最終話「悲歌」11
鋼音は新光生活サービス社が入居するビルで、金谷憲斗と一緒に社長と面会している。
黒潮組の幹部として出向している社長だから、四国全域に勢力を伸ばした組が、本州それも東京に拠点を構えようと中堅どころの暴力団を飲み込みにかかっており、黒潮組がその牙にかけられようとしていることも、もちろん承知していた。
そして、それとはまったく別に、複数の所轄が合同で黒潮組を殲滅しようと罠をしかけてきたことも。
「任侠から一任されているという女性は信用できるのか?」
ヒカリのことを知らない社長だから、その疑問も当然だ。鋼音は、お手紙を預かってきました、と封書を差し出す。
一読して、社長は、これはたいしたもんだ、と感嘆のため息をもらす。
「新光生活だけでない。買収してきた企業全部をまとめて生かすプランだ」
憲斗は、ユミカのスキャンダルを策略をもって抑えこんだ実績を話すと、社長も、この案は組長に献じないといけない、とつぶやくのだ。
社長は鋼音を伴って、葛飾区の黒潮組本部へ出向く。
黒潮組組長の前でヒカリのプランを説明している社長は、いつしか熱弁に変わっていた。
すべてが助かる道はこれしかない。社長もヒカリに肩入れをはじめているのである。
ヒカリの作戦は、持ち株会社の設立である。ホールディング化して、健全な企業すべてを傘下に置く。それら企業と並べて、黒潮組は不渡りを短期に二度出させて倒産させる。つまりは偽装倒産だ。倒産後はホールディングの下に置き、名のみ残して中身を空にするのである。
組長以下、全員が健全な企業のどこかに出向だ。むろん、形だけである。
警察が手入れをするためには、組長をはじめ幹部たちを起訴できるだけの証拠を押さえなければならない。
その証拠として、公共事業をわざと流して、どこかのゼネコンに開発をさせることで、黒潮組に仲介を依頼し、シノギを生ませたのだ。
そう推察したヒカリは、病室で眉をひそめて、門脇の女房と増本明美にこう話していた。
「こんな罠にはまるなんて、黒潮組は四国からの脅威をよほど警戒していたんですね。抗争に備えて資金集めを強化しなければならないから、焦りが勝ってゼネコンが警察とグルと疑問を抱かなかった。いくら社会的信用を持っているゼネコン企業であっても、公共事業が絡むのなら背景を調査しなければならないのに……」
黒潮組に不渡りを出させれば、一度目で工事の仲介はご破算になる。取り引きがなかったものになるから、仲介手数料は返還しなければならないが、同時にシノギもなかったことになり、手入れの根拠も消滅だ。
しかしただ仲介を辞退して手数料を返還しただけでは、ゼネコンに損害の訴訟を起こされる。訴訟でシノギのことが証言されれば、辞退しようが暴対法の適用で黒潮組へ手入れの口実に使える。
警察側は、仲介を成立させれば後の展開にかかわらず手入れが可能とほくそ笑んでいたはずだ。
手入れを回避するためには解散しかない。解散してくれるなら、警察はなおのこと手間が省ける。
警察の青写真は完璧なはずだった。
ヒカリならここまで読むのは簡単だ。
だからその上をいけばよい。
これは思い切った手でもある。黒潮組を張りぼての暴力団にするのだから。
警察も、黒潮組本体に不渡りを出させ、偽装倒産をするとまでは予想しないだろう。ヒカリはそう読んでいる。倒産すれば、法律上の整理があるからだ。
だから、ヒカリは堅気企業を前面にたてたホールディングを思いついた。黒潮組を持ち株会社の傘下にしてしまえば、整理も持ち株会社のこちら側の弁護士に頼んでもかまわない。当局から横やりを入れられる筋ではなくなる。
黒潮組を狙う四国の勢力も、名ばかりの組になってしまえば、その勢力を奪うことはできなくなる。黒潮組が押さえてきた三区は、実質、任侠の支配下に移るのだ。一大勢力と相まみえる準備など、しているはずもない。
折を見て組長を黒潮組に戻し、同盟と引き換えに、三区の支配を任せれば黒潮組としても傘下に下ってもこの世界で面目はたつ。
黒潮組そのものを殲滅できなくとも、すべての資金源の分断ができれば、警察は最低限の目的達成と考えるだろう。だから、警察は堅気の会社を傘下にするホールディングをターゲットにすることに作戦を変えるはずだ。
健全な企業であっても、そこを潰せば黒潮組は裸の状態で露わになる。
ヒカリはホールディングに鉄壁の守りを敷くことで、警察の矛を跳ね返す策だ。
そこで、鋼音の登場となる。
鋼音は葛飾区の所轄警察署の前に立っている。
ヒカリから、あんたじゃないとできないこと、と言われて来てみたものの、言われたとおりにできるのかやっぱり不安なのだ。
だから、朝に瑠璃に気持ちを話してみると、私たち友だちじゃない、とがっしり肩を押さえてくれる。
