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メンタル・ポルノ 量子的食脳  作者: よねり
第3章「逆転の連鎖」

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 いくつかの料理の後、ふと我に返ると目の前に座っていたはずの灰原がいなかった。トイレにでも行ったのだろう。

 その後は、運ばれてきた料理を家畜のように貪った。その様子を、ギャルソンと並んでもう一人の女が眺めていた。おかしそうに笑っていたが、灰原が皿に顔を寄せて涎を垂らしたとき、その笑いが一度だけ、止まった。

 デザートまで食べたところで、ようやく量子は我に返った。そしてようやく、自分たちの様子を見ている三人に気付いた。灰原はいつの間にか戻ってきていた。

「お楽しみいただけましたか?」

 そう言ったのは、驚いたことに病院で声をかけてきた、あのペストマスクだった。

「どうして……」

 量子は驚いて二の句を継げなかった。ペストマスクは満足そうに、大きく頷く。

「なんだ、お前。知り合いか?」

 灰原が恍惚とした顔で語りかけてくる。違法薬物を摂取した直後のジャンキーのようだ。口の周りを料理で汚して、それに気づいていない。

 もっと驚いたのはあの迷惑女がギャルソンの横に立っていたことだ。見た目に似合わない、古い時代のアイドルのような給仕服を着ている。これも、すでにサトーの意識の中で見たことを思い出す。その迷惑女が量子と灰原とを指差して腹を抱えている。

「美味しかったでしょう。徹夜明けのタバコみたいに」

 灰原が両手で迷惑女を指さした。彼には共感できるらしい。訳のわからないことを言う迷惑女のことは無視して、量子はペストマスクに向き直った。

「今日はなんなの? あんた、どういうつもりであんなもの置いたの? あんたがアルゴン博士なの?」

 矢継ぎ早に質問が口から滑り出る。ペストマスクがまたも満足そうに頷く。

「私からの招待状、無事に受け取ってくださったんですね。ありがとうございます」

「答えになってないから」

 量子が睨み上げる。

「ちょっと、口に気をつけなよ、お嬢ちゃん」

 迷惑女が机に拳を叩きつけ、量子の目の前に自身の顔を近づけた。額同士がぶつかったが、量子は避けなかった。

「ババアは黙ってて」

「タダで食っといて舐めた口利かないでね、お嬢ちゃあん」

 ぶつかった額が痛い。だが、この女に引いてはならないと女の勘が告げている。

「香水が臭いのよ、ババア」

 量子が額をつけたまま、上目遣いに目を大きく開いて睨みつける。灰原はまだトリップしているようだ。使えない男だ。しかしなぜ、量子よりも長くトリップしたままなのだろうか。ふと気になることがあって、量子は迷惑女を睨みつけたまま鞄に手を突っ込んだ。手探りでカバンの中から封筒を掴み出すと、中身を取り出した。Memory-Xだった。これは謎の薬物だが、一つだけわかっている効果がある。機械脳の冷媒だ。つまり、このMemory-X利用者にだけ効く作用があるのではないだろうか。

「ババア? まだ私はピチピチヨォ」

 迷惑女のこめかみや首に青筋が浮いた。

「まあまあ、やめないか。リー」

 ペストマスクに肩を叩かれ、迷惑女ことリーは額を離した。量子は心の中で「勝った!」と叫んだ。女の世界は常にどちらが上かを明確にさせる必要がある。今時点では、明確に自分の方が上であることが証明されたのだ。量子は大きく顔を逸らしてリーを見下ろした。リーは気にしていない風を装っていたが、青筋が浮いたままであることは見てわかった。

「あなたの考えている通りですよ、量子さん」

 ペストマスクが手を叩く。

「あなたは聡明な女性です。そうでしょう?」

 ペストマスクは大袈裟な仕草でステップを踏み、量子に向かって手を差し出した。

「あなたが謎の答えに辿り着くのを手助けしたいんです」

 目の前に手が差し出されている。この手を取れと言うことだろうか。だとしたら、断固拒否である。

「騙されないよ。あんたが何を考えているか知らないけど、あたしのことを操ろうなんて百年早いわ」

「はっはっは。だったら百年待ちますよ」

 冗談なのか本気なのかわからない。

「だったら教えてよ。あたしが追ってる白マスクの医者はどこにいるの」

 答えられるはずがない。料理の代金分くらいはこの茶番劇に付き合ってやろうと思っただけだった。

「それは、これかな」

 ペストマスクが胸ポケットから一枚の写真を取り出す。

「これって……」

 白マスクだった。一緒に写っているのは量子だ。白マスクが、量子の眠っているベッドの横に立っている。場所は病院だろうか。手に取らなくてもわかる、今より少し幼い顔をしているから、何年も前だ。内装を見る限り、五年前、あの事件があった直後だろう。

