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メンタル・ポルノ 量子的食脳  作者: よねり
第1章「螺旋の夢」

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3

 量子は灰原が少し苦手だった。灰原が運転する車の中で訪れる沈黙。無理に話題を作って話をするのも気が引ける。灰原のような元刑事とは気質が合わないのだ。

「窓、開けるぞ」

 灰原が言う。量子の返事を待たずに窓が半分ほど開けられた。

 ——返事を聞かないなら勝手に開けたら良いのに。

 量子は文句を言いたい気持ちをぐっと堪えた。灰原は暑がりだ。その理由は機械化した脳にある。彼の脳は専用の冷却液がないとすぐにだめになってしまう。髪の毛に見えるものはウイッグであり、全体がカーボンナノチューブで作られたヒートシンクになっている。脳から発した熱を放出している。よく見ると髪の毛から湯気が上がっていた。銅の何倍も熱を逃がす特注品で、これ一つで生涯年収くらいの価値があると言っていた。彼一流の冗談らしいが、全く笑えなかった。

 特殊犯罪対策室は警察組織ではあるが、その特殊性から警察庁でも警視庁でもない辺鄙なところに居を構えていた。そのほうがありがたいが、それにしても場所が辺鄙すぎてどこへ行くにも灰原の車に乗せてもらわないといけないのがデメリットだった。通勤もバスだ。誰の目も届かないからと言って九条博士は喜んでいる。九条博士はスキャンルームを含む、特殊犯罪対策室の建物全体を勝手に改造し続けているが怒られないのだろうか。

「灰原さんはなんであんな怪しいところで仕事してるの」

 唐突な質問に、灰原は片方の眉を上げた。

「まあ、仕事だからな。お前はまだガキだからわからんだろうが、公務員とは言え俺はサラリーマンだ。辞令が出たら従わなきゃならん」

「体がそんなになってまで、警察にいる必要ある?」

 デリカシーのない質問のお返しのつもりだった。

「こんな体だからだ」

「どういうこと?」

 言ってから思い出した。これから病院へ行って、量子は検査を、灰原は機械脳の冷却液の交換をしてもらうのだ。灰原の冷却液は九条博士にしか交換できない。

「九条博士に命を握られているようなものだ」

 量子の考えを読んだみたいに、灰原が言う。

 彼は九条博士から離れられない。あの博士の性格上、灰原が仕事を辞めたことで自分にとって価値がないと思ったら、わざわざ冷却液を替えてやったりはしないだろう。

 灰原はハンドルから片手を放し、唇を触った。深く息を吸い込み、そしてゆっくり吐く。タバコを吸うパントマイムのようだ。

「禁煙中?」

「ああ。この頭じゃあな。ちょっとのことで命取りになる」

 灰原は自身の機械脳を指でトントンと叩いた。

「お前はお姉さんを助けるのが目的だったな」

 もう機械脳のことには触れられたくないのか、灰原は話題を変えた。量子も気まずい思いをしたくなかったので、それに乗ることにした。

「それもあるけど、今は復讐したい気持ちの方が強いかな。幸せな人生を台無しにした犯人を八つ裂きにしたい。いや、簡単に殺すのはもったいないから、長い年月をかけて生まれてきたことを後悔させてやりたい」

 姉を助けたいのは本心だ。しかし、もう何年も眠ったままの姉を、どこか諦めつつあることにも気づいている。病院へ見舞いに行って、今日こそはと期待したのに、いつもと変わらない結果に落胆する帰り道。それは少しずつ量子の精神を蝕んでいた。

「おいおい、一応、俺たちは警察だぜ。そんなことを許すと思うか?」

「許すとか許さないとか、どうでもいい」

「どうでも良くないだろ……」

 灰原が呆れたように言う。

「どうでもいい。もし邪魔したら、灰原さんのことも殺すよ」

 灰原が助手席の量子の方をチラと見た。量子の表情にあまりにも迷いがないので、灰原は青ざめたようだった。彼女ならやりかねない、と灰原は思っているのだろう。

「ま、まあ、それは最終的な目標だろう。まずは手がかりを見つけないとな」

 その通りだ。今の所、有力な手がかりは何一つない。事件から五年。量子なりに調べてきたが、手掛かりの影すら見つからない。

「一つだけ……」

「白マスクの男か?」

 あの事件の時、細切れの記憶の中、白いマスクの男が姉を抱き抱えているのを量子は覚えている。だが、捜査資料にはそんな男は登場せず、誰も量子の言い分に取り合わなかった。量子の夢だったと思われている。

