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旧市立病院につくと、扉は完全に閉鎖されていた。門に突っ込み破壊して、入口にベタ付けすると、窓を割って侵入した。
「すっかり犯罪者だな」
灰原は怒る元気もなくしていた。
「ここに何があるの?」
量子がアルゴン博士を見る。
「ここの地下にはコアサーバーがあるのです」
「コアサーバー?」
「そう。以前ここの病人たちを使って九条博士が研究していたとき、その人格データや書き込みデータをここのサーバーに保管していたのです」
「なんだって? 九条博士はそんなことをしていたのか。だから、ここで事件があったときに真っ先にやってきて……」
灰原が独り言のようにつぶやく。
「たまに外部の病院から応援で来てたって聞いたけど」
量子がアルゴン博士の方を見る。
「そうです。九条博士の犠牲者の中でも重篤な人へのアフターケアをしていました」
量子は鏡百合のことを思い出した。彼女も九条博士の犠牲者だったのだろうか。それとも、アルゴン博士の犠牲者だったのだろうか。その答えは怖くて聞けなかった。
「すでに廃棄されたものですが、まだ使えます。なぜなら、九条博士はここをバックアップとしてとっておきたいはず。だから電源も生きているはずなのです」
アルゴン博士が歩きながら説明する。
「それで、そのコアサーバーを使って何をするの?」
「栞さんに会うんです」
「お姉ちゃんに?」
量子の目がまんまるに開かれた。
「そう。ここのサーバーからなら、安全にアクセスできるはずなんです。今の我々は肉体を持つ三次元の存在です。このままでは、九条博士に太刀打ちが出来ない。だから、栞さんに協力してもらうのです」
「お姉ちゃんに……」
量子が考え込むように頷く。
「それは、お姉ちゃんには害はないの?」
「害どころか、むしろ救うことになります」
「救う?」
「そうです。今、九条博士は観測者になった。量子世界に逃げ込んだ栞さんを追うことができるようになったのです」
「それなら急ぎましょう」
量子がスタッフルームの奥のエレベーターに急ぐ。これに乗るのは二度目だ。
「あ、しまった」
アルゴン博士が大声を上げた。
「なに?」
量子が彼の顔を見る。マスクなので表情が読みにくいが、どうやらバツの悪そうな顔をしているつもりのようだった。
「電源が来ていませんね」
エレベーターのボタンを押しても、なんの反応もなかった。
「ええ、どうするの」
「階段か?」
灰原が言う。
「いや、地下へ行けたとしても、電源がなければサーバーは動きません。外にある電源を入れてこないといけないんですよね」
アルゴン博士がマスクをポリポリとかいている。かゆいのだろうか。
「外って……外はいま出られないよね?」
「大丈夫」
アルゴン博士が指を立てた。
「私やリー、サトーはすでに九条博士に一度手を加えられている。だからある程度の耐性があります」
「なら、今すぐ行ってこい」
灰原が蝿を振り払うような動作をする。リーがそれを叩き落とした。二人が睨み合い、一触即発の空気になる。
「私はここから離れるわけにはゆきません。外で電源が入り次第、こちらで作業する必要がありますので」
そう言って、アルゴン博士は立てた指をゆっくり灰原、リー、サトーに合わせる。
「あなた方三人に行ってもらいます」
「いやいや、ちょっと待て。この二人はいいかも知れないが、俺は生身の人間だぞ」
アルゴン博士の記憶が正しいとすれば、灰原も何らかの手を加えられているはずだ。しかし、その記憶を置いてきた灰原は知らない。
「大丈夫。二人が守ってくれます。ねえ?」
アルゴン博士がリーとサトーを順番に見る。リーは灰原を睨んだままだ。サトーは全く興味が無さそうに虚空を見ている。彼女はレストラン以外ではまったく違う人間のように見える。
「おいおい、こいつらに命を任せるのは……」
「文句言うな。最悪、あんたが死んでも残りのメンバーでなんとかなるんだから。ほら、行くよ」
リーが灰原を掴むと、大股で部屋を出てゆく。サトーはその後ろをついて行った。
