最終話「悲歌」8
四十代後半か五十代に入ったかくらいの年齢か。あかりのタロットカード鑑定所に訪れた女性は、恋愛の成就と結婚への発展を観てもらいたいという。
ヒカリが主宰していた『光の路』のように繁盛しているわけではないが、あかりの鑑定所にも毎日ひとりふたりは鑑定を受けにやってくる被験者がいて、その年代は若年層に偏っている。だから、今回のように中年の被験者は珍しいのだ。
察するに、子どもの恋愛や結婚の鑑定だろう。まずは話を聞かせてもらい、状況の把握だ。
「タロットでは、こちらの想いが伝わっているのかどうかで、託宣の受け取り方が違ってきます。お相手に告白されてみたのでしょうか?」
「告白はまだ……。相手は薄々は感じてくれていると思うのですが」
薄々でも、それが伝わっているならアプローチもまったくの唐突にはならない。男だって、自分に想いを寄せてくれているとはっきりわかれば、その瞬間に相手を好きになってしまうこともある。
「でも、ライバルがいるのです」
「恋敵ですか」
聞くと、彼のことを好きな女性が、他にふたりいるという。そのふたりも、彼のことをものにしようとアプローチを仕掛けているのだとか。飲みに誘ったり、食事に行ったりと、積極的らしい。
この話だと、子どもは娘ということになる。
これは果報者の男性ですね、とあかりは、きっとかなりのイケメン男子だと想像してみる。
「これは早いもの勝ちのパターンです。三人のなかで一番早く既成事実を作れた人が、彼と結婚できるでしょう」
あかりはさも読み切ったかのように確信に満ちた顔を見せると、タロットカードを準備する。早いものになれるかを鑑定するのだ。
「お子さんの恋も心配されるなんて、母親も大変ですねえ」
そう同情の言葉をかけてあげると、女性は戸惑って、あの……、とあかりの動きをさえぎるのだった。
「ええっ?」
あかりも思わず大きな声をあげてしまう。
「あ、あの、失礼しました。てっきり思い込んでしまって……。もう一度、はじめから話を聞かせてください」
女性の名は葉山由紀子。四十八歳という。恋愛と結婚を占ってほしいのは、由紀子本人だったのである。
相手の男性は川原謙次郎という五十三歳。もちろん未婚、婚歴もないらしい。
ライバルとなるのは、四十九歳の離婚歴あり、子どもはすでに社会人だ。そして四十五歳のこちらも離婚歴ありで、大学生の息子と娘のふたりの子持ち。
由紀子はずっと独身で、バツなしの優位さはある。だが、あかりは由紀子の容姿が、実年齢よりも少し老けていることに、まず不利を見てしまうのだ。
体型は中年太りまではいかないが、お腹が前にぽっこり出ているのを、きつめのスラックスで誤魔化しているところを見逃さない。
八分袖のシャツからのぞく腕の肌つやを見ると、張りが弱く、これではおそらく乳房も下がっているだろう。
熟年婚といってしまうには、当事者たちはまだ若いほうだ。男性にしてみても、体の魅力も結婚には大切な条件に加える年齢と思う。
その意味では、由紀子は裸になってしまえば、魅力薄を露呈してしまうのが目に見えている。だが、それは他のふたりも同じようなものだろう。
あかりは、由紀子が同僚と鞘当てを競っている謙次郎という男性が、三人とも選ばないのではないか、と早くも予想するが、まずタロット鑑定の結果を観てからだ。
かくして、次の日の午前に、ヒカリの病室であかりは難しい顔をしているのである。
「こういう、可もなく不可もなくって結果が一番困るのよねえ」
「それはあんたの勘どおり、相手の男性が誰も選ばないということではないのかしら?」
ヒカリは相手の男性に結婚願望があるのかどうか、そもそもそこだという。
「その歳まで一度も結婚せずにひとりをとおしてきたんでしょ。子どもを持ちたくなかった、もっと言えば、奥さんをもらうことを負担に感じている可能性もあるわ。女性はあくまで恋愛だけ。それか遊びにとどめる」
そういう男性は確かにいる。ひと昔まえは、世間からプレイボーイと呼ばれていた輩だ。
「遊びだったらもっと若い子を選ぶでしょ。この彼、三人とも食事や飲みに行っているのよ。由紀子さんとはそれだけで、その後の進展はなし。他のふたりはわからないけど、子持ちだからね」
あかりには、由紀子が抜け出せる可能性もあると考える。
だが、ヒカリは、それは判断材料にならない、と言い捨てる。
「アプローチを受けたから、それに乗っただけだったら、遊びではない印象を受けるのも当然よ。仕事の同僚としてアフターファイブにつき合っただけかもしれない。なら、それこそ三人とも芽がないわね。その由紀子さんが恋したのは、自分の年齢としてラストチャンスという思いが強いからじゃない? 相手の男性のこと、本当に好きなのかしら」
「結婚願望が強いだけで、自分の年齢を恋愛対象に入れている男性だと思ったから、この人と入れ込んだに過ぎない。そういうこと?」
「一般的にはね、仮に恋に恋しただけでも、本当に結婚してしまえば、あとから本当の愛情が生まれることもあるわ。恋愛結婚が結婚のすべてではないし、実質暗示みたいな結婚でも、幸せは作るものだからね。ただこのケースは……」
