↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
175/216

最終話「悲歌」13

 吉川巡査部長がヒカリの病室まで迎えにやってきた。

 今日は十二月十五日。世田谷区の体育館において、高校相撲では国体に次ぐ大きな大会となる宮様杯、その予選が行われるのだ。

 なんといっても唯一の高校生のみの大会である。野球に例えれば、甲子園を目指す全国高校野球大会と同じ重みがある。

 ヒカリは用意された車椅子に座っているが、着ている洋服はビジネス用のスーツだ。セイント・セミコンダクター社への出社にも着た濃紺の上下は、さながら成人のキャリアウーマンの様相だ。

 これに、あかりからはおばさん眼鏡と揶揄された、伊達眼鏡もかけている。

「これは……またも新しいイメージのヒカリさんです」

 吉川巡査部長も、夏にはタンクトップにホットパンツ、ベースボールキャップで変装したヒカリを見ているし、学生服での男装も知っているから、七変化の印象すら受けてしまう。

 そこへヒカリの担当医師が入室して、吉川巡査部長に挨拶を向けてくる。

 今日、ヒカリが刺された地下駐車場へ、現場検証に立ち会ってもらう名目で外出するのだ。

 半日の外出はまだ許可できないというのを、途中に警察病院での体調チェックと休息を挟むという条件でうんと言わせたのである。

 ヒカリが被害者として現場検証に加わるというなら、虚偽と疑われる心配はまずない。吉川巡査部長は担当の所轄刑事ではないが、そこまでは医師はわからない。

 病院の敷地外まで出て、吉川巡査部長に改めて礼を伝えると、待っていた桃が押し役を代わる。

「星野さん。くどいようですが、本当にヒカリさんの体調が悪くなったら、言ったとおりにしてくださいよ」

 警察病院に実際は行かないのだから、そこはくれぐれも念を押しておくのだ。

「もう点滴も朝晩だけですし、もう五日も熱が出てません。そんなに心配なさらずとも大丈夫ですよ」

 そう言って吉川巡査部長と別れてきたのだが、今度は桃が心配顔だ。

「ヒカリ、この前まで熱があったの? 私、気づかなかったわよ。ごめんね」

「フフ。これまで相撲のことをよく知らなかったのを、今回いっぱい勉強したからね。知恵熱みたいなものよ」

 軽く笑うヒカリの顔に、さすがに桃でも、取り繕いではないかと気になってくる。

「すごく頭のいいヒカリが言っても、誰も本気にとらないよ。具合悪くなったら、すぐおしえてよね。澄花さんもいてくれるといっても、我慢されたら私じゃどうしたらいいかわかんなくなるから」



 それより少し前、ヒカリの私室では制服姿の瑠璃が身だしなみと持ち物の準備をしている。

 日本でも有数の一流ホテルである東京ロイヤルヤードホテルで挙行される美歌の結婚式と披露宴。名誉の介添役を果たしに出かける。大役のあと、瑠璃は大きなカメラバッグと三脚を携えて、先日美歌と交わした冗談を本当にするように、カメラマンもやる気なのだ。

