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「ここは私の行きつけなんだ」
いつもと違い、浮かれた調子で九条博士が言う。量子が連れてこられたのは、九条博士には似つかわしくない洒落たレストランだった。佇まいを見るだけで高級そうなのがわかる。
「九条博士ってお金持ってるの?」
骨と皮だけみたいに痩せていて、いつも同じ白衣と薄汚れたシャツとスラックス姿の九条博士は、知らないものが見たら路上生活者のように見える。そんな量子の言葉にも、彼は上機嫌に笑った。
「さ、入り給え、マドモアゼル」
九条博士が扉を開けて量子を通す。最も似合わない仕草だ。
店に入ると、すぐに案内係がやってきた。スラリとした立ち姿の美少年だった。磨き上げられた黒革のオックスフォードシューズに、黒いシングルブレストジャケット、マッチングするギャルソンベスト。その下には白いフォーマルシャツ、袖口には翼付きカフス。黒のプレーンタイ。パンツはジャケットと同色のストレートパンツでプリーツつき。それらすべてが調和していて、美しい顔にマッチしている。ボリュームのある服装に隠されているが、袖口からチラリと見える腕は折れそうなほどに細かった。髪の毛はゆるくウェーブがかっていて、猫を思わせた。その優美な姿で微笑みかけられただけで、頬が紅潮してしまう。
「これはこれはいらっしゃいませ、九条先生」
その薄い唇から発せられた声は、思っていたよりも繊細で、まるで少女の様——。
「え、女の子?」
思わず量子は声を上げてしまった。その様子に彼女は驚いたような顔をして、続けて面白そうに笑った。
笑うと余計女の子っぽい。それならば、どうして男性のような格好をしているのだろうか。化粧のせいで大人っぽく見えるせいで年齢がいくつくらいなのかわからないが、かなり若そうな声だ。声だけ聞いていると、自分と年齢が近いように感じる。
席に案内されている間中、ずっと彼女を後ろからジロジロ見ていた。これが女の子だなんて、信じられない。恋心を弄ばれた。先程までの気持ちの高揚の分だけ怒りに変わった。彼女は悪くないのに。
「いつもの」
座るなり九条博士が言う。彼女が差し出したメニュー表も受け取らなかった。九条博士は機嫌よく手を振る。
「承知しました。記憶のフルコースですね」
随分感傷的なコース名である。
「この子の分もね。それと、この子にはジュースを」
「ジュースなんて子供っぽいものは結構よ」
量子は大人ぶったつもりだった。
「かしこまりました、マドモアゼル」
彼女は軽く頭を下げると、量子を見て再び微笑んだ。
——ずるい。そんな風に微笑まれたら、あたしが一人で馬鹿みたいじゃん。
「本当によく来るんだ? こんな高そうなお店」
彼女に対するイライラを誤魔化すように言った。メニューを見ていないので値段はわからなかったが、周りの客の様子を見ても身なりが良い。店自体薄暗く、隣の卓まで距離があるので、他の客が食べているものは見えなかった。九条博士が食べるものだから、ゲテモノかも知れない。大きなヒキガエルが出てきたらすぐにお店から出よう。
そんなふうに考えていると、先ほどとは別のやけに露出度の高いグラマラスな女性がやってきた。ワインを持ってきたのでソムリエなのだろう。それならば、先程のギャルソンスタイルの彼女が持ってきたほうが格好がついただろうが、グラマラスな女性は、1950年代のアメリカン・ダイナーの女性給仕のような趣味の悪いメイドスタイルだ。ピンクに白の水玉というイカれたセンスの服に、レースのヘッドバンドをしていた。彼女一人でこの店の雰囲気を壊しているように見えるが、客の誰も気にしていないようだった。彼女がとびきりの美人だからだろうか。
「センセ、お久しぶりじゃない?」
