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メンタル・ポルノ 量子的食脳  作者: よねり
第3章「逆転の連鎖」

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 九条博士は、道端であったら悲鳴を上げそうなくらい、脂ぎった顔に大汗をかいて気味の悪い笑顔で息を切らせてやってきた。さらに大きな荷物を背負ってきているので、ここに来るまでに一度は通報されたのではと思うほどの不審者ぶりだった。

 しかし、それよりももっと恐ろしいものを見た量子の母親は動じることなく、九条博士を招き入れた。九条博士は興奮しすぎて靴を履いたまま家に入ろうとして母親にたしなめられた。

「ああっ、素晴らしいっ」

 部屋を見るなり九条博士は膝から崩れ落ちた。甲高い声で何事か叫びながら、写真を取ったりポケットの中のゴミを投げ入れたり、磁場の測定や光源を当てて光の屈折などを見たが、最後に九条博士が革鞄から取り出したのは、これまでのような機械ではなく、ホルマリンではなく赤黒い培養液に浮かぶ生きたネズミの脳髄だった。それを、量子化して歪んだ空間にかざす。

 次の瞬間、培養液の中の脳細胞がグズグズと沸騰するように泡立ち、異常な速度で肥大化を始めた。シナプスがありえない幾何学模様に結合し、大脳皮質の溝から黒いカビのような菌糸が一気に芽吹く。菌糸は培養液のガラス瓶を突き破らんばかりに成長し、毒々しい黒い花を開花させた。

 それを見た途端、その場にいた全員が吐き気を催す。本物の脳髄など、生きていて見ることはない。鼻を刺すような刺激臭がした。その脳組織に電極をさすと、激しい波形を示した。

「素晴らしい……空間そのものが、強い殺意の脳波を保持している。細胞がそれに共鳴して変異しているんだ」

 九条博士が狂喜の声を上げる。

「それ以上思い出さないで」

 どこからか声が聞こえた。九条博士も、母親も誰も反応していないところを見ると、量子にだけ聞こえた声に違いない。しかし、一体誰が。

 視界の端に、宙吊りの女が映った。あの女だ。あの女の声だ。

「あなた誰なの? お姉ちゃんなの?」

 心のなかで呼びかけてみるが、返事はない。

「それ以上思い出さないで」

 再び声が聞こえた。

 馬鹿言わないで。これは重要な手がかりなの——量子は声を無視することにした。視界から宙吊りの女は消えていた。

 九条博士はあらゆる試みを続けた。帰ってきた父親は、九条博士を見るなり眉間にシワを寄せたが、事態を見て説明を聞くと、自分一人の手には負えないということをすぐに認めた。九条博士にすべてを委ねることは出来ないが、今は彼しか解決できないということはわかった。

 それからの九条博士は、まさに狂ったように研究の没頭した。姉妹の能力の発動条件は確定できなかったが、どうやら強い感情の変化によるらしいということだけはわかった。九条博士は無理やり感情を引き出して空間の量子化をさせることもあった。さらに姉妹の力を増幅させ、なにか目に見える成果をだしたいと願った九条博士は、増幅装置を作った。そうしてできたのが、ニューロンコネクタの原型だった。その過程で、助手が一人犠牲になったが、非人道的な実験が抑えられ、犠牲者が一人で済んだのは、神崎助手がいてくれたからだった。

 ニューロンコネクタを埋め込まれた娘を見て、父親は激怒した。

「こんな気味の悪い機械を娘に埋め込むなんて! もう博士の実験には協力できない!」

 父親は大人気なく、幼い量子をきつく叱りつけた。悪いことに母親もそれに同調した。大好きな両親に拒絶されたと感じた13歳の量子は、パニックと悲しみの中で、強い怒りを抱いてしまった。

