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最終話「悲歌」4

 所轄の吉川巡査部長が地下駐車場で起こった事件を知らされたのは、ヒカリが搬送されたその日である。

 管轄外事件情報に、殺人未遂事件として刺された女性は心肺停止という状況が伝達されるが、被害者名が八矢ヒカリと聞いて、吉川巡査部長のほうが心臓が止まったかのようだった。

 ヒカリからはセイント・セミコンダクター社に勤務していた夫の八矢圭吾の身辺に絡む人物を、徹底的に洗うように指示を受けていた。圭吾への殺害容疑を匂わせてだ。

 容疑者扱いされるセイント・セミコンダクターの人間を、警察の捜査から守る姿を演じる。それがヒカリの策だった。彼らを守るために、圭吾がしようとしていたこと、そして身の回りに起こったこと、これら真実を調べ明らかにするのに不自然は少ない。協力も得られる。

「ヒカリさんはもしや核心に急ぎ入りすぎて命を狙われたのでは」

 吉川巡査部長はそこまで考えを及ばせる。ヒカリの両親も夫も殺害されているのだ。人を殺すことに躊躇のない人間が、セイント・セミコンダクター社関係にいるかもしれないのだ。


 事件が起こった地下駐車場の所轄の担当刑事には、すでに連絡をとっている。被害者と親しいと伝え、捜査に割り込まないので情報を欲しいと乞うと、個人の範囲でならかまわないからと温情をもらえた。

 意識不明のヒカリから話を聞けるはずもないが、瑠璃やあかりから当時の状況を聴取する。だが、もっとも的確に答えたのは、鋼音であった。

 吉川巡査部長は鋼音のことを知らないので、落ち着いた子だという印象以外なかったが、あかりは、やはり鋼音の知能はかなり戻っていると思わざるをえない。だが、今はその心配はあとだ。

 現場にいた三人の話からセイント・セミコンダクター社とはまったく無関係の事件であることを確認して、ヒカリが一命をとりとめているともわかり、安堵しながらも、今後のことに大きくため息をつく吉川巡査部長である。 

「ヒカリさんの打ち合わせどおりに進めてきたので、こんなことになってどうしたらよいやら」


 このとき、ヒカリ重体の知らせを聞いて飛んできた百合が姿を見せる。

「百合さん! ヒカリさん、助かります! 良かった、本当に良かったです……!」

 瑠璃が百合の胸に抱きつき、再び涙を流す。

 百合は深く安堵のため息を漏らすと、

「ヒカリちゃんが死ぬわけない。でも……本当に良かった」

 力が抜けて、通路のソファに座り込む。

 百合の顔にはいつもの化粧はなく、着ているものも普段着だ。よほど慌てて出てきたのだろう。

 そこに吉川巡査部長が居合わせていることに気づく。ふたりはヒカリを介して、一度顔を合わせて打ち合わせているのだ。

 吉川巡査部長がヒカリの指示を受けていることを知っている百合だから、ヒカリの意を汲んだこれからの行動を改めて相談する。

「わかりました。百合さんの考えたとおりでいきましょう」

「吉川さん、セイント・セミコンダクターをじわじわ攻めてください。ヒカリちゃんにいい報告ができるようにしましょう」

 百合は今日さっそく、新小岩である人物を待ち伏せするという。



 セイント・セミコンダクター社の小林常務は、新小岩駅近くのショッピングセンターで、あら偶然ですね、と声をかけられた。

 コンサルタントの野村ユカリに連れて行かれたスナックのホステス、確か百合という名だ。

「これはあのときの」

「ユカリちゃん、そちらに出られなくなっているでしょう」

「はあ。出られないときは連絡をするということだったのに、なんの知らせもなく、どうなっているのやら」

 ユカリを招いたのは駿河専務だ。その専務からもなにも聞かされていないのだ。

「そちらに警察の捜査が入っているのでしょう? ユカリちゃんには隠していましたね」

 小林常務はドキリとさせられる。警察が介入しているとわかると、たいていのコンサルタントは引いてしまうから隠していたのだ。

「いや、しかし捜査は不幸にして殺人の被害にあった社員の業務や交友関係の……」

「その人、本当に社員なんですか?」

 またもや小林常務はドキリとなる。ある人物とだけユカリには話したが、その者の素性はまだ伏せている。

「ユカリちゃん、警察に任意出頭させられているんですよ」

「なんですって?」

 小林常務もこれはさすがに驚いてしまう。警察はどこまでつかんでいるのか、それとも、つかめていないからこそコンサルタントに標的を変えたのか。

「警察が捜査対象にしていた人物について調べようとしたら、警察も黙ってはいませんよ。ユカリちゃんもただでは転ばない子だから、警察を黙らせる方法をきっと考えるわ。しばらくこのまま彼女の思うままにしてあげてくださいよ。きっとそちらのためになりますから」

 セイント・セミコンダクター社のためにやってきたコンサルタントなのだから、こちらの味方ですよ、と百合は念を押すように小林常務に伝えるのだ。


 小林常務がお辞儀して歩き出していくと、百合は顎を常務のほうに動かして、それを合図に男が尾行していく。塚原望である。

 今の百合からの話を誰に報告するのか、電話では探りようもないが、人と会うようならその人物を確かめる。台湾の人間なら、押野勇気の出番となる。



 百合を中心に、ヒカリのかわりにセイント・セミコンダクター社の捜査に動くのだが、当のヒカリは捜査を気にかけつつも、星野桃の相撲部中興計画に没頭している。宮様杯の代表になれれば、相撲部は存続確定だ。

