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最終話「悲歌」12

 宮様杯の予選開催まであと四日に迫り、澄花の分析には余念がない。桃も澄花夫婦の住まいのマンションに通い詰めだ。

 澄花は夫があきれるほど、過去の大会の取り組みを繰り返しスロー再生し、桃に解説をしている。

 澄花の目は、相手の視線がどこにあるか、を見極めている。この大会で対戦するであろう学校の全員分をだ。

「サッカーでも、パスを出すときにどこを見るかは選手ごとの癖があるんですよ。どんな競技でも、視線を向ける先には、各人の癖がある。それを明らかにします」

 相撲では、まわしをとりにいく四つ相撲、突っ張りからのはずやおっつけで攻めていく押し相撲、それぞれにどこを見ているかが異なる。

 視線の先がわかれば、相手の攻め方が、攻められる前に読めるのだ。

 桃が指導の初日におしえたように、相手の腕だけを見る、はアマチュア相撲では基本になるのだが、実力のある生徒は高度な技術を目指してなおざりになるし、実力がないならこの基本もできない。

 だから、ほとんどの高校生力士は、腕ではないところに視線を向けている。それがどこへなのかを知ることは防御の第一であり、勝利に直結すると澄花は読み切る。

 同時に、誠実学園高校の生徒へは、相手の腕の動きに集中させることで、攻守一体の構えが一定レベルでできるよう、桃に指導させるのだ。


 改めて高校相撲の取り組みを映像で確認すると、やはり、相撲技術が高くない生徒は、腕を見ていない。ではどこを見ているかというと、体全体なのだ。ただ、当たりにいっていて、当たり勝ちすることを考えている。

 こんな相手なら、一気に土俵の外にもっていかれなければ、勝機はこちらのものだ。

 技術を備えた実力者が相手なら、横への動きを徹底させる。反復横跳びの過酷な練習をこなした生徒たちである。相手の横につければ、実力差を補ってなお有利な展開へもっていける可能性は高い。

 立ち合い当たりの鋭さも、陸上競技の号砲を取り入れた練習で、みなが体得した。

「澄花さん。私、見えますよ。みんなが勝ちつづける姿が。みんながどんな勝ち方をするかが」

 桃は誠実学園高校の破竹の勢いを思い描いている。その目は輝きまで見せているのだ。

「ヒカリさんは、桃さんのそういう皮算用の癖を心配しているんですよ。当日はヒカリさん、どうやって会場にくるつもりなんでしょうか……。正直、体に無理してほしくないんです。ヒカリさんは、私の実家、坪井家にとって大恩人なんですよ」

 ヒカリのことをよく知る澄花だから、止められないこともわかっている。

「あの……その話、うかがってもいいですか?」

 ここで桃は、ヒカリの占術士としての正体と、澄花とヒカリの出会いから、姉の春佳にかかわる記憶の封印と巻き戻しの顛末を知るのだった。



 黒潮組の事務所では、鋼音という少女を送ってから、かつての舎弟で増本組の組長、増本都志樹を密かに呼び出して、八矢ヒカリという少女のことを聞き出していた。

 黒潮組の会田組長は、七代目であり、三十名あまりの組員を率いて十年目となる。健全な企業を買収して表に立たせ隠れ蓑にし、組としては傘下を持たずに、近隣の零細暴力団を舎弟として迎える方針を貫いて、抗争への発展を回避してきた親和主義であった。

 だが、遠く四国の勢力が抗争を仕掛けてくると察知し、此度ばかりは応戦やむを得ず、とはじめての抗争資金集めに躍起になったところ、警察所轄の殲滅作戦にまんまとはまってしまった。

 泣きっ面に蜂の状況に、戦後から六十年の歴史に幕を下ろさなければならない覚悟も胸に秘めていた。

 そこにあらわれたのは、まだあどけない中学生の少女。この子は使いだが、聞くと所有する新光生活サービス社に関わりがあるという。

 この子のバックには、八矢ヒカリというこれも少女がおり、その後ろには二十三区西側半分を支配する広域任侠の元締めと、暴力団も恐れさせている四天王がいる。

 ヒカリの進言で、黒潮組を救済するために、任侠が動くというのだ。

「任侠の元締めは、平成の三十年間、西側の勢力を広げて、今や西側すべてを治めている。全国の任侠だけでなく、暴力団も一目置く存在だ。その元締めを動かすなら、よほどの子なのだろう」

 会田組長は、ヒカリの名をはじめて聞く。これまで耳にしたことがないのだから、元締めの血筋ではあるまい。何者なのだろうか。

「軍師としての才能を、あの門脇卓も認めたのです。いや、尊敬の念すらいだいています」

 増本都志樹の言葉は、会田組長を驚かせるに足りる。門脇はそれほどの大物なのだ。

「増本。お前の目からはどうなのだ。ヒカリという少女は」

「元締めは目に入れても痛くない、まるで孫娘のように可愛がっています。しかし元締めが愛しているのは可愛さだけでありません。彼女の洞察力の深さ、期を読み切る推察力、展開を読む確かな論理、行動力の高さ。なにより、誰にでも惜しみなく愛情を注ぎ、自らの犠牲を厭わない優しい心根。正直、元締めのところでの初対面から圧倒されました。明らかに格上です」