「お父さんも、お母さんも、あっちにいってよ! 嫌い! 消えちゃえ!」

 量子の強い呪いの観測が、コネクタの増幅を経て空間を叩き割った。

「え……?」

 両親の声が、水に潜ったようにくぐもる。二人の肉体が、まるで受信の悪いアナログテレビのノイズのように激しくブレ始めた。次の瞬間、両親の目、鼻、そして絶叫しようと開いた口から、血液の代わりにMemory-Xが滝のように噴き出した。 バキバキと、人体が曲がってはいけない方向へ捻じ曲がる嫌な音が響き、両親は黒い花に埋もれるようにして折りたたまれ、絶命した。

「ああ……」

 量子の意識が咆哮を上げる。

「やめて……もうやめて……」

 目をつぶりたいのに、栞の目はしっかりと見開き、悲劇を目に焼き付ける。

 両親の死の目の当たりにし、量子は恐怖のあまり気を失ってしまった。

「あたしが……やったの……?」

 全く覚えていない。こんな記憶、捏造に決まっている。

「早く記憶から出して! こんなところもういたくない」

 栞は九条博士に連絡した。一時間もしないうちに九条博士がやってきた。助手の神崎を連れて。

 惨劇を見て、神崎は腰を抜かした。それでも這うようにして量子に近づき、呼吸をしていることを確かめて、ようやく息を吐いた。

 九条博士は血と黒い花に塗れた死体を見て、恍惚の表情で両手を高く掲げる。

「素晴らしい! 感情が、観測が、現実の物質を書き換えた! これぞ新世界の鍵だ!」

 九条博士が気を失っている量子に手を伸ばす。栞がそれを押しのけて量子を抱きしめた。決死の覚悟で九条博士を睨みつける。

「博士……量子を連れて行かないで。この子の罪は、全部私が食べる。私があなたの実験体になる。だから、量子の記憶を消して……この子を人間に戻して!」

「ふむ……」

 九条博士は顎を撫でる。無精髭がジョリジョリと音を立てた。

「だめだ」

 そう言って、量子から栞を引き剥がそうとする。それに抵抗するように、栞が九条博士の白衣に穴を開けた。慌てて九条博士は飛び退くと、栞と距離を取った。

「知っているぞ。君は量子ほどの力はないが、コントロールが出来ている。私の前ではほとんど力がないように見せかけていたがねぇ」

 九条博士が下卑た笑みを浮かべる。

「どっちかではない。どっちも、私の実験動物だ」

 九条博士が少しずつ距離を縮める。

「良いわ。でも、約束して。量子のこと。記憶を消して普通の人生を送らせてあげて。その約束が果たされたら、私は戻ってくる」

 そう言うと、栞は自分と量子のコネクタにケーブルをさした。

「貴様、いつそれを盗んだ」

 栞は万が一の時のために、九条博士の研究室からケーブルを盗んでいたのだ。それで何ができるかも知っていた。

 栞は、量子のニューロンコネクタに自らの端子を直接繋ぎ、量子の親殺しの罪悪感とトラウマと能力とを、自分の脳髄へとブラックホールのように吸い込んでいく。量子を助けたときに、自分という存在も量子化されてしまったことに気付いていた。だからこそ、すべてを吸い取れるのだ。その瞬間から、栞は「逆さ吊りの女」として、意識の牢獄に囚われることになった。

「クソクソクソ、このクソガキが」

 九条博士が慌ててケーブルを引っこ抜いたが、間に合わなかった。栞の意識は量子世界に囚われてしまったし、量子の力は栞が持っていってしまった。九条博士は地面を力任せに殴った。拳から骨が飛び出て血が飛び散った。そして、哄笑しながら血が流れ続ける手を音を立てて舐める。

「かぁんざきくぅん。二人を車に乗せたまえ」

 腰を抜かしていた神崎が、我に返って急いで二人を車に乗せる。振り返ると、家から煙が上がっていた。右手から血を流した九条博士が狂ったように笑いながら、家に火をつけていたのだ。煙を吸い込まないように白いマスクを付けていた。

「さあ、行こうか。クソガキの思い通りにはさせん。量子の海から探し出してやる。この九条を敵に回したことを後悔させてやるぞ」

 そう言って、九条博士は高笑いをした。車に乗ると、量子の頭を撫でた。

「この子は私の大切な駒だ。貴様を苦しめるためのな」


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