「本当に大丈夫?」
量子が心配そうにアルゴン博士を見たが、彼は肩をすくめるだけだった。
「ほら、駄目だろ」
廊下の窓から外を見ると、黒い花弁は間断なく降り注いでいる。
「美味しそう」
サトーがつぶやく。窓に張り付いて空を見上げている。
「おいおい、ちょっと待て」
ふらりと外へ出ていこうとするサトーを灰原が止めた。サトーは不満そうに振り返る。
「ここにも花弁が入ってきてる」
床に落ちている花弁を見つけて、リーが触れようとする。その瞬間、火花のようなブロックノイズを放って弾け飛んだ。リーは「鬱陶しいわね。こっちはとっくに九条のクソみたいなデータで満員御礼なのよ」と吐き捨てるように言った。
サトーが戻ってきて、床に落ちていた黒い花弁を拾って口に含んだ。
「おいおい……」
彼女らの常識外れの行動にはうんざりする。もうどうなっても知らん——灰原は彼女から離れて壁に寄りかかった。
サトーはゴクリと喉を鳴らすとすぐに、体に異変が現れた。体の輪郭がブレる。灰原が目をこすって見るが、サトーの体の輪郭は少しずつ曖昧になって、そして再び明確になってゆく。完全に元の姿へ定着した瞬間、サトーの背中の空間が歪んだ。服の生地を破ることもなく、まるでホログラムが実体化したかのように、彼女の背中からぬらぬらと光る巨大な羽が生え揃ったのだ。それは天使のような鳥の羽ではない。無数の神経回路と赤黒い筋肉の繊維が絡み合って形成された、禍々しい生きた肉の翼だった。現実空間が量子汚染によってバグり始めたことで、彼女の狂気的な能力が物理世界へと完全に侵蝕したのだ。
「良いわね。私も景気づけといくわ」
リーも落ちていた黒い花弁を拾い上げると酒瓶の中に直接放り込み、そのまま一気に飲み干した。空になった瓶を床に叩き割ると、彼女の腹部に奇妙なシュレディンガー方程式の光の輪が浮かび上がる。リーが自身の腹部へと無造作に右手を突き立てた。血は出ない。肉や骨を無視し、水面の中に手を入れるように手首まで沈み込んでゆく。そして、異次元の空間から引き抜くように、冷えた新しい酒瓶を取り出してみせた。
「便利じゃない」
リーは満足そうに瓶に口をつけた。
「行くわよ」
リーとサトーが裏口の扉を開ける。
「ま、待ってくれよ……」
ついて行けない灰原が慌てて後を追った。
外へ出た三人は、サトーの肉の羽に包まれて進んでゆく。まるで彼女の内臓の中にいるような気分だ。溶かされたりしないだろうな、と灰原は不安になった。
受電キュービクルにたどり着くと、キュービクルの扉は鍵がかかっていた。
「まあ、当たり前だよな」
そうつぶやく灰原を押しのけて、リーがドアハンドルを思い切り引っ張ると扉が壊れた。
「これでいいでしょ」
良くないが、とりあえず中にアクセスすることが出来た。電源を復旧すると、すぐに裏口に戻る。建物の中に入って一息つくと、灰原は自分の体に羽が触れてないか確認した。背中も鏡を使って確認しようとしたとき、灰原は情けない声で悲鳴を上げた。
「なによ」
リーがうんざりして振り返ると、そこには黒い花を発芽させたゾンビ人間が立っていた。
「おい、ちゃんとドアを締めてから出たのか?」
「そんなの知らないわよ。あんたが最後だったでしょ」
二人が言い合っている間に、ゾンビが襲ってくる。
「なんとかしなさいよ、そのためにいるんでしょ」
「なんとかって何だよ。俺はお前たちみたいな気味の悪い能力はないんだぞ」
「言ったわね。その能力のお陰で、あんたは無事に外へ行けたんでしょ」
リーが灰原を思い切り殴る。
「馬鹿、攻撃する相手が違うだろ。ああ、もう」
灰原がゾンビを思い切り殴り倒した。嫌な音を立ててゾンビの頭が潰れる。しかし、ゾンビは死んだわけではなさそうだった。もぞもぞと動いている。
「美味しそう」
不意に声が聞こえたと思ったら、立ち上がろうとしたゾンビの頭から素早く黒い花を摘んでサトーが食べた。口の端から黒い粒子がこぼれる。ゾンビはそのまま倒れて動かなくなった。その様子を見て、灰原はもう自分の常識は通用しないということを改めて認識した。