 ヒカリの秘策。それは大会当日、突然あらわれた台風の目に誠実学園高校を仕立てることだ。

 それまで、これまでどおり弱小相撲部のままに見せかける。大会は一日きり。強くなった誠実学園高校を研究する時間などない。一方でこちらは対戦相手を研究し尽くす。実力でまだ劣るとしても、勝機は十分以上だ。


 十二月に入り、ヒカリもようやく重湯から食べ物を口に入れられるようになる。

「不思議なものね。点滴してればお腹が空かないんだもの」

 重湯を口に運んでくれる瑠璃に、もういいわ、と器を下げさせる。

「でもヒカリさん、ずいぶん痩せました」

 心配顔の瑠璃に、

「フフ。これで栞並みの細さになれたかしらね」

 と半ば冗談で返す。

 ヒカリらしさを見られて、瑠璃も鋼音も顔を見合わせてホッとするのだ。

「栞さん、カズサビューティグループのCMが決まったそうです。石嶺先生から聞きました」

「あら、新宿クリニックに行ったの?」

「美歌さんの脱毛施術、予定より時間がかかることになったんです。なので話を聞きに行きました。肩のムダ毛がしつこくて、石嶺先生も、回数を増やしてちゃんとしたほうがいいって」

 肩はドレスによっては全体が露出される。美歌の選んだウエディングドレスはその型なのだろう。

「美歌さんの結婚式には万全に備えなさいよ。そのためなら、ここにはこなくていいからね。瑠璃さんは大役なんだから、しっかりよ」

 そして、今度は鋼音に声をかける。

「あんたに言いつけておいたこと、どこまでできたかしら?」

「まだぜんぶじゃないです」

 鋼音には、七海の痩身計画を立てさせていたのである。

「あんたのセルは見事だったけど、臨床は理屈どおりではないからね。七海ちゃんの太り方を分析することも重要。体脂肪率だけにとらわれない見方は、クリニックの先生に聞いてみなさい。光龍くんの依頼があれば優しくおしえてくれるわ」

 そう言って笑うヒカリに、鋼音も瑠璃も、光龍くんの名前は黄門様の印籠みたいなもんです、と年齢らしくないことを言い出す。

「ええ? そんなことをおしえたのはあかりね」

 すっかりお見通しのヒカリだ。



 桃がつけている稽古は基本がほとんどといっても、その基本が身についていなかった部員たちだから、その力はあっという間に高まっていく。小学校時代から力と技のある高校生力士は、基本を怠りやすい。だからこそ、桃は部員たちに基本をみっちりと積ませるのだ。基本稽古の量では他校に負けないことも、勝ちにつながる大切な要素だ。

 腰を割っての四股踏みもだいぶ形になり、腰の力もついて、立ち合いの低さもさまになっている。

 桃はひとまず予定どおりに進んでいることに安心する。

 都内に相撲部を設けている学校は三十あまり。そのうち宮様杯出場を申し込んだのは二十六校だ。

 トーナメント形式で都代表を決めるなら、六校は初戦がシードされる。

 このシード、部の実力を考慮されて決まるなら、誠実学園高校はまず望めない。初戦から決勝まで五戦することになる。

「中堅クラスには確実に勝てるのを三人作る。それが最重要課題だわ」

 桃はヒカリの秘策を思い返す。弱小相撲部のイメージを他校に持たせつづける。研究の必要がないと油断させる作戦だ。そのために、他校との実戦練習もしないのだ。

 核となる三人をどう選抜するか。考えながら部室の戸を開けた桃は、前を見て驚いてしまう。記者とカメラマンがおり、校長と顧問に話を聞いているのだ。

「星野さん」

 桃は校長に呼ばれると、記者の取材に応じてくれ、という。

「いやあ、女子高生のコーチとは前代未聞。しかも元幕内梅若丸のお嬢さん。これは話題になりますよ」

 見ると、校長はその言葉に満悦しきっているのだ。

 桃はため息をつかずにいられない。



「スポーツ紙が取材に?」

 ヒカリは眉を曇らせて聞き返す。

「困ったわね。これでは注目されて、せっかくアップさせる選手の実力も測られてしまう。力のない学校と油断させることも作戦のうちだったからね。大会は一日きり。誠実学園が実は強敵だったとわかっても、その日では研究の時間がない。これが私たちの有利な点だったから」

「ごめん、ヒカリ……」

「桃が謝ることではないわ。これは校長からのリークね。私立校だし、学校も話題を取りたかったんでしょう。記者のいうとおり、女子高生のコーチなんて前代未聞だから」

 そういうヒカリの顔はもう平然に戻っている。有利な状況を失ったのにだ。

「せっかくのヒカリの作戦が生きなくなっちゃった……」

 桃の憂い顔を目にしても、ヒカリは平然どころか、むしろ微笑みさえ浮かべる。そしてその目は、次の策を練りまとめた余裕の光を帯びている。

「フフ。私にまかせなさいな。ただ、ひとり助っ人を呼ぶわよ。頼もしい人をね」

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