 式の準備では、瑠璃は麗しいドレスをまとい、はじめての本格的な化粧を受けるという。これも楽しみにしている瑠璃なのである。

 ヒカリから、ホテルとの往復はこれを使いなさいと言い渡されていて、『光の路』名義のタクシーチケットをもらっている。

 待ちかねたタクシーが到着すると、鋼音も外まで見送りに出てくれる。

「行ってくるよ。鋼音も宮様杯、頑張ってね」

 瑠璃の乗ったタクシーが見えなくなる。

 その方角からこちらへ歩いてくるはあかりだ。

「今のタクシー、瑠璃さんでしょ。きっと、自分の結婚式と並ぶ思い出になるわよ」

「あかりさんの結婚式でも頼んだらどうですか?」

「介添役は人生一回よ。瑠璃さんはもう無理」

「だったら瑠璃の妹で」

「あの子まだ幼稚園じゃないの。まだ十年は介添役なんてできないわよ。そこまであたしを結婚させない気?」

口を尖らせてから、笑い出すあかりだ。

「あたしは完全神式でいくから、介添役は要らないわ。かわりに、あんたを巫女その一に採用してあげるから」

 鋼音とは互いに軽口になりやすい、と

 鋼音はあかりとともに、世田谷区の体育館に向かう。現地では栞と七海と合流、女の子四人でヒカリの頼みごとを遂行するのだ。



「私が応援ですか?」

 ヒカリから宮様杯での役割を聞かされた日、鋼音は意外な内容にポカンとしてしまった。

「客席からの声援は力になるものよ。それが女の子からならなおさらね」

 鋼音でもそれはなんとなく想像がつく。

「あんたはあかりがおしえたとおりに声を出せばいいのよ」

 金谷憲斗の会社を見学したとき、お年寄りの家で大きな声で伺いをした鋼音である。その声の大きさなら、区立体育館いっぱいに響き渡る声援が送れると見たヒカリなのだ。

 そして鋼音の声質は可愛いのだ。いわゆる、黄色い声である。この声で応援されたら、男子高校生なら気分も高揚するに違いない。

 なんと声を出せば良いのか、それはあかりがその都度指示を出すという。男の子をその気にさせる文句など、水商売を知るあかりなら効果的な言葉を瞬時に選べるだろう、とヒカリは期待している。

