最終話「悲歌」10
増本組の兄貴格だった組は黒潮組といい、土建を主なシノギにしている。戦後すぐに編まれた、古株の昭和ヤクザなのだが、指定暴力団として警察からマークされるようになった平成時代に、堅気の会社を買収することで、世間の目を装うようになった。
警察は企業買収を実質乗っ取りと見ていたが、堅気の事業しかさせないため、手を出せずにただ眺めるだけだった。
金谷憲斗が勤める新光生活サービスも、買収された企業のひとつだが、憲斗は今日、黒潮組の活動資金分断を目的とする手入れが内定しているらしい、と社長に聞かされたのである。
シノギのみならず堅気の会社もまとめて切り離すのが警察の方針らしいが、これらの会社に事業をさせない強硬手段をとるのではないか、というのが組の見方なのだ。
そのとおりなら、早い話、堅気の会社もみな潰す、ということだ。
憲斗は考える。そうなる前にこの会社を黒潮組から分離させて、買い取ってしまいたい。
だが、簡単なことではない。
そもそも前社長が設立したときの資本金は二百万円ほどだったが、憲斗の進言で社用車や工具の買い増しをした結果、資本は七百万円に増えていた。
おいそれと買い取れる会社ではなくなっていたのだ。
社長が話すように、警察が本当に堅気の会社まで根絶やしにするつもりなのか確定しないが、気が気でない憲斗なのだ。
相談するには、警察の事情に詳しい者でなければ。憲斗はヒカリを頼ること以外、考えつけることがない。
ヒカリは任侠の門脇を介して、増本組の組長、都志樹に電話をかけてみる。
「最近まで黒潮組と盃を交わしていたのですから、内情も聞いているのではないですか? 警察が今、殲滅に向かったのには、それが可能な情報を得たからです。」
組織犯罪対策課、組対と略されるチームは常に情報収集を怠らない。だから、かねての策ではなく、最近の情報からの動きと推察する。
都志樹は盃を返す直前に、公共事業が流れた跡地を取得した会社から開発仲介をした話を聞いていた。
その手数料はシノギそのものである。
ヒカリは公共事業予定だったことに不審を感じる。黒潮組が組対の罠にはめられたのではないかと疑うが、都志樹はそれよりも切羽詰まる情報を持っていた。
「ヒカリさん。それだけじゃないんです。四国の地域の組が本州に進出してきて、黒潮組を吸収しようと動いているのです」
これは憲斗も話されていなかったことだ。暴力団同士の抗争のことだから、社長も堅気の憲斗には関わらせたくなかったのだろう。
「東京二十三区の西側は任侠が広域に支配しています。ここへ攻め入るにはよほどの戦力を整えないと、逆に叩き出されます。だから東側へ──」
ヒカリにはそう容易に予測できる。
増本組の地盤は西と東のちょうど境目にあたる。黒潮組が取り込まれたら、次は隣接する増本組地盤への侵略だ。考えるほど、ことは重大なのである。
「これは……黒潮組が四国に溶かされてしまったら大変なことになります。増本さん、警察による黒潮組殲滅作戦の展開と、四国からの侵略を、元締めに報告してください。私もできるだけの手を打ちます」
ヒカリは黒潮組殲滅をどこが画策しているのかを考える。指定暴力団とはいえ、広域とは言いがたい。とすれば、黒潮組勢力範囲の葛飾区、江東区、江戸川区あたりの所轄、それか三所轄合同だろう。
ヒカリは黒潮組を任侠に取り込んで、葛飾区新小岩のセイント・セミコンダクター社のある地域への影響力を持たせてもらう算段でいた。
だがこれから予想される展開は、あまりに大ごとだ。自分都合は二の次にせねばならない。
ヒカリは、病室に門脇の女房と増本明美を、大至急だと呼んで、対策を与える。
病室へは任侠や暴力団員当人はさすがに呼べない。今後は女たちがヒカリとの連絡係りとなる。
瑠璃には当分任侠に出入りしないようメールを出し、双龍の妻である百合にもこの状況急変を電話で伝える。
あかりと鋼音はいつもどおりで良かろう。どうしても元締めや門脇に対面で伝えなければならないことは、あかりに頼るほかない。
ヒカリはあかりに電話をかけようと談話室まで出向うとする。すると通路であかりとばったり顔を合わせるのだ。
見舞いにくる前のあかりに頼みごとをしたかったのだが、一足遅かったらしい。
「元締め、やっと墨の濃淡を描きわけられるようになったわよ」
病室のサイドテーブルの上に、見てごらんなさいよ、と霞をまとう山々の絵を広げて置くあかりだ。
「ここらへんに仙人を立たせると、立派な作品じゃない?」
あかりは、ヒカリも絵画は素人ねえ、とここぞとばかりに滅多にできない勝ちの顔をしてみる。
「そんなのいかにもでしょ。ステレオタイプの雰囲気なんて、なんの感銘も与えられないわ」