 妻の明美もいまやヒカリの信奉者だという都志樹の口調は、都志樹自身もそうだと言っているようなものだ。

「確かに、ゆかりのない我々のために、これだけの策を練って、行動まで起こしてくれている」

 黒潮組が四国に征服されるか、警察によって消滅させられるか、瀬戸際なのだ。

 生き残りを賭けて、元締めに使いを出すことを会田組長は決断する。

「名士のもとには名士が集う、とは我々の世界の格言だが、考えてもみろ。わずかな日数だけでこの策だ。それも今日には準備が整う手はずという。俺もこの少女に会ってみたくなった」

 そう感心したあと、ヒカリがすべて病院のベッドの上で画策したと聞き、驚きを重ねる会田組長なのである。



 同じ日。

 瑠璃は美歌の家、神林邸に呼ばれて、挙式当日の打ち合わせをしている。

 介添役は花嫁と一心同体。親子ほど年齢が離れた瑠璃であるが、美歌にとっては一番心の内を共にできる友だちだ。

 カズサビューティーグループの新宿クリニックで、石嶺医師による脱毛施術は今日完了した。石嶺医師すら手こずった肩のムダ毛も見えなくなり、当日までに生えはじめることはない。きれいになった背肌に、瑠璃は、ウソみたいに透明です、と褒めておく。実際、脱毛処理で肌まで白くなった印象だ。

「お世辞も瑠璃さんからなら嬉しいわね」

 美歌も服を直しながら、まんざらでもない顔だ。

 披露宴後半では招待客として会場にいることになる瑠璃だ。

「素敵なお写真、たくさん撮っておきますよ」

 カバンから大きな一眼ミラーレスカメラを取り出してみる。

 瑠璃の裸体をリベンジポルノにあげた犯人、大原義隆は、瑠璃が集めた減刑嘆願書が裁判官たちの心を動かし、執行猶予刑にとどまった。

 罪滅ぼしと、減刑のお礼の一部にと、最後まで隠し持っていた高級カメラと高性能レンズ、ストロボや三脚など撮影道具一式を瑠璃に渡したのである。ストロボはアンブレラまで揃えた本格だ。

 カメラ本体も、小型が売り物のミラーレスカメラにもかかわらず大きな筐体だ。高画素かつ低照度下でも精緻なオートフォーカス性能を備えたプロフェッショナル機。ヒカリによると、これらは総額百万円を軽く超えるという。

「これプロも使うグレードだから、私にはもったいないんですけど、腕はあとから上げればいいって、大原さんが」

「瑠璃さんの新しい趣味になるといいわね。もしかしたら、将来はカメラマンの道もあるかもよ」

「まさか」

 笑い合うふたりのところへ、美歌の母が部屋を訪ねてきて、ヒカリさんに渡して欲しい、と書類を置いていくのだ。

「これで万事、ヒカリさんの思い描いたとおりになります」

「例の黒潮組ね。これまで公安ではさほど重要案件にはしてこなかったと父から聞いていたけど、今回所轄が殲滅作戦を敢行しようとしたのは、なにか裏があるんじゃないかしらね」

「裏……ですか。所轄に摘発を指示したバックがいるとかですか?」

「お流れ公共事業をゼネコンに開発させるなんて都合のいい展開を作れるのは、警察のどこかが便宜を計るからよ。ヒカリさんならとうに気づいていると思うけどね。敵はまだ姿を見せていないことに」

「バックというのは警視庁でしょうか? だとしたらヒカリさんは距離が近い分やりにくいですね」

「警視庁ではないわ。警視庁なら自己案件を所轄に摘発させるはずがない。多分、警察庁だと思う」

 美歌は、水面下で、警視庁対警察庁のバトルが勃発しているのでは、と考えるのだ。

 バトルとはなんなのか。

 ──次の警視総監。

 今の五味警視総監は警察庁からの人事だ。順序どおりなら、後任は警視庁の部長クラスの誰かとなる。だが、警察庁が二代つづけて総監を出すことを画策したならば。

 警察庁主導の摘発をつづけ、警視庁に手柄をあげさせない。これを一、二年継続すれば、次の総監は慣例どおりにしなくても、人事院も異論を挟まないだろう。

 そう思い至ると、これはヒカリには早急に伝えておいたほうが良さそうに思える。

 美歌はすぐにヒカリに電話をかけてみるのだ。

 ヒカリの見解は明快だった。

「警察庁の誰かとするなら、五味さんの次でなければ総監になれるチャンスがない人ですね。絞れると思います」

 ヒカリは五味警視総監とは近しいのだ。碧泉院流親占教会の支持者であるから、ヒカリの師、葛原麗華とも懇意である。調べるのは容易いだろう。

 黒潮組殲滅の指示を出した警察庁の黒幕の存在。これは次期警視総監を狙う警視庁の部長たちには脅威だろう。警視総監になるためにはまず警視監に昇格しなければならない。その人事すら危うくなる。

