般席から先に、富田コールが沸き起こる。
つづいて、鋼音、栞、七海と女の子たちの声援。そして、後ろには家族と親戚総出の応援。
「と・み・た! と・み・た!」
「勝つって、こんなに気持ちいいんだ!」
勝ちを知ることは、最大の稽古だという。
富田は、先輩たちにいじられながらも相撲をつづけてきたのはこの日のためだったと涙が出てくる。
「泣くのは決勝で勝ってからにしなさい」
ヒカリの言葉に、力強くうなずく富田である。
中堅の近藤は初戦で変化をしている。二戦目は正面からいった。敵は両睨みで強く当たってはこないだろうとヒカリは読む。
「思い切り突っ張りなさい。突き切れなくても敵は下がるわ。突きだけでは勝てないことを敵に悟られる前に押しに変えていく。敵の技術は高いから、はずは封じられるわ。だから、肘をたたんだおっつけで体勢を崩させて押し切りなさい」
そのとおり、敵は近藤の突っ張りを受け、両腕であてがったときには、もう近藤が攻めをおっつけに切り替えていた。
「こ・ん・ど・う! こ・ん・ど・う!」
「せ・い・じ・つ! せ・い・じ・つ!」
近藤の完勝に、取材の記者たちが後ろの観客席に移動しはじめる。決勝進出が決まった家族からのコメントを引き出しにきたのだ。
ヒカリはその様子を目に留めて、嬉しそうな選手の家族の笑顔に、これが部活動というものだと知る。生徒当人だけではない。家族みんなの喜びなのだ。
三番相撲までで決勝進出を決めた誠実学園高校だが、ヒカリと澄花は、ここからの二番が本当の作戦の真価だとわかっている。
副将戦と大将戦。原田と田和はこの相撲部でも四番手と五番手の力だから、敵側最強と次点との対戦は力負けが順当だ。
そこを番狂わせさせる。これこそが決勝で勝つための大事な布石なのだ。
一たす一は二とは限らない。
変化たす変化は?
原田も田和も、その答えを与えられていた。
副将戦、原田は当たってすぐの変化を指示されている。初戦も二戦目も変化しているのだから、今度も変化でくると相手も読んでくる。
原田の答えは、一たす一は三だ。
変化で右に動いて、すぐまた右にふた幅動いたのである。二度の変化で三回分動いたのだ。反復横跳びの成果で、摺り足のままでの移動だ。
敵の体は原田のほうを向いていたが、足の向きはついていき切れなかった。腰をねじった体勢をとってしまったのである。
がっちり体を密着させた原田は、そのまま重心を相手にかけていく。
敵はバランスを崩し、横向きに背中から土俵に倒れた。
浴びせ倒しだ。
「勝者、原田」
戻ってくると、田和とハイタッチをかわす。変化攻め、まずは原田が結果を出した。次は田和の番だ。
「は・ら・だ! は・ら・だ!」
そういえば、鋼音の声援が、この準決勝は名前だけだ。
ヒカリは、そうかと合点する。
「やっぱり、あかりだけのことはあるわね。言われなくても行動してくれる」
田和の答え。それは、一たす一は一である。
誠実学園高校相撲部でもっとも俊敏であることは、敵にも知られている。
この動きを生かしてくる、と考えてくるだろう。
田和はそこを突いた。
田和は当たりから左へ変化、原田のようにまた同じ方向へ大きく動く、と見せかけて動いていなかったのである。
大きく動かれた場合の向きに合わせてしまった敵の大将は、自ら相手に横を向けてしまった。
「図られた!」
先にふた幅分動けと指示していた向こうの監督の声が響くと同時に、まわしの結び目近くをとった田和の上手投げが、相手を土俵に這わせる。
「た・わ! た・わ!」
会場が田和の勝利に大声援だ。誠実学園高校の快進撃は、一般の相撲好きを虜にしたのだ。
衆目にはまさかの五連勝に映るだろう。しかし、ヒカリと澄花には、個の力は劣っても、団体戦ならストレート勝ちもあると計算していた。
桃がやるような皮算用ではない。論理的に導き出した結果で、そのとおりに進んだだけなのだ。
北面の土俵では、もうひとつの準決勝が行われていた。
見るとこれから大将戦だが、すでに三勝一敗で勝ち上がり校は決まっていた。
昨年の宮様杯東京都代表、そして本戦でもベストエイトにまで勝ち上がった東京東武ハイスクール。全国屈指の強豪である。
高校相撲を知る者なら、この学校が東京都代表に名乗りをあげると見ていただろう。
記者たちも、誠実学園高校が旋風を巻き起こしているが、実力も経験も勝る東京東武ハイスクールの予選優勝を確信のように予想している。
だが、女子軍師ふたりはそうではなかった。
「本命が下馬評どおりきたわね。フフ」
これまで優しげな顔の中に厳しい目で作戦を授けてきたヒカリが、ここにきて、はじめて不敵な笑みを浮かべるのである。
「ヒカリさん。ここまでは筋書きを追ってきただけ。本物の腕の見せどころになりますよ」
腕組みをして、どっしり余裕の構えの澄花である。
決勝は三十分後だ。