「ええ。私はつまらない素人でしょうよ。クリエイティブな才能がなくて悪かったわね」
ぶすっとした表情のヒカリに、なにやら機嫌の悪くなることがあったらしい、とあかりにもわかる。
「なにつむじ曲げてんのよ。ヒカリらしくもない」
ヒカリは深くため息をついて、頭の後ろへ腕を組ませて、腰掛けていたベッドに横になるのだ。
「モヤモヤすることがあってね」
「え? なによ急に」
鋼音よ、と天井を眺めて、ボソリという。
「金谷さんのところに行ったのよ。私に黙って」
「ひとりで? 遠出ができたなんて、そりゃ驚きだわ。で、なに? ヒカリにないしょだったのが気にくわないわけ?」
ヒカリの顔をうかがうと、図星だったらしい。鋼音がヒカリに嘘や隠しごとをしたことがない。一度は疑ったが、記憶の封印と改竄の仕業と今はわかっている。だから、はじめて隠しごとをされたのだ。
「鋼音のこと、なんでも知っておきたいだなんで、うるさ型の母親じゃないの」
以前瑠璃にも同じ指摘をされたから、さすがのヒカリもグサリと刺さる。
「工務の仕事をまた経験したいなら、私に黙って行くことはないわ。金谷さんは、あの日気絶した理由を知りたくてきたらしい、と言っていたけど、それも私に隠すことじゃない」
「まさか封印がほどけて思い出したとか?」
「金谷さんの話だと、落ち着いていたようなのよ。発狂した様子も取り乱しもなかったみたいだし、記憶の封印はそう簡単にはとけないはずだわ」
ヒカリらしくない、とあかりは思う。
いつものヒカリなら、真っ先に様子を確認するだろう。
「まさかと思うけど……」
ひとつ思いあたり、ヒカリは病室にもかかわらず、鋼音に電話をかけてみる。
電波の届かないところか、電源が入っていないため──。
「あんたに、鋼音の様子を見てくるよう頼むつもりだったのよ。思ったより早くきてしまったから、タイミングが合わなかったわね。悪いけど、今から部屋に様子を見に行ってくれない?」
「気になるなら、連れてくるわよ。他に用事はない?」
「鋼音だけでいいわ。鋼音がなんでもなかったら、やってもらいたいことがあるのよ」
あかりが鋼音を連れて病室に戻ってきて、鋼音のとくに変わりない様子に、ヒカリもホッとする。ひとりで憲斗を訪ねたことと、スマートホンの電源を切っていた理由には、触れないでおくことにする。
「瑠璃さんには、用があって鋼音を先にこさせたとメールしておくわ」
まだ授業中の瑠璃だから、それを知るのは数時間あとだろう。
ヒカリは、任侠にとって大変なことが起ころうとしている、と厳しい顔になる。
私の作戦のためにまず把握してほしい、とヒカリはふたりに新しい組織の構成を説明する。
「警視庁の組織図を真似たのは、なにも受け狙いではないからね。警視庁は東京都の警察本部と同じ。警察庁の二次組織といってもいい。都民の安全と生活を守る組織構成だから、任侠と構成員、その家族の安全と生活を守る組織にそのまま転用できる」
その意味では、洒落で作ったと思われた学校生徒会組織を真似た没案も、実用を備えていた。
ヒカリはかつて任侠が人々の生活に密着していた頃を再現したい。元締めの想いがそれだからだ。昭和後期から平成にかけて暴力団化した仲間の任侠の有様を、悲しく見ているほかなかった無力さに対し、余生をもって今の時代で償おうとしている元締めの姿に打たれている。新組織は、人々の生活に密着させたい。だから、警察の交番に相当するような出張所を地区ごとに配す案を軸に、トップダウンともいえる警視庁の組織図を真似た。
もうひとつ、任侠も治安と人々を守る組織である自負を込めさせたいと、これはヒカリの願いでもあるのだ。
「私は最初、任侠が二次組織化になるのを防ぐために、独立組織として考えたの。二次組織になってしまうと、これから傘下になる既存団体は、任侠の直接支配よりも従属精神が下がる。守ってもらえるという安心感と信頼度が未知数だからね」
「それは元締めのところで聞いたわよ。だから組織のポジションも迷ったし、しばらく組織から抜けていた双龍さんを舵取りにするかも悩んだんでしょ」
あかりもそのときの話を思い出し、人事問題は難しいわね、とうなずいている
「私が双龍兄さんを総監にもってきたのは、二次組織にすることに決めたから。そう決めたのは、増本組を見たからよ」
「新参と下位人員の抜擢で新組織を組もうってことね。四天王に関わらせないっていうのも、任侠の直接支配から遠ざけるのを徹底するからね。でもさ、プロ野球に例えたら、新入団選手と、新入り外国人助っ人、二軍選手だけでチームをつくるようなもんじゃない」
