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最終話「悲歌」2

 集中治療室から移ってきたこの少女、知人友人が多く、面会者が入れ替わり立ち替わりでやってくる。中には騒がしい派手目な若い女性もいたりしたが、毎日やってきてはかいがいしく世話をしているのが、中学生くらいの女の子ふたりだ。だが面会時間は限られているから、いつも寂しそうに帰っていく。

 少女は腹部の大けがとかで、食事はまだとれないらしい。点滴だけで栄養をとりつつ、女の子ふたりには毎日食事の指示をしている。どうやら今、この女の子たちだけのふたり暮らしになっているのを心配しているようだ。

 次の日になると、少女の見舞いに、テレビで見たことのある顔が訪れてくる。

 サッカー解説者の桜井澄花ではないだろうか。

 的確な解説と穏やかな人柄で人気が急上昇しており、桃も好感を持っていたのだ。

 話をしてみたいと思ったとき、医師と看護師がやってきて、少女のベッド周りのカーテンを閉めてしまう。


 少女が、ベッド札から八矢ヒカリという名前なのはわかっている。

 澄花もカーテンの中に入っており、話の中に加わっている。

 会話が聞こえてくる。

「ヒカリさん、今度ばかりはだめかと思いましたよ。本当に良かった……」

 救急車に乗せられてすぐ、あかりは澄花に泣きながら電話をかけたのだ。まさに号泣だったという。ヒカリは心肺停止の状態だったのだ。

「鋼音のおかげよ。あの子がいなかったら、間に合わなかったそうよ」

 ヒカリは枕元の一枚の写真を手に取る。ヒカリの誕生日に、鋼音と瑠璃との三人で撮った写真。祈りを込めてヒカリの枕元に置いたふたりなのだ。

「そのとおりです。鋼音ちゃんですか、あの子の通報でなかったら、救急車内で亡くなっていたかもしれません」

 医師は何度もうなずき、これも生命力のうちです、とまた鋼音のことを褒める。

 ヒカリが刺されたあと、鋼音はヒカリからもらったスマートホンで一一九番へ通報していたのである。

 ヒカリの血液型、刺された患部の位置、流れ出た血の量、その広がり方の速さ、ヒカリの意識の様子の変化、救急が必要な情報をみな正確に伝えていたのだ。

 通報から救急は、病院からの救急車出動が必要と判断した。腹部動脈の損傷とみて、病院保管の輸血パックを準備する。出血量から多数のパックが必要とみられるが、血液型がわかっている。患者はA型だ。

たいてい患者の血液型がわからないから、通常すべての血液型のパックを用意する。通報を受けて、そのためのスペースをすべてA型の血液に入れ替えた。このおかげで結果的に輸血量を確保できた。

 出発した救急車内では、動脈の止血の準備と緊急縫合の支度が整う。そして医師が同乗していたのである。

 これがヒカリの命を救った直接の理由になった。

 現場が地下駐車場なので、横たわるヒカリのすぐそばまで救急車が入れる。

 中に運び込まれると、すぐに輸血の針が刺され、蘇生を施しながら止血と縫合の処置がなされる。

 通常、病院に着院してから救命救急でなされる処置が、救急車内でほぼ完了したのである。

 救命救急に運び込まれてからでは、手遅れであったろうと、救命救急室で本手術にあたった医師たちは口々にいう。

 血液量がほぼ回復したヒカリだが、それでも集中治療室から出ることはできなかった。心拍が弱かったのである。

「八矢さんは、心肺がだいぶ弱っていますね。最近、大きな体調不良はありませんでしたか?」

 タクシーで救急車を追いかけた三人は、通路のソファで一夜をすごし、医師から翌日そう問われた。

 瑠璃は自分の一件で倒れたことをすぐ思い起こす。あると伝えると、医師は治りきらないで無理をつづけていたのでしょう、と回復には時間がかかることをあかりたちに伝えていた。



 術後経過を確認した医師たちが退室したあと、澄花は切々とヒカリに訴える。

「ヒカリさん。ここで捜査が頓挫したのは、とても悔しいと思います。でも、お願いですから、体をちゃんと治してください。傷だけじゃないんです。心臓も肺も弱ってるんです」

 それでもヒカリは未練がましく口にする。

「セイント・セミコンダクターにはもう入れないかしらね。無断で連絡不能にしてしまったわ」

「ヒカリさん!」

 澄花が珍しくたしなめる。


 耳を傾けていた桃は、これでは澄花に、応援しています、と伝えるどころではない、と今回はあきらめる。

 面会時間が終わってしまい、澄花が帰ると、

「事情がよくわからないけど、命にかかわるけがだったんだ……」

 ヒカリのそばに寄って、神妙な顔でヒカリの手を握る桃だ。

 サイドテーブルには、澄花が見舞いにたずさえてきた花束が置いてある。メッセージカードには、祈・快癒、とあり、坪井の名が記されている。澄花の両親からの贈り物なのだ。

「このお花、私が生けてくるね」

 桃は水場で花瓶に注いでくると、花束の覆いを剥がして口に挿す。見事に咲き誇る花々が力強い。

「お花を見ると元気が出るよね」

 桃も腹膜炎の手術を受けたときは、柔道クラブの仲間から花束をもらっていたのである。

 ヒカリは枕の上から花を見つめる。桃が感じるとおり、力がわく気がしてくる。

「元気が出るのは、花に命があるからよ。生命を伝えてくれるから──」


 桃はヒカリが同い年と知り、どこの高校?と尋ねてみるが、高校には行っていないと答えられ、毎日顔を見せるふたりの女の子は妹たちなのだろうと勝手に思い込み、親のいない三姉妹と合点してしまう。きっと苦労していると想像するのだ。

 桃は自分の身の上を話してみたくなる。

「私ね、父も母も血がつながってないんだ」

「養女なのかしら?」

 ヒカリが聞くと、違う、と桃は小さく笑う。

「小さいとき、親が離婚してね。母が引き取ったんだけど、母は一年しないうちに再婚してさ」

 桃が六歳のときだという。物心ついたときには、父親と母親の仲は冷え切っていたらしい。離婚までの数年間、桃はあたたかな家庭を知らなかった。

「新しい父、すごくいい人でね。そしたら、母が事故で死んじゃった。父は私のこと、実の父に渡さないで、娘として育ててくれたんだ」

「それは……とても良かったことよ」

 鋼音の継父の非道の数々が脳裏にめぐる。桃の継父が当たり前の姿なのだ。当たり前だが、幸せなこととヒカリは思う。

「でね、父は相手見つけて再婚した。母も新しい母になった」

「それでふた親とも血がつながらないわけね」

 これはかなり複雑な家庭環境だ。柔道に打ち込んだのは、そんな理由もあったのだろうか。

 だが、桃は、それは違うのよ、とむしろ笑っている。血がつながっていなくても、本当の親と変わらない、と。新しい母親も良い人なのだ。

「私の新しいほうの父、大相撲の力士だったのよ。私は体も大きかったから、女子相撲を勧められてやってたんだ」

 それを柔道にくら替えした理由は、ちょっとね、とごまかす。

「相撲に未練があるのね」

 ヒカリは見抜いている。

「相撲が好きなら、迷うことないわ。戻るべきよ」

 継父となにか行き違いがあった。桃が相撲をやめた理由はそこにありそうだ。実の父娘でも行き違いなどいくらもある。

 ヒカリは微笑みながら。桃を観相している。

「それにね、桃さんは相撲の世界で生きていくことになるわよ。私にはわかるわ」

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