 栞と七海にも同じことを頼んだ。特に容姿の良い栞の応援を受けたら、男の子たちは奮い立つだろう。

 ヒカリの考えた戦略の外側からの補完策とは、男ごごろへのアプローチなのである。



 体育館に出場校が並び、くじ引きで選ばれた生徒が選手宣誓を行う。

 予選の一回戦がはじまるが、誠実学園高校はシードされているので、客席に移り偵察をかねて観戦だ。

 土俵は二面作られており、南側の土俵での対戦へヒカリと桃、澄花の視線が鋭く送られる。

 この勝者が誠実学園高校の初戦の相手だ。

 両校とも、立ち合いが遅い。審判のハッケヨイ、の掛け声のあと少し間があるほどに遅い。

 突きも押しも、効果の高くないところを一所懸命だ。

 まわしもとる場所が窮屈で良くない。これでは力が出し切れまい。投げを打っても決まらないだろう。

「思った以上にへなちょこですよ」

 桃が澄花に送る笑みには、これはもらった、という余裕がにじんでいる。

「両校とも、確かに映像よりも動きが硬いわ。技術も悪い。でも、初戦の緊張のせいもあるはずよ。二戦目は動きもこなれてくるはず。油断は禁物ね」

 ヒカリはにこやかに釘を刺しておく。桃の楽観が部員たちに伝染してしまうことが大敵と、ずっと感じているのだ。



 いよいよ、誠実学園高校の初陣だ。

 相手は江東区の公立校だ。初戦を二勝二敗からの大将戦で突破した。この大将だけは精神力が強いらしい。

 誠実学園高校は先鋒が二年生の青木。上背に恵まれており、懐が深い。

 相手の先鋒は初戦で勝ちをおさめている。二回戦も先鋒の人選を変えてはこないだろう。それならばと、ヒカリは相手の身長が低いのをみて、長身の青木を先鋒にもってきた。

「青木いっ! 死ぬ気でいけぇー!」

 鋼音の声が響いている。のっけから精神論の文句を選んだあかりである。

 見るからに自分が有利と青木にもわかるはずだ。だから気を緩ませないために、全力をぶつけさせるのが正解だ。あかりも考えている。

「声援のとおりよ。死ぬ気でいきなさい」

 ヒカリに鼓舞されて、太ももをパンパンと叩いて気合十分だ。  

「ハッケヨイ!」

 相手の当たりを受け止めるが、懐の深さを生かした青木は腰を引き、相手はまわしが遠い。

 ガッチリと両まわしを引いた青木は、相手になにもさせずに寄り切った。

「青木! よくやった!」

 桃も拳をにぎりしめて両手をあげるのだ。


 次鋒は一年生の富田。百二十キロの巨漢だが、童顔のいじられキャラである。

「富田あっ! 負けたらご飯抜きだぞぉ!」

 鋼音の大声に会場がどっと沸く。

 選手とヒカリたちの後ろ側の観客席には、吹っ飛ばせ!富田、の横断幕を持った人がいる。富田の家族であろう。富田だけでなく、選手の家族が応援に駆けつけているのだ。

 横断幕の文字通り、富田は体格を生かした突き押し相撲が持ち味だ。

 だが、対戦相手はいなしがうまいことが澄花の分析でわかっている。押し相撲の天敵ともいえるのだ。

 だが、ヒカリは敢えて富田を次鋒にあてた。

「上手を狙いなさい。敵はあなたが突いてくると考えてくるわ。いなしのタイミングを計るために腕を前に出してくるから、脇はがら空きよ」

 富田は桃から四つ相撲も手ほどきされていたのである。

 ヒカリから作戦を授けられて、いざ立ち合う。

 相手はのっけから左上手を狙われるから、予想外の攻めにあっさりと許してしまう。胸が合わさると、押しでなくとも富田の体格がものをいう。

 寄り切って富田の勝利である。

 後ろを見ると、富田の家族が周りに頭を下げっぱなしである。みなが祝福してくれているからだ。その様子にヒカリも、口もとがほころんでくる。

 そこに鋼音の大きな声だ。

「富田あっ。食べ放題だぞっ!」

 これも会場を爆笑の渦にする。あかりも遊びごころ十分だ。


 中堅は二年生の近藤。個人戦で唯一ベストエイトに残った、この部の一番の実力者だ。

 一番勝ちが望める近藤の前に二連勝は、最高のスタートである。

 それでもあかりは、近藤の士気を高めることを怠らない。

「近藤おっ! 勝ったらデートしてやる!」

 今度は後ろの応援席がざわつく。

「うちの学校か? 誰だろう?」

 誰だ?と会場も周囲を見渡す。

 苦笑いのヒカリは、浮つく近藤を落ち着かせるのだ。

「とにかく勝たなきゃ、誰とのデートもないわよ」

 本気にした近藤は、立ち合い鋭く当たると、真横に動く。低い立ち合いの相手の背中が見えた。

 バチンと突き落とすと、両の拳をにぎりしめ、嬉しさをかみしめている。

「勝者、近藤」

 審判の声に、今度こそ桃は勝ちを実感する。初戦突破確定である。

「ヒカリ! 澄花さん! やりましたっ!」

 しかし、そのふたりは勝って兜の緒を締める、である。

 何ごともなかったような顔で、副将と大将に、改めて当たってすぐの変化技で勝負することを指示しているのだ。


 副将原田は二年生だが、誠実学園高校相撲部ではもっとも体が小さい。まともに組めば不利な展開を受けてしまう。しかし豆タンクのような突進力は随一なのだ。

 この突進を受けてすぐに横に回られては、相手はなすすべがない。送り出して勝利をおさめると、はじめての公式戦勝利に、原田はあたりはばからず涙を流すのだ。

「原田くんは自信になったわね」

 勝利以上に大きな収穫だ。


 そして大将戦。

 一年生の田和(たわ)は均整のとれた体格だが、力はさほど強くない。だが動きが俊敏で、反復横跳びの練習では部員で最高の回数をマークし、立ち合いの号砲でももっとも鋭いスタートを見せていた。

 田和はこれが初の公式戦である。

 五人の中ではもっとも相撲経験が浅いが、その分伸びしろも大きい素材だ。

「ハッケヨイ!」

 その瞬間に田和は相手の仕切り線にまで肩を出している。そして左にスルリと変化。向き直ろうとする相手の逆を突き、今度は右へ変わる。真後ろにつくと背中を押し込み、相手はまったくこらえられずに、前へ歩くように土俵の外に出てしまう。

「うおおおーっ!」

 温厚な性格の田和が、雄叫びをあげているのである。

 観客席の家族だろう、お兄ちゃーん、と健闘をたたえている。田和はそこへ手を振って、満面の笑みだ。

 田和にとって、生涯の思い出に残る一番になろう。

 ヒカリの指示はすべて的を射た。

 誠実学園高校は、初戦を五連勝で飾り、ベストエイト進出なのである。



 準々決勝の相手は昨年の若宮杯準優勝の強豪である。

 ヒカリは初戦から対戦順を変えずに臨む選択をした。みなが理想の勝ち方をしたのだ。何も変えないほうが流れを失わない。

 しかしひとつ、万全策も打っておく。

 けが人発生に備えてのリザーブメンバー、二年生の土屋に柔軟体操と四股踏みをさせて、体をほぐさせるのだ。


「青木くん、今度の相手はけんか四つよ。あなたの右四つに組めれば九分九厘勝ちだわ。そのために──」

 ヒカリは立ち合い当たっての左変化を指示する。右四つに組みやすくなるからだ。

 だが、この相手校は経験豊富だ。これは読みのうちに入っているだろう。上手は取れないかもしれない。だが向こうは左四つ右上手を取らないと相撲にならない。右四つではまったく力を出せないことは、澄花の分析でわかっている。