瑠璃は、お昼前に急病になっておくから、と所轄の前で待っているようにという。
植え込みに腰掛けて、通りがかりの人に瑠璃の姿がないかをずっと探していると、向こうで、おーい、とを振っている。
「待ったでしょ。これでも急いできたんだよ」
制服のままの瑠璃は、本当に走ってきたらしく、髪が少し乱れている。鋼音の水筒から麦茶を一杯分けてもらい、ふうと一息つくと、持ち物の確認しよ、と鋼音と対面になる。
「鋼音の体験レポ、お礼状、厚生労働省への提出書式、区役所への陳情書。全部あるよ」
「記入欄も全部埋めてあるね。ここに警察署が判を押すだけで、黒潮組の手入れを回避できて、新光生活サービス社も確実に助かるってヒカリさんは言ってたけど、どうしてなのかな」
「わかんないけど、絶対にハンコをペタンさせなきゃいけないんだ。私は二十三区の中学生の代表なんだって」
筋道がわからないまでも、準備は整っているわけだから、とにかく行ってみることにする。
「こんにちは。私たち、職業体験の中学生です。担当の課に行きたいんですけど」
警察に義務教育の職業体験を扱う係りなどもちろんない。一階の玄関正面が交通課だから、そこに聞いてみたが、当然戸惑っている。
「それは多分、区役所の教育課みたいなところと間違ったのだと思いますけど。警察は職業体験とは関係ないはずだから」
「でも、ここに警察署の印をもらうところがあって。だから来たんです」
「ええ?」
交通課の署員が紙を間近にもってきて見ると、確かに役所と警察署の押印欄が一か所ずつあり、葛飾区役所学校教育課の印はすでに押してある。
「ちょっと待っててください」
署員がどこかに向かうと、しばらくして戻ってきて、生活安全課に行ってほしいという。警察としてこの書類は初めてで、一番それらしい課に回したらしい。
当の生活安全課も、これは初めてなのでどんなものなのかおしえてほしい、と鋼音に尋ねてくる。
鋼音は、新光生活サービスでの工務の仕事の体験レポートを見せてみる。老婆宅でスロープを設置したときの記録だ。
レポートには写真も数枚添付してあり、これは当日ヒカリがスマートホンのカメラで撮っていたものである。鋼音の作業の姿や、喜ぶ老婆に礼を伝えられている瞬間だ。
鋼音が拙い字で書いた、新光生活サービスへのお礼状も見せてみる。
「はあ、これはいい体験をしましたね」
生活安全課の署員もそう言わざるを得ない。
そして厚生労働省へ提出するという書類。法何条何項の規定により、などと記されていると、署員もなんだかわからないが、欄もあることだし、とにかく印を押しておくことにする。
最後の一枚、これが区役所への陳情書で、東京二十三区の中学生たちが、新光生活サービスへの生活体験が受けられるようにすることを要望するものだ。
中野区の会社の社会体験がなんで葛飾区への陳情なのかと、ここで署員は不思議に思い尋ねてくる。
「新光生活サービスの親会社が葛飾区にあるからだそうです」
その陳情書には、賛意の署名欄があるのだ。この欄にはまだ、八矢ヒカリと西成瑠璃という名前が記されているだけだ。
「もし良ければでいいんですけど、警察署一同として署名していただけると、一行でたくさんの人の署名と同じになります」
「署長に聞いてきます」
署員が陳情書を持って出ていく。
ここが鋼音がヒカリによく念を押されたところであった。陳情書だけを持っていかせるために、他の書類はすぐしまっておくように、と。
「ヒカリさん。うまくできました!」
印を押させて署名ももらったという鋼音の電話報告に、ヒカリは強くうなずいている。あとは黒潮組の組長のいったん組を捨てる英断を待つだけだ。
「ご苦労さまだったわね。瑠璃さんに代わってくれるかしら。そこにいるんでしょ?」
やはりヒカリはすっかりお見通しなのだ。
肩をすくめて瑠璃はスマートホンを耳に当てる。
「私、そこにいただけで、出番はなかったですよ。鋼音がぜんぶやりました」
「いてくれただけで、鋼音は安心だったのよ。友だちとはそういうもの。早退までしてくれて、お礼をいうわ」
ヒカリはそのままふたりで病室までくるように指示を与える。
「その前に、おいしいものを食べてきなさいね。お昼ご飯、まだなんでしょ。セイント・セミコンダクターに行ったとき、新小岩の表通りに、評判の手鞠寿司のお店があるのを見つけたの。加熱のタネも多いから、生ものの苦手な鋼音でも楽しめるわ。たくさん食べてパワーを補充よ。鋼音の電子マネーで支払ってきなさい」
「わーいっ! ヒカリさん、大好き!」
鋼音はお腹をおさえて、ペコペコの仕草だ。緊張も解けて、空腹感もさもありなんだろう。
「やった! さすがお母さん!」
瑠璃も給食を食べずに早退してきて良かった、とニコニコだ。
そんなふたりの笑顔を、電話越しにはっきり思い描けるヒカリなのである。




