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最終話「悲歌」3

 瑠璃のファンだと自称した犯人は、その日のうちに現地の警察に逮捕されていた。

 ファンとの距離が近すぎる。距離の近さは妄想を植えつける。ヒカリから諭された言葉が、重く蘇る。

 瑠璃は本心では真剣に受け止めなかった。受け止めることから逃げようとしていた。

 ヒカリが心配したように、妄想を膨らませた男が本当にいた。自分のかわりにヒカリが刺された。自分が私設ファンクラブのホームページに撮影予定を書いてしまったから、スタジオが特定されてしまったのだ。

 なにもかも、自分のせいだ。自分が悪いんだ。瑠璃は何度も自分を責める。

 ──ヒカリさんははじめから、出すぎてはいけない、と助言してくれていたのに、みんなが良くしてくれて私はいい気になっていた。

 ──だからヒカリさんは芸能の仕事をやめさせようとしたんだ。

 それに気づくための代償は大きすぎた。

 瑠璃はもう、残った仕事をすべてキャンセルして、芸能の世界には一切携わらないと決めた。

 自分を責めつづけて、瑠璃はヒカリの私室を徹底的に掃除し、それでも無心になれず、『光の路』もきれいにする。ヒカリのためになることを、なにかやっていたい。

 手伝うよ、という鋼音に、気持ちだけもらう、となにもさせなかった。



 ヒカリの意識が戻ったと知らされた日、菜奈は夫婦でヒカリの病室を面会に訪れる。

 何本も管をつながれて仰向けに寝かされている痛々しい姿に、菜奈はブワッと一気に涙があふれ、ヒカリのベッドのそばに座り込み、手を強く握る。

「ヒカリさん……本当に……瑠璃の命を救ってくれて……この恩は夫婦で……一生かけてお返しします」

 涙声で絞り出すのを、ヒカリは、泣くのはやめましょう、と穏やかな声にする。今日意識が戻ったばかりなのに、しっかりとした口調だ。酸素マスク越しでも、その声ははっきりと聞こえる。

「菜奈さん。私の傷はときがたてば治ります。でも、瑠璃さんの心の傷は、今やさしくふさいであげないと、一生癒えませんよ。自分のせいで私を死なせるところだったと、いつまでも自分を責めつづけないよう導く。それは母親の仕事です」

「はい。瑠璃の気の済むようにさせて、親の務めはそれからだと思ってます」

 父親はうなだれたまま、こんなになってまで瑠璃のことを気遣っていただいて、と男泣きを見せている。

「下のお子さんたちは?」

「瑠璃と鋼音ちゃんがみてくれています。お部屋をお借りしてしまっていますが……」


 菜奈はヒカリの私室にとどまっている瑠璃に、家に帰って休むように気遣った。

 瑠璃の痛みを思うにつけ、自分がそばでいたわらなければと思ったのだ。

 しかし、瑠璃はヒカリが元気になるまで、毎日お見舞いにいく、ヒカリの私室で生活して、ヒカリのためになることをなんでもする、と菜奈と父親に決意を伝えてきた。

「ここにいたいの。ヒカリさんのお部屋に。私の気持ち、わかってよ!」

 この気持ちを汲めない親などいない。精いっぱいヒカリさんに尽くしなさい、と父親が封筒を渡す。十万円を入れているのだ。当座の生活費と、ヒカリのために必要なものをこれでまかなえ、ということである。

 鋼音にも、瑠璃のことをお願いね、と手を取り頼んできたのだ。

 ヒカリは瑠璃が鋼音のそばに戻ってくることに、嬉しさを隠せない。鋼音には瑠璃が必要なのだ。

「私からひとつ、お願いします。鋼音のこと、いつまでも瑠璃さんと親友でいられるように、見守ってあげてください」

「瑠璃にとっても、鋼音ちゃんは大事なお友だちです。娘がひとり増えたと思って、私たちもお世話させてもらいます」

 夫婦が口をそろえて約束してくれる。


 こうして瑠璃と鋼音は、ヒカリの私室で再び一緒に暮らすようになった。

 学校にはもちろん通うから、鋼音は昼間はあかりとともに過ごすはずが、鋼音はひとりでダイジョブと断った。ひとりでも過ごせる姿を知らしめて、ヒカリを安心させることが、今自分にできることなんだ。慣れない手つきで、掃除と洗濯をし、食事の下ごしらえをし、瑠璃の下校後に一緒に病院に見舞いに向かう。