 どちらも上手が取れない展開になれば、自分の四つになった側が間違いなく有利だ。

 かくして青木は、変化を読んだ敵に警戒され、左は抱え込む形になったが、右差しを武器に力強く寄り切る。

「青木くん、ステキーっ」

 この対戦から、栞と七海も声援に加わる。手メガホンを作り、黄色い声を送る。

「おい、あそこに座ってる細いほうの女の子。すげえ可愛いぞ」

 学校関係者でもないのに、こちらを応援している女の子がいる。それもアイドル級の可愛さだ。

 自分たちに拍手を送っている栞の姿に、俄然闘志に火がつく誠実学園高校の選手たちである。

 ヒカリの計算どおりだ。


 先鋒が完勝して勢いがついた。

 次鋒戦、富田は、相手は突っ張りに弱いと澄花に聞かされ、ヒカリからは、威力は弱くとも細かく突っ張り、機を見て右はず左おっつけで攻めるよう指示を受ける。

 立ち合いペチペチ相手の胸を突くと、相手の足は止まってしまう。富田の右腕はあてがおうとした相手の左上腕をはね上げた。

 はずにかかって、一気に押していく。たまらず引きにきた相手の胸を押すと、押し出しで勝利する。

「富田最強ぉっ!」

 鋼音の叫びが響き渡り、栞と七海が、富田くーん!と勝利をたたえる。

 富田は会心の相撲だったろう。これは本人も自信になる。

「ここからよ。敵は私たちが作戦で勝ってきていることに気づいたはず」

 ヒカリは近藤を呼ぶ。相手は右四つが強く、左上手を取りにくるので、相四つの近藤は地力負けすると読む。

「青木くんが変化しているから、ここでの立ち合いは変化も読まれる。上手の強い相手だから、両前まわしをとって頭をつけなさい。機を見て、左右どちらでもいいから出し投げよ」

「ヒカリさん。この相手は今日の一回戦、二回戦とも立ち合い張ってきてました。張り手から上手を取りに行く戦法です。それで勝ちをとってきました。でも、立ち合いはそれしか能がありません」

 高校相撲では強力な手だが、澄花の目にはひとつ覚えに映っているのだ。

「近藤くんがひるむとすぐに上手を取られるわね。張られないよう、低い立ち合いで、前みつだけを狙いなさい。はたかれても落ちないよう、足が揃わないことを心がけるのよ」

「右四つだから、左足が前のほうが攻守のバランスがいいです」

 軍師ふたりから作戦を授けられて、近藤は対戦に臨む。

 立ち合い、相手は張り手を繰り出し、近藤の隙を作ろうとする。

 しかし、頭を下げた近藤は、張り手を受けても動きが止まらない。想定内の攻撃だから、まっすぐ両前まわしにしっかり指をかける。

 片手懸垂で鍛えた上腕力は、まわしを切ろうとする相手の動きをものともしない。

 近藤が腕を伸ばすと、相手は上手まわしが遠い体勢だ。そこを無理に体を伸ばして近藤のまわしに左手をかけようとする。

「そこだっ」

 桃が叫ぶと同時だ。近藤は右から出し投げを打つ。バタンと相手は土俵に腹ばいに落ちる。

「きたーっ。伝家の宝刀っ!」

 客席からの声は鋼音だ。栞と七海も、名人芸!と盛り立てる。

 指示したあかりもうまい。出し投げは近藤の得意技ではないのだが、この声援で他の学校は対近藤戦には必要以上に出し投げを意識するだろう。撹乱作戦なのだ。

「やった! 三連勝!」

 桃も飛び跳ねて喜びが爆発している。車椅子のヒカリと澄花が握手して、ベストフォー入りにうなずきあっている。

 しかし、副将戦、大将戦は変化についてこられて連敗となり、三勝二敗。勝ちは勝ちだが、一方的に負けた原田と田和には、追加の作戦が必要だろう。

 準決勝進出を決めた誠実学園高校は、一時間後の対戦に向けてミーティングだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。