 ヒカリは、美歌の父である神林元公安部長に電話を代わってもらう。

 神林元部長から、今泉公安部長、富樫総務部長、本間刑事部長らに、警察庁の動きを伝えてもらうのだ。

 警視庁の部長たちは手を組んで、黒潮組殲滅を妨害するはずだ。

 そもそも所轄は警視庁の監督下にあるのだから、その上の警察庁から直接命令を受けるなら特例だ。そこに警視庁の部長から真逆の妨害指示を受ければ、所轄は板挟みになる。

「どちらの命令を聞き入れても、所轄の署長は立場が危ういわ。それなら──」

 ヒカリの読みでは、所轄は動かない。動きたくないはずだ。

 ヒカリは黒潮組殲滅作戦が、最近の情報による立案と見ていた。それが公共事業流れと知れば、ヒカリでなくとも罠と考える。罠を張ったのは何者なのか、それを推理すればおのずと警察庁へいきつく。

 目的が次期警視総監の椅子巡りの争いとの美歌の見方は、ヒカリの読みに確信を抱かせるに十分だ。

 所轄が警察庁の命令を遂行しなくても良い大義名分。それが鋼音が手に入れてきた所轄の印と署名、美歌の母に依頼した文部科学省発行の証明書なのである。



 挙式当日はホテルに一泊、翌日のお昼前には新婚旅行に出るため、国際線に乗る。

 美歌は、旦那さまになる人は警察官僚だから、最初で最後の旅行になるかもしれないと、もう官僚夫人の覚悟を見せている。

 大きな事件があればすぐ呼び出し。なくても有事に備えて非番でも待機しなければならない。

 だから、悔いなき旅行にするのよ、と行き先を瑠璃に明かすのだ。

「オーストラリアに行くのよ。実際に行った澄花さんから、足を運ぶべき地、ぜひ見ておくべきスポット、ぜんぶおしえてもらったわ。調べることに関しては天下一品、しかも直の目で補完した完璧なプランを提供してもらえたの。日本に帰ってから、あそこに行っておけば良かった、あれを見ておきたかった、なんてことにはならないわ」

「澄花さんなら、プランナーやツアーコンダクターを余裕で凌ぐプランでしょうね。でも、体力のあり余る澄花さんだからこなせる強行日程だなんて心配はありませんか?」

 頑強な澄花の体つきを思えば、瑠璃の心配も当然だ。だが、澄花の場合でも新婚旅行なのだから、一人旅のような日程はもちろん組まない。

「澄花さんの旦那さんはひ弱らしいから、彼女の旅行も余裕を持たせたそうよ。だから、私の体力に合わせてプランを作る配慮もちゃんと考えてくれていたわ」

「そうですね。澄花さんがそこを見落とすはずないですもんね。でも、最初で最後かもなんて、警察官僚の奥さんも大変だなあ。共働きはできるんですか?」

「禁止されてないけど、物理的に無理ね。私は高卒だからあまり身入りのいい仕事もないし、子どもも早く産みたいから、まず家庭に入るわ」

 ヒカリと不妊治療の心配までしたくらいだから、第一は子作りだと決めていた美歌なのだ。

「高卒って、お給料も低いんですよね。美歌さんはどうして大学に行かなかったんですか?」

 美歌であれば一流と目される大学に進むことなど難しくなかっただろうと、まだ中学生の瑠璃でも感じられるところだ。

「中学の頃から教員になれって、母と同じ道を歩まされるのに、反発してたんだなぁ。自分の人生は自分で決める。それにこだわりすぎた。もし母が、教員なんて大変だから絶対やめなさい、て言ってたら、私は教員になってたと思う。教員が嫌だったわけじゃない。むしろ、母を見て、その素晴らしさを本当はわかっていたわ。だから、教員がするような勉強だけは独学でひととおりこなしてた」

「鋼音のことで、現場の先生みたいなことが言えたのはそういうことだったんですね」

「親に反発するには、ひとりで暮らしていけるだけの経済力も必要だから、私は高校出て、すぐ働いたのよ。でも、結局家は出なかった。なんのかんの、父も母も私のいうことに折れてくれたから。見合いの話も山ほどきたけど、ぜんぶ断った。親のいうとおりにならない人生が、自分の人生だと思い込んでいたのかな。親の意向どおりでもそうでなくても関係ない、どんな道でも自分の行動が自分の幸せを作るものだって、ヒカリさんを見て知った。そこからのことは瑠璃さんも知ってるものね」

「私、美歌さんの人生、すごく尊いと思います。自分を通すことと、人のための自分でいること、その両方を突き詰めるほど体験してきたんですから。きっと、悩んだ人に的確な助言ができるカウンセラーになれると思います」

「カウンセラー? まさか」

 ふたりは先ほどと同じように笑うのである。

「カメラマンにカウンセラー。思ってもみない人生が待っているかもしれないわね、私たち」

 冗談のつもりだが、どこか本当になりそうな予感も小さく芽吹く二人なのである。

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