 だが、ときどきひどい頭痛に襲われてしまう。頭が割れるほどの痛さだ。

 なにか、大切なことを忘れている気がする。頭痛を感じるたびに、鋼音は考え込み、頭痛がひどくなり考えるのをやめるのだ。



 明日は退院という夜、桃はヒカリに話したかったことをぜんぶ話そうという思いで、ベッドの脇に椅子をもってくる。

「ヒカリさん、あの子を守ろうとして死にかけたんだ……」

 聞きにくかったが、ヒカリと瑠璃の両親の話が聞こえていた桃は、ヒカリの行動に胸を打たれていたのだ。

 毎日世話をしにくるふたりの中学生は妹ではなかった。背の高いほうの子が瑠璃というのは桃もわかっている。ヒカリは姉代わりだったのだ。

「ふたりとも私の大事な子よ。守るのが当然。友だちみんながね、私のこと、母親みたいだと言うのよ。私も、姉ではなくて保護者の気持ちでいたわ……」

「なんか、同い年じゃないみたい。私なんか、運動ばかり。誰かを守るなんて、考えたこともなかった」

 ヒカリは、それが普通の高校二年生よ、と微笑む。

「相撲でも柔道でも、スポーツに打ち込んできたんでしょう? それも素晴らしいことだわ。桃さんの財産よ。昨日きてくれた澄花さんも、ずっとサッカーに打ち込んできた。結婚で競技を離れたけど、今度は指導者のライセンスをとるつもりで、今の解説の仕事はその能力の基礎づくりね。桃さんも、澄花さんののような道を歩むわよ」

「ヒカリさん、予言者?」

 ヒカリが占術士と知らない桃は、予言と受け取り笑っているのだが、ヒカリと話していると、それが本当になる気がしてやまない。

 桃は競技に耐えられる体へ戻れるのかどうか、まだ経過を見ないことにはわからない。戻れるにしても、まだ時間がかかると自覚している。そして、一線級の選手としては戻れないことを医師から宣告されている……。

 相撲の道。それも指導者。

「うちの高校、相撲部があるのよ。弱いんだけどね。ちょっと稽古でも見てみようかな」


 桃の継父は親方になれなかった。

 桃は継父をスマートホンで検索して、ヒカリに見せる。

 梅若丸という四股名で関取までつとめ、幕内も通算五場所在籍した。力士として成功したほうに入るだろう。幕下に落ちてから、関取に戻れず二十八歳で引退。幕内在位数から相撲協会に残る資格はあったが、年寄株を借りることができず、角界から離れた。

 その後は会社員になり、同僚となった桃の母親と結婚したのだ。

 引退後に体はだいぶ絞れたが、それでも百二十キロの体重をもち、気は優しくて力持ちを地でゆく公私を送っているという。

 桃はそんな継父が大好きで、幕内力士にまでなったことをいつも自慢していた。

 そして自分も相撲競技をはじめることに迷いはなかった。

 小学二年生、相撲教室に通った初日、桃は相撲は裸になるものだと思い込み、まわしをつけるために素っ裸になり、みんなに笑われた。

 そんなスタートだったが、当時から同学年のなかでは抜きん出て体格が良く、当たりの強さは男の子を吹っ飛ばしていた。

 押しもうまく、突っ張りも威力がある上、まわしを取ればリストを効かせて強烈な投げを打てる。上手でも下手でも、まわしをとれば自分の形に持っていけた。

 出し投げ、まわしを取ってのひねりを覚えると、桃は四年生で関東で一番の女子選手となる。

 だが、そこから試練がはじまった。

「引き技にぜんぜんついていけなくてね」

 引かれればバランスを崩し、はたかれれば手をついてしまう。肩透かしをこらえることもできない。

 桃は研究されてしまい、大会で勝つことができなくなってしまった。

「お父さん。私もうだめ」

 連戦連勝だった桃は、挫折に弱かった。

 桃は相撲クラブに行くのをやめると、ほどなく柔道教室に通うようになる。

 父親は、引きさえ克服すればまた勝てるようになる、と相撲に戻るよう諭すが、桃は柔道クラブでも力の強さを見せつけ、三日で内またを覚えると、その技ひとつでクラブの先輩を次々倒していく。大外刈もすぐに身につき、前方後方どちらにでも、相手の体を崩せば桃の足技が炸裂する。