「どうして……そんなもの……」

 驚きすぎて言葉が続かない。ただ困らせようと思って言っただけなのに、どうして彼がそんな写真を持っているんだ。

「言ったでしょう? あなたが謎の答えに辿り着くのを手助けしたいんです。あなたを導くのが僕の役目なのです。あなたのマクガフィンです」

 震える手で写真を受け取る。合成写真のようには見えない。だとしたらなぜ、白マスクがこんなところにいるのだ。

「誰なのよ、この男」

 絞り出すように言った。

「誰か? 君はもう知っているんじゃないですか?」

 アルゴン博士——? 喉がカラカラに乾いて、声が出なかった。

「あれ? どうした?」

 灰原がトリップから目覚めたようだ。それを見て、ペストマスクは深々とお辞儀をした。

「本日はありがとうございました。またのご来店、お待ちしております」

「待って、まだ聞きたいことがたくさんある」

 やっとの思いで声を振り絞る。

「私たちは味方です。それだけは信じて」

 言うと、ペストマスクとリーは店の奥へ引っ込んで行った。量子も慌てて立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。椅子から転がり落ちそうになったが、ギャルソンのサトーが体を支えてくれた。そのとき、サトーの顔が量子の顔に触れるほど近づいた。量子はとっさに顔をそらした。近くで見ると、綺麗な目をしている。目の周りには傷はないんだなと思った。

「美味しそうな匂い……」

「え? どういう……」

「いやあ、美味かったな。今のがシェフか? あのウエイトレス、見たことがあるような気がするな」

 量子が聞き返そうとしたとき、灰原が調子の外れたような大声で言った。量子がジロリと灰原を睨みつける。量子は露骨に不機嫌になった。どうして量子が不機嫌なのか、灰原は皆目見当つかずに混乱したようだった。

「出口までご案内いたします」

 サトーが量子の椅子を引いた。

「どこかで見たことがあるな? 名前を聞いてもいいかな?」

 灰原がまだろれつのうまく回ってない口で尋ねる。

「名前でございますか? 私の名前は……」

 そこまで言うと、店の出入り口に到着した。サトーが店の扉を開けると、急に外の喧騒が耳に入ってきた。その時になって初めて、この店の中が、世界から隔絶されたように静かだったことに気づく。先に灰原が外に出た。モタモタしていると、会計を請求されるんじゃないかとでも思ったのだろうか。その後について、量子も外へ出た。振り返ると、彼女と目が合った。

「シナプス・サトーでございます。またのお越しをお待ちしております」

 サトーが深々とお辞儀をした。驚きで固まっている灰原の目の前で扉がゆっくりと閉まって行った。


「おい、サトーって……」

 灰原が驚いて、閉じた扉に向かって指を指した。量子が頷く。「ひえ〜」と声を上げた。まだ酔っ払っているのか、と量子はうんざりした。

「まあ、いいか。でも飲み過ぎちまったな。なんだかまだフワフワしてらあ。それで、なんだったんだ? 招待って」

 帰りの道中、灰原は上機嫌に腹を撫でた。この男は途中から記憶がないことに疑問を抱いていないようだった。最初からハイペースで酒を煽っていたのだ。そう思うのも仕方ないかもしれない。量子は酒を飲んでいないが、同じように酩酊したような気分になった。つまり、原因は酒ではない。明らかに意識を操作するなんらかの要素が食事に盛られていた。それを灰原に言うかどうか悩んだ。言えば、確実にレストランに攻め入るだろう。しかし、そうなれば量子が知りたいことが永遠に失われてしまうような気がしていた。だからと言って、彼らの言う「味方」と言う言葉を安易に信じる気にもならなかった。

 量子が灰原のように上機嫌になれない理由は他にもある。あの三人のことだ。アルゴン博士、リー。それにサトー——それは、あの精神病院に入院していた傷だらけの少女の名前だ。やけに細身だなと思ったが、キチっとした服を着ているから気づかなかった。肌を見せないようにしていたのも、あの傷だらけの腕や足を見せないようにするためだったのだ。

「また来ような」

 灰原がこんな風に言うのは珍しい。

「灰原さんの奢りならね」

 そういうと、灰原は黙ってしまった。

 この約束が果たされたのは、二人が思っていたよりもずっと早かった。


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