胸が見えそうなほど前かがみになって、彼女はワインをグラスに波々と注いだ。
「失敗しちゃった」
そう言うと、彼女はグラスを手に取り、一気に飲み干した。客のワインをだ。
「君ぃ、いつもながら良い飲みっぷりだねえ」
気がつくと周りの卓の客がこちらに向かって拍手を送っていた。これは一種のパフォーマンスらしい。
「特別よ」
そう言って、自分の口紅がべっとりついたグラスに再びワインを注いで九条博士の前に差し出した。九条博士は嬉しそうにワインを飲んだ。
料理を運んでくるのは、美しい案内係兼給仕だった。あのソムリエでなくてよかった。運ばれてきたのはヒキガエルではなく、見事な美しい料理だった。どれも気取っていて、店の佇まいから想像される料理そのものだった。13歳の量子には少し物足りなく感じた。
「お嬢ちゃんにはハンバーガーのほうが良かったかな?」
ソムリエがワインを注ぎに来るついでに、量子に絡んだ。酔っ払って接客するなんて、品がない店だ。量子は無視した。
「可愛いのね。食べちゃいたいわあ」
ソムリエが量子の指に噛みついた。さすがの量子も悲鳴を上げた。
「何よあんた、頭おかしいんじゃないの?」
量子が叫ぶと、ソムリエはケラケラ笑った。周りの客も笑っていた。九条博士まで。
「一体何なのよ。子供だからって馬鹿にしないで」
量子は席を立って駆け出した。涙が滲んで前がよく見えなかったのだ。思いっきり人にぶつかってしまった。
「ご、ごめんなさい」
「おっと。危ないよ」
その声は、先程の美しい案内係兼給仕だった。
「大丈夫?」
彼女が量子の顔を覗き込む。スリムなので背が高く見えていたが、思ったより長身ではなく、真正面から見た顔はやはり思ったよりも幼く、もしかしたら同い年くらいではないかと思った。顔が近くに来たことに驚いて、涙が止まった。
「さあ、これからメインディッシュだよ。この店自慢のお肉料理だ」
涙が止まったら、腹が鳴った。バツが悪そうに量子は前髪を必死に下ろして顔を隠そうとした。
給仕に連れ立って、量子は席に戻った。メインディッシュはすぐに運ばれてきた。それはクローシュという名の、ステンレスの半球状の蓋で覆われており、中身は見えなかった。
「じゃじゃーん」と言いながら、彼女がクローシュを開けると、眼の前に現れたものに絶句した。
「え?」
思わず量子は声を上げてしまった。その様子を見て、再び周りの卓や九条博士は大笑いした。
眼の前に置かれていたのは、人間の脳髄だった。
量子は気を失った。
「卒業試験だ。準備はいいか?」
九条博士の声が聞こえる。
「量子君。眠ってもらっては困るよ」
目を開けると、そこはいつも訓練を受けている九条研究所のスキャンルームだった。
「あれ、レストランは?」
「レストラン? 寝ぼけているのかね。これは君の観測者登録に必要な試験なんだよ」
九条博士はいつものように苛ついていた。あんなにごきげんだったのに。
「レストランに連れて行ってくれたじゃないですか。おしゃれな……なんだっけ……フランス語の……」
懸命に思い出そうとしたが、何故か思い出したくないような気がした。
九条博士が鼻を鳴らす。
「君をレストランにぃ? この私がぁ?」
今にも怒声が飛んできそうだったので量子は黙った。
夢だったのか——。残念なような、ホッとしたような気持ちになった。それにしても、いつから、どこから夢だったのだろう。確かに、今日が観測者登録のための実戦テストだということを九条博士から事前に聞かされていた。しかし、自分の足でここまで来てここに横になった記憶はない。
「今日は、実戦訓練だ。伝えてあったろう? ほら、ちょうど被験者も来た」
ストレッチャーに乗った女の子が運ばれてきた。その顔を見て、量子は再び気を失いそうになった。なぜなら、その顔はあの案内係兼給仕の美少女だったからだ。