 釣込技では手首の強さを見せつける。

 そして寝技を習得。四方固めを取れれば、誰も桃の体を返すことができなかった。

 桃はあっという間にクラブの実力者となり、大会に出ると関東大会準決勝まで勝ち進んだ。

 桃が快進撃を成し遂げた理由のひとつは、判定という勝負制度である。大会も上位に進むと、一本を取らせてくれるような守りの甘い選手はおらず、技あり、有効、指導、といったポイントで勝負が決することが多いのだ。繰り出し技の多い桃は、決めきれないとわかっていても、有効狙いで相手を崩して、釣り込む。地道にポイントを稼いで勝ちを取るのだ。

 そして、攻撃こそ最大の防御となる柔道では、一本さえ取られなければ、桃のスタイルで終始勝負できる。

 攻撃と守りの駆け引き勝負の相撲とは精神が違うことに、継父は不快感をあらわす。桃は、そこが柔道の面白さだと説くと、継父とは口論が絶えなくなった。

 桃の相撲の才能に期待していた継父は、失望も大きかったのだろう。継父は相撲の大きな大会で勝利を分かち合う夢をみていたのだ。

 そんな想いがわかるから、柔道で快進撃をつづけても、気持ちのどこかが晴れなかった。

 継父が再婚した新しい母が、桃の柔道を応援したのも、溝が深くなった理由でもある。新しい母が喜ぶので、なお柔道に邁進していったからだ。

 そして、桃は柔道の練習で下半身が驚くほど強化されていた。足技が多いから当然のことなのだ。相撲で引かれても、今なら下半身がもちこたえて対応できる。体がそう感じている。それが桃をなおのこと悩ませた。