「この組織の肝となるのは公安だわ。公安さえしっかりしていれば、あとは育てながらでもいいのよ」
「まあ、いきなり優勝できるチームに仕立てなくてもいいとはあたしも思うけど」
「そう。あんたの譬えをもらうと、私は一年目に優勝できるチームを頭に描いてしまったから、決めかねていたのよ。育てることに気づいたら、二次組織でいい。要の公安には、黒潮組を充てる」
「なるほどね。これなら増本組も異論は出さないでしょうし、東側の勢力を手土産にして入ってくるんだから、任侠の他の派閥としてもウェルカムなわけだ」
「そう。だから黒潮組はなんとしても取り込まなければいけないけど、今の暴力団の器のままでは、取り込んだこっちまで所轄の作戦にはまってしまう。それに、四国が飲み込む価値をなくすようにもしなければならない。だから、黒潮組の形を変える」
「そっか。まだ絵に描いた餅だから、本物のお餅にするわけね」
「そこでね、鋼音。あんたに頼みがあるのよ。いえ、あんたじゃないとできないことだわ。宮様杯のことも頼んでるから、大変なのはわかってるけど、力を貸してちょうだい」
「えっ。鋼音を?」
ここで鋼音が出てくるとは、あかりにも意外すぎだ。
「私にできるのかなあ?」
「憲斗さんのためにもなることよ。やるでしょ?」
なにか含みがあるような言い方のヒカリである。
「新光生活サービスの社長と一緒に、黒潮組の事務所に行って欲しいの。まず、私の手紙を組長に渡してちょうだい。必ず組長に直接よ。次に──」
ヒカリがすべての指示を与えると、鋼音とあかりが揃って、
「ええーっ?」
と目を丸くする。
鋼音だからこそできること。ヒカリはいかなる策を考えついたのか──。
「でさ、ヒカリはいつになったら退院できるの?」
「傷の方は一か月くらいでおおかたは良くて、あとは裂かれた腸の戻り次第かしらね。食事もまだおかゆとスープみたいなものだけだし」
ということは、傷そのものはあと少しで回復だ。腸の消化機能の戻り次第で、まともな食事も摂れるようになるのだろう。
「胃を刺されなかったから、血が咽頭まで逆流してこなかった。口まで血がのぼっていたら、出血でなくて血液凝固の窒息で死んでいたかもしれないわけだから。これだけは幸いだったわね」
といってもお腹の動脈を切られたのだから、数分で心肺停止まで達してしまったヒカリである。このときの心停止時間の長さが、弱っていた心臓をさらに痛めつけた。
「今日も言われたわ。心臓の戻りはまだ七割だって」
今日の心電図検査では、細動のおそれがまだ残っていたのだ。これがある限り、退院はさせてもらえない。
「七割ってどんな感じなのかわからないけどさ、百パーセントになるには長期療養が必要って言われてたじゃない。てことは、百になる前には退院して、あとは自宅療養で回復に努めるわけでしょ。八割ぐらいで退院させてもらえるのかしらね」
「さあね。でもいつまでもここでゴロゴロしてるわけにもいかない。やることがいっぱいあるわ。宮様杯、セイント・セミコンダクター、新組織、黒潮組」
そして本人がそこにいるから口にしないが、鋼音のこと。あかりにも、ヒカリの両手にあまる事案が山積みとわかる。そして、ヒカリの悲願──両親と夫の殺害事件の真相をつきとめること。
「まったく忙しいことね。増本組のことは黒潮組とまとめて考えていいんでしょうけど、ひとつひとつ片づけるなんて、悠長なこと言ってられなくなったわね」
「相撲のほうもちゃんとするわよ。桃には自分の将来に向けて、そしてお父さんとまた仲良くなるために、予選優勝は絶対必要だもの」
そんな言葉を聞くと、あかりは、いくらヒカリでも体はひとつ、脳みそもひとつでしょ、と心配になる。
するとヒカリはフフと笑って、
「体も脳みそも、ひとつじゃないわ。みんながいてくれる。助けてくれる。あんたにも感謝してるんだから」
仰々しく頭を下げてくる。
「本当かしら?」
いつにもない神妙さに、半分だけ本気に受け取っておくと、ヒカリはやはり真顔に返り、話を戻してくる。
「黒潮組のことも急を要するわ。さっき門脇さんの奥さんと明美さんにきてもらって、私の考えを伝えたけど、近いうちに元締めにもお会いしないといけない。そうでないと警察にも四国にも後手を踏むことになる」
「宮様杯の予選、どうやるのか知らないけど行くんでしょ? そのときに──」
「ええ、その日に元締めにも会うわ。当日会場の近くにきてもらえるよう、これも門脇さんの奥さんにことづけしておいたから」
打つべき手はすべて打つ。ヒカリらしく、万端整えて、なおも先手を取る余裕すらみるあかりだ。
ヒカリは手帳のカレンダーを開き、明日の予定に、鋼音・黒、と書き込んでいる。