男性に誰かと結婚する意思があるのかわからない、女性も愛情よりも結婚ありき。これではタロット占術の託宣も二組使おうが表意にとどまる。真意は被験者が隠しごとや嘘を伝えていた場合の、鑑定者への道しるべなのだから。
あかりのタロット鑑定では、実際に起こること、そのために必要な行動のみが示される。ヒカリは、そのあとに生まれるであろう不安と不満は、この被験者から観ることはできないという。
「じゃあ、するべき鑑定は……」
「まあ、観相になるわね」
その観相を施しても、結婚と引き換えに不安と不満を被験者が受け入れてしまうであろう展開なら、読めても意味がない。
入院中のヒカリに無理を言って鑑定を受けさせるほどの依頼ではないと、あかりはこの話はもうおしまいにする。
だか、このあとヒカリも巻き込んでの意外な展開を見せることになるとは、ふたりもまだ気づかない──。
「このあと作戦を練るんでしょ。そもそもヒカリは相撲がわかるの?」
宮様杯の東京都予選は、朝から夕方までの半日をかける。ヒカリはそんな長時間の一時外出は許されない。作戦の精確さが勝敗に直結するから、ヒカリの相撲競技の理解度は生命線なのだ。
「スポーツ選手の鑑定はそこそこやってきたけど、タニマチの力が強い大相撲は、力士個人や相撲部屋の考えで鑑定を受けにはこないのよ。今から勉強しないといけないわね。でもおおかたは攻めの組み立てと、立ち合い前の心理戦でしょ」
「まあ、そうね。見ている側としては立つ前に展開を予想して、そのとおりになるか意外な手でくるのかも楽しみだけど」
高校相撲は部長、顧問、監督など、指導者のうち、一番長じている誰かが作戦を立てる。まず例外なく、立案者はひとりだ。ひとりなら、思考パターンも読みやすい。
「ヒカリなら、すぐに相撲のことをわかっちゃいそうだけど」
わかりそうではなく、わからなければいけない。それも映像のみでだ。
ヒカリはかつて、夜職の世界を知るためにあかりを頼って水商売や風俗の世界を見学した。百聞は一見に如かず、を座右にし、実践していたからだ。
だが、そのころのヒカリとは違う。百聞を一見に匹敵させる分析力と洞察を身につけている。そして百聞の内容は、澄花という完璧な相棒が提供する。
ヒカリは自信があるのだ。
そして、ヒカリは戦略以外にも手を打つことを怠らない。
「あんた、もしかして相撲にも詳しい?」
「嫌いじゃないわよ。子どものころから中継は見てたし」
「だったら、十二年前に引退した梅若丸は知ってる?」
「ああ、まん丸とした体形で、子どもにも人気だったわよ。あたしも好きだったし。でも幕内にはそんなにいなかったでしょ? 新入幕のときに二桁勝って、敢闘賞を取ったくらいしか記憶にないなあ」
三賞受賞を経験しているとは、ヒカリもそこまでは知らなかった。梅若丸の一番の全盛期だったのだろう。
「それを覚えてるだけでたいしたものよ。桃さんはね、その梅若丸の娘さんなのよ。本人も相撲競技の経験があるわ」
「へええ」
体格も良いし、いかにも力士の娘らしいじゃない、と感心すると、実の子ではないと聞かされる。
しかも今は相撲ではなく柔道をしていることに、血のつながらない難しさを感じるのだが、ヒカリは生みの親より育ての親があてはまる親子だという。
「血がどうのという、そんな簡単なことじゃないのよ。確かにお父さんと行き違いは桃にはあるけど、桃はお父さんが大好きよ。それゆえのいさかいだから、心配することはないわ。だけど桃は、もう、トップクラスの力を失ってしまった。相撲競技には戻らず、柔道も多分、このまま現役を引退するわ」
「気の毒ねえ。相撲部の指導に熱を入れているのも、選手として不完全燃焼の悔しさをぶつけているのかもね」
ヒカリの助言からの相撲指導とはいえ、桃は今、相撲部に情熱をかけている。ヒカリはなにがなんでも相撲部に予選優勝させて都の代表にさせてあげたい。その思いを共有するために、あかりにまず桃のことを話してみたのだ。
そして、戦略を外側から補完する策だ。
「十日後の日曜日に宮様杯が開かれるんだけど、あんた会場にきてくれない? 当日頼みたいことがあるのよ」
つまり、あかりに会場でしてもらいたいことがあるのだ。そして、鋼音、栞、七海まで動員するという。
澄花は軍師のひとりとして桃に付き、美歌の結婚式と日にちが重なるので瑠璃もはずれるが、ヒカリはあかりたちになにをさせる気なのか。
「そんなたいしたことじゃないのよ。楽しんでやれると思うから。でも、あんたと鋼音は役割りが大きいからね」
それはわかったとして、あかりはヒカリの言い回しが気になる。
「会場にきてくれない、って、行ってくれないの間違いじゃないの?」
「間違いじゃないわ。当日は私も行くんだから。相撲部のヘッドコーチとして土俵下にいるわ。だからきてくれない、なのよ」
「なんですって?! 病院抜け出していく気?」
「しっ」
声が大きいわよ、と人さし指をくちびるにあてるヒカリだ。




