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店の周辺は規制線が張られ、野次馬やマスコミが群がっていた。昨日はあんなに静かだったのに。車を止められそうにないので、少し離れたコインパーキングに車を入れた。
手帳を見せると、規制線の内側にいた警官が黄色いテープを持ち上げて現場に入れてくれた。
「あれ、この前の……」
灰原は気付かずに規制線の内側へ潜っていったが、量子が警官を見て気付いた。あの病院の時にいた警官だった。
「奇遇ですね。今回もお手伝いできることがあったら、なんでも言ってください」
彼は顔を紅潮させて灰原に言った。灰原は軽く手を上げてあしらった。
現場は綺麗なものだった。鑑識ももう客席は調べ終え、キッチンと裏にあるゴミ置き場を調べていた。例のゴミ箱を見せてもらうと、灰原でさえ吐き気がした。見た目もグロテスクだが、臭いが酷かった。量子はすぐにその場に吐いて鑑識に怒られていた。
「おやおや、灰原鑑識官じゃないですか」
鑑識の指揮をとっている男が、灰原を見るなり嫌な感じで話しかけた。灰原は嫌な顔をかくしもせずに答える。
「課長」
課長と呼ばれた男は、灰原を頭のてっぺんからつま先まで舐め回すように見て、次に量子を同じように見た。爬虫類を思わせる男だった。彼との付き合いはそんなに長くないが、初対面の時からいけすかないやつだった。ただ、彼が灰原を嫌がるのもわかる。刑事課を追われて、腰掛で鑑識課に籍をおいているだけのお荷物だからだ。
「君も一応、兼務とはいえ籍は鑑識にあるんだからね。こう言う時に遅れてくるようじゃあ、困ってしまうよ。ま、君にとっては鑑識は腰掛けなんだろうからね。それで良いんだろうけどね。うん、ほら、オカルト課とのかけもちで忙しいみたいじゃあないの」
一応、の部分を強調して課長が言う。
「オカルト課ぁ?」
量子が眉を顰める。灰原はもとより、量子でさえ警察内部でそう呼ばれていることは知っていた。それ以外にも、様々な蔑称がある。
「特殊犯罪対策室です」
灰原がいつもより低い声で言い返すが、課長は聞こえないふりを決め込んだ。
「今回はオカルト課が担当になったんだってねえ。あのオカルト博士も来るのかい?」
「九条博士のことですか?」
灰原の眉がピクリと跳ね上がった。
「君たちは暇そうでいいねえ。若い女の子なんてはべらせちゃってさ。僕もお遊び気分で仕事してみたいよ」
課長は量子を舐め回すように見ながら下卑た笑いを浮かべる。あまりにも熱心に見るものだから、メガネがズレた。彼がメガネを外すと、ツルの部分に金のチェーンがついていた。
「なんだい、ガール? おじさんとパパ活でもするかい?」
キメ顔で最大限に気持ち悪いことを言う。量子が汚物でも見るような目で課長を見ていた。
「それで、誰がここを調べました?」
「誰が?」
「捜査状況を共有しておきたいので」
灰原が言うと、課長は肩をすくめた。
「勘違いするんじゃあないぞ。お前に協力するやつなんて、誰ひとりいない。ひとりもだ」
課長は灰原の顔面を貫きそうな勢いで指をさした。わかっていたことだが、特殊犯罪対策室は嫌われている。いや、もしかしたら灰原が嫌われているだけかもしれない。歓迎されないのは当然だ。九条博士もかつて鑑識課の監察医として滅茶苦茶なことばかりしていたのでかなり嫌われている。そうでなくても、あの性格で好かれていたら驚きだが。
「わかりました」
短く言うと、灰原は課長に背を向けた。
「せいぜい頑張れよ、裏切り者」
灰原の背中に、呪詛のように言葉を投げつけると、課長はなにもない足元を蹴り上げた。
「ちょっといいか」
灰原は規制線のところにいた警官に声をかけた。警官は声をかけられたことへの喜びを隠そうともせずに灰原を見た。
「はい。捜査状況ですね」
「話が早い」
言うなり、警官は手帳を取り出した。ボロボロの手帳を見て、昔の自分を思い出す。今の灰原の手帳は新品同様に綺麗なままだ。
警官が説明した状況は、概ね警備局長から聞いた話と同じだった。常連客同士が眼球をえぐり合い、片方が脳を食べ絶命。脳を食べた方もすぐに絶命した。彼らの死体をゴミ箱に入れて外に出したところ、ホームレスがそれを発見、通報した。
「あと、従業員は中の事務室に待機してもらっています。オーナーシェフのドクターアルゴン、ソムリエのクァンタム・リー、ギャルソンのシナプス・サトー」
「やっぱり、詳しく話を聞く必要がありそうね」
量子が真剣な顔で独りごちる。
「え?」
灰原が止めるまもなく、量子は事務室に飛び込んでいった。灰原は呆気にとられてその様子を見ていたが、彼女が暴走するのは今に始まったことではない。外がにわかに騒がしくなった。警官が様子を見に行くと、すぐに戻ってきた。
「第一発見者のホームレスが話したいことがあると」
案内されてやってきたホームレスは、太った老人で、身なりの汚さよりも臭いがきつかった。彼は卑屈な笑顔を貼り付け、手を揉み込みながらやってきた。
「へっへっへ。まだ話してないことがあったことを思い出しまして」
ホームレスが口を開くたびに悪臭が撒き散らされる。吐きそうになるのをこらえながら、努めて冷静に灰原は尋ねた。
「どういったことでしょうか」
尋ねるが、ホームレスは手を揉むばかりでそれ以上口を開かなかった。
「どうしました?」
我慢できずに灰原が尋ねる。すると、ホームレスはおずおずと両手を差し出した。
「なんですか?」
灰原が再び尋ねると、ホームレスは「へっへっへ」と卑屈な笑い声を上げた。
「こういうときって、ほら。ねえ?」
手を差し出したまま、ホームレスは片手の人差し指と親指で円を作った。彼は金銭を要求しているのだ。おそらく、彼がいう情報というのも大したものではないだろう。この手の輩は一度うまい汁を吸うと、何度でもたかりに来る。
「すみません、ご期待に沿うことはできません」
灰原がきっぱりと言い放つと、ホームレスは途端に態度を豹変させた。地面に臭いつばを吐き、灰原に取っ組みかかった。
「ホームレスだと思って舐めんじゃねえぞ。こっちは重要な情報を教えてやろうってんだ。タダで聞こうなんて道理が通らねえんじゃねえかい?」
強烈な臭いに思わず意識が遠のきそうになった。警官はホームレスを後ろから羽交い締めにして店の外へ連れ出していった。彼の胆力には感心させられる。どれだけ強面の男に対峙してもたじろがなかった灰原ですら、この臭気には顔をしかめるしかなかったほどだ。服に臭いが移っていないだろうか。もし移っていたら、量子から容赦のない罵声を浴びるに違いない。
灰原は量子が駆け出していった事務所の方へ顔を向けた。




