最終話「悲歌」1
十一月下旬の肌寒さにもかかわらず、私立誠実学園高等学校の体育館脇の部室には、裸の男子生徒が何人も柔軟体操を施している。
部室の中央には土俵が作られている。
ここは相撲部の部室なのだ。裸の生徒たちは丸裸ではない。まわしをつけているのである。
昔は都の大会で準優勝校に輝いたこともあったが、近年はベストエイトに入るのがやっとのていたらくで、個人戦も全国大会に進めるような実力選手はひとりもいない。
大相撲に入門したОBもいないわけではないが、関取、つまり十両に昇進した例はひとりもない。
高校相撲出身ともなれば、大相撲の各部屋も早い出世を期待する。誠実学園高校は角界からその期待を受けていないのである。
だから、ここに入部するような高校生力士は、中学時代に注目されたような逸材ではない。稽古に稽古を重ねて、逸材たちに近づくことを目標にしている生徒たちなのだ。
相撲部部員が全員まわしをつけ、一番体格の良い部員が土俵の真ん中に立つ。
ほかの部員は仕切り線に手をついて立つと、体格の良い部員を押していく。
押しの稽古だ。押し役は、うす、と一礼して次々交代していく。
だが、バチンと当たりの音は大きいが、みな押しの力は弱く、受け役を一歩しか後退させられない。
そんな稽古の様子を、ひとりの女子生徒が、部室の入り口からじっと見つめている
女子生徒はブレザー制服を着ているものの、かなりがっちりした体格なのがわかる。柔道ででも鍛えているのだろうか。背丈も百七十センチほどはある。
「なにか用か?」
三年生が女子生徒に気づいて、近寄り声をかける。
国体予選も終わり、すでに部活動は引退しているが、相撲部の部員の少なさから、稽古に協力しているのである。
「二年一組の星野さんですよね」
同じ二学年の部員が女子生徒の名を知っていた。一組は女子だけのクラスである。
「稽古を見ているだけです」
「相撲に興味があるのかい?」
「興味というか、押しの稽古がちゃんとなってないので」
え?と一同目が点になるのを尻目に、女子生徒は白い半袖シャツになる。これは柔道着の内に着るインナーだ。女子の柔道部はないから、どうやら地域の柔道クラブで活動しているようだ。
星野桃という女子生徒は、スカートの中にジャージパンツをはき、スカートを外す。
「きれいなまわしを貸してもらえますか」
驚くことに、桃はひとりでまわしを巻けるのである。最後の締めだけ人の手を借りるが、これはかなり慣れた手つきだ。
土俵に立つと、押してみて、という。
「いや、それじゃおっぱいを触ってしまうから……」
「かまわないから」
二年生のひとりが、それじゃ、と仕切りから立ち会いの構えをとる。
両手を土俵に着けて立ち、胸を押すが、桃は微動だにしない。部でもっとも体格の良い生徒も、当たったときに一歩は後退するのにである。何人も桃に立ち合うのだが、誰ひとり桃を動かすことができない。
「ただ力で押しても、相手を下がらせることはできないから」
桃は今土俵に立っている部員に、四つはどっち、ときく。
右四つとわかると、その腕をとり、
「右手はここ、はずよ。左手はこっち、おっつける」
胸の押すべき場所にもってくる。それで押してみると、桃の体は土俵に足をつけたまま、ずるずると後ろに下がっていくのだ。
「はずはもっとも効率のよい押しができる。相手もこらえるのはかなりの力が必要」
そのはずを両方の手ですれば、あっという間に押し出せる、という。
そのとおりに、桃の乳房の脇を両手で押していく。
「これが両はずというわ。でも、はずには弱点もある。脇が甘くなるのよ」
両はずで部員の脇はがら空きだ。桃は横からまわしをつかむと、ぐい、と投げを打つ。下手投げを食らって、部員は一回転して、背中に土俵の砂をべったりつけてしまう。
「おっつけと併用するのは、脇の甘さを半減させるため。そして、相手のこらえる力をさらに減じさせる意味もある」
おっつけは脇を締めることも可能なのだ。
桃は申し合いしましょう、と三年生を相手に腰を割る。
相手は桃がおしえたばかりのはずを狙ってくるが、立ち合いすぐに桃は右で前みつをとり、はず押しの勢いを殺す。相手は体重百キロを超える体格だが、桃が左を相手の上腕にあて絞っていくと、グラリと相手の重心が傾いていく。そこを取っていた右で下側に向かって投げを打つ。
下手出し投げである。相手はたまらず土俵に手をついてしまう。
「簡単にはず押しをさせてくれるほど甘くはないわ。はずを殺された次も考えておくことが必要よ」
次、と桃は手をパンパンと叩いて促す。
「では俺が」
この部で唯一、個人戦でベストエイトまで残った二年生。部で一番の実力者といってよい。
今回は審判もついた。大相撲と違い、アマチュアに行司はいない。
互いに腰を割ると、二年生が先に両手を仕切り線についている。桃はなるほどと相手の作戦が読める。
立ち合うと桃の右手がまっすぐ相手の首にかかった。喉輪である。
背中を逸らせた二年生は、桃の懐に両差しで入る作戦を封じられ、脇も胸もがら空きとなる。
桃は左ではずを押し、土俵際まで追い詰めると、喉輪をはずして右手で胸の真ん中を押す。
二年生はそのまま土俵を割った。勝負あり、との審判の声に、桃は一礼をして土俵を下りる。
「星野さん、相撲の経験者?」
桃が部員の誰よりも強いことを目の当たりにして、女に負けた悔しさすら失せている。
男子に胸を触らせても、平気で押しをおしえる。競技としての相撲も、かなりの経験者なのではないか。みなが同じように驚嘆するのが当然の、桃の強さであり、指導力なのだ。
桃のおしえのとおりに、部員たちが押しの稽古を再開すると、先ほどは一歩引く程度だった受け役が、ずるずるっと後ろに下がっていく。部員たちは手応えを感じている。
誠実学園には、まともに相撲をコーチングできる人材がいないのである。部長も形だけなのだ。大会で勝てない理由はそこにもある。
「相手の顔は見なくていいから。相手の腕だけをみるのよ」
土俵の脇で、次の指導にかかっている桃なのである。
「腕だけを見る癖をつければ、突きも見極められるわ」
今度は立ち合いで突っぱらせる稽古をはじめさせている。
実は桃は病み上がりなのである。柔道の大会を控えていて、腹痛を我慢していたら、盲腸が破裂してしまったのである。腹膜炎を起こして、二か月近く入院し、一度退院したが、体力が戻らず、もう一度点滴治療と術部のケアを受けるために一週間の予定で再入院した。これから競技をつづけるには万全の体でいたいからだ。
再入院の翌日である。隣のベッドに、集中治療室から移ってきた少女が入床したのは。
話を聞くと、自分と同じ歳だ。一気に親近感がわく。
彼女はまだたくさんの管をつながれて、体を起こすこともできないが、会話は支障なくできる。
歩くも座るも問題ない桃は、少女のベッドのそばに座る。すぐ仲良くなって、自分の身の上を話してみると、少女は横になったまま自分の顔をじっと見つめて、あなたは相撲の世界で生きることになるわ、と言い切るのである。