 結果が出ている柔道をつづけるか、相撲に戻るか。

 腹痛を感じていながら、心はいつも揺れていた。その結果、痛みを我慢しながら、国体にそなえる。

 大会の一週間前、練習中に桃の盲腸が破れ、たくさんの膿が腸内に広がっていった。あまりの痛さに悶絶した桃は、搬送され、緊急の開腹手術を受けたのである。

 腸全体からきれいに膿を取り除くため、広い範囲でお腹を切った。鍛えた筋肉はメスで空間を空けられたのである。

 そして、筋力も体力も以前のようには戻らないことを宣告されてしまう。

「もし体の力が戻らなかったら、相撲をおしえるのも悪くないな」

 ヒカリの予言からそんな気持ちになり、相撲部の稽古をのぞきに出たのが今日のこと。

 押しの稽古、突っ張りの稽古、部員たちそれぞれに右か左どちらの四つが得意なのかを見極め、押し相撲か四つ相撲どちらが向いているかを測る。

 相撲部の稽古が終わると、桃はまっすぐ退院したばかりの病院に向かい、ヒカリに会うのだ。

「基本からおしえることになるなんて、これは思ってもなかったわ。四股もまともに踏めてないのよ」

「あら、想定内だったわよ。だから、桃が指導することになるよう、プロセスをレクチャーしたんだから」

 桃が相撲部のコーチのような立場になる立ち居振舞いを考えたのはヒカリだったのである。

 そのとおりに動いてみたら、部員たちの言動は、ヒカリの予想どおりだったのである。

 桃は明日もコーチングをすると約束し、手応えにやる気を出しはじめた部員たちも、ぜひよろしく、と礼まで送ってくる。

「指導者か……」

 ヒカリの予言がさっそく現実になりそうな今日一日だった。


 だが、翌日、桃が相撲部の部室に入ると、どこかで見たことがある初老の男性が座っていた。

 桃は、あっ、と思い出す。

 継父が所属していた部屋の親方である。父が廃業してから十二年たっているはずだが、もともと老け顔で印象が変わっていない。

 継父の再就職先として今の職場を紹介したのが親方であり、そこで出会っての桃の母との結婚だから、子連れ結婚式にも参列してくれた親方である。

「お久しぶりです。梅若丸の娘です」

 若宮親方はその言葉で思い出したらしく、おお、と老眼鏡の位置を上に上げ、大きくなったなあ、と感慨を見せる。確か桃ちゃんだったね、と名前も思い出してくれた。

 顧問に部長、部員たちも、桃が力士の娘とは知らなかったから、驚く半面、昨日のことに納得するのである。


「廃部!?」

 桃はその言葉に呆然としてしまう。そんな話は生徒の誰も知らなかったが、以前から職員会議では議題にのぼっていたのだという。

 若宮親方は、廃部の前に、有望な選手がいないかをダメもとで見にきたのだ。

「廃部は決定なのですか? この部だって、かつては都の大会で準優勝したことがあるんですよ」

 校長は首を大きく横に振って、理由にならないと切り捨てる。

「もう十五年も前。今の成績を見たまえ。ベストエイトにひとり進んだだけで、団体はほとんどの年が初戦敗退。今年度成績を残せなかったら、廃部との意見が大勢になっている」

「それは経験のある指導者がやめられてから、長いことまともに指導されてきていないからです。昨日、私のおしえたことを実行しただけで、ずいぶん良くなっているんですよ。みんな伸びしろはうんとあります。廃部だなんて!」

「しかし、結果が出ていない。部活動は学校の予算を使ってのもの。大会で結果が出せないなら、無駄遣いといわれても言い返せない。君が元幕内力士の娘でも、この部員たちを技術的精神的に育てることができないだろう?」

 桃はムッとして校長をにらみ返す。

「女だからできないとは言わない。だが星野さんだって高校生で、第一、競技としての相撲を知っているのか──」

「相撲の経験はあります。柔道の前はずっと相撲をやってました」

「いや、知っているとしても、畑違いの柔道の有望株の君が相撲をおしえるなど──」

「できない、とおっしゃりたいのですか」

 校長がうなずくと、桃は両指の関節をバキバキ鳴らす。校長はその音に背を反らしてたじろいでしまう。

 もちろん校長を叩きのめそうというのではない。覚悟を示したのだ。

 もう、桃の目は燃えてきている。

「なら、私にも意地があります。この部を来月の宮様杯予選で団体優勝させ、東京都代表にします!」

 右手の人さし指を高々と上げて、桃は宣言してしまうのだった。


「ごめん。ああまで言われて、啖呵切っちゃったんだ。ヒカリ、助けてよ……」

 下校後まっすぐヒカリの病室を訪ねる桃である。

 弱小相撲部をいきなり都で優勝させるとはね、とヒカリは口にしているが、その顔は呆れたものでない。むしろニヤリと乗り気になっているのだ。

「私には選手の強化はできない。でも、作戦を立てての導きなら、考えられなくもないわ。桃の参謀になってあげようじゃない」

「恩に着るよ!」

 まだヒカリのことをよく知らない。だが、瑠璃の母親との会話を聞いている。大人を諭すほどの、同い年とは思えない人生経験の豊富さと、智力の高さは桃にもはっきり伝わっている。

 そんなヒカリともっと仲良くなりたくて、ヒカリのことを呼び捨てで呼んでみると、ヒカリも桃を呼び捨てる。これだけで心の距離が近づいた感じがする。

「宮様杯は他の大会と違って五人制の団体戦だけだよね。桃には釈迦に説法だろうけど、大将よりも先鋒、次鋒、中堅が重要よ。先に三勝してしまえば大将戦も副将戦も負けてかまわないからね。桃の見立てで、強い三人を三戦目の中堅までにもってくる。これを基調にしていくわ」

「ヒカリ。つまり先鋒から三連勝でいく作戦?」

「大将や副将はどこの学校も実力者よ。こっちの強い選手をあてても勝てる確率はかなり低い。だからこっちは逆に力が四番手五番手の選手をそこにぶつける。全国の本戦は勝ち数で決めるけど、都の予選はトーナメントでしょ。勝ち進むなら三連勝をつづけるのよ。勝って負けての競り合いをものにできる実力なんて、桃がいくら頑張ってもひと月では無理だもの。勢い、そして突破力。これならひと月でつけられる」

 そしてもうひとつ──と、指を一本立てる。ヒカリはもう秘策を考えついていたのである。

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