「たったそれだけの情報で、どうやって探す。病院に行けば白いマスクをした男なんていくらでもいる」

 量子は頬を膨らませた。わかっている。それだけの情報では犯人を探すのは不可能だ。しかし、量子は誰にも言っていない、犯人の特徴を知っていた。その情報は自分の優位性である。自分だけが、犯人と相対した時にわかるのだ。そう思っていた。


 彼らが目指すのは警察病院ではなく、九条博士の出向元の大学の運営する大学病院だった。病院へ到着すると、すでに受付時間は終えており人はまばらだった。待合室に涎を垂らした小柄な女の子と、それに付き添うように女性が座っていた。女の子の方は乱暴に包帯を巻かれており、虐待でもされているのか不安になる。着ているものもシワシワのワンピースだし、手首も包帯がぐるぐる巻きにされている。涎を垂らしたまま虚ろな表情をしているところを見ると、頭の病気かもしれない。隣に座っている女性は、母親というには少し若いように見える。女の子の方とは違い、とんでもなく美人でグラマーだった。病院には似つかわしくない派手な服を着ていて、女の子が涎を垂らしていることを気にしていない。それよりも、病院の待合室なのにワインを瓶ごとラッパ飲みしているところが気になった。なんにせよおかしな人間に違いないのでできるだけ離れて座った。量子は、二人がこちらを見ませんようにと願ったが、女の子の方がこちらに気づいてしまった。慌てて量子は下を向いた。

「美味しい」

「ひっ」

 気付けば女の子が隣に立って量子の首筋を舐めていた。思わず悲鳴を上げてしまった。近くで見ると、女の子はガリガリに痩せていて、ワンピースから突き出た手足はカミソリで切った傷痕だらけだった。獣みたいに背中を丸めて量子に向かって手を伸ばす。

「や、やめてよ」

 叫んで立ち上がる。付き添いの女性に助けを求める視線を送ったが、彼女は全く気にしていないようだった。美味そうにワインの飲み口を舐めている。

「何してる」

 受付を終えてやってきた灰原がこちらを見ていた。

「こっちも美味しそう」

 女の子は灰原を見て再びそう言った。背を伸ばすと意外と背が高く、小さな女の子だと思っていたが、もしかしたら量子と近い年齢かもしれない。

「何か?」

 灰原が少女を睨みつける。元刑事の迫力だ。量子でさえ初めてあった時は萎縮してしまったのに、少女はまったく動じることなく灰原の肩に手をかけて、髪の毛の匂いを嗅ぎ始めた。さすがの灰原もたじろいだようだった。相手が少女なので手荒な真似はできない。その姿は面白かったが、このままでは流石に彼が気の毒だ。

「やめなよ」

 量子が少女の方に手をかけて無理やり引き剥がした。細い体とは裏腹に力が強かったが、さすがに量子の力のほうが勝った。少女は床に叩きつけられると、えんえんと幼児のように泣き始めた。

「ちょっと、うちのコに何してくれてんのよ」

 椅子でワインを飲んでいた女が瓶をこちらに投げつけた。間一髪避けたが、瓶は壁に当たって砕けた。女はすごい剣幕で量子と灰原を睨みつけた。どう見ても、あんな大きな子どもがいるようには見えなかったが、この際そんなことはどうでも良い。

「あんたの子? さっきからこの子がウチらに絡んできてたの見えてたよね? どうして止めなかったわけ?」

 量子が女に近づいて顔を突き合わせる。勢いよく近づきすぎて額がぶつかったが、どちらも引かなかった。近くで見ると、この女の顔を何処かで見たような気がしたが、怒りで思考が沸騰しているので思い出せない。

「子どものやったことでしょう。大目に見なさいよ」

「モンスターペアレントかよ」

 二人が今にも殴り合いを始めそうだったので、灰原が割って入った。騒ぎを聞きつけた職員もようやく駆けつけ、二人は引き離された。その間、少女はずっとえんえんと泣いていた。

「地獄かよ」と灰原がため息をついた。

「あんた……」

 女は灰原を見ると驚いたように目を見開いた。何か言おうと口を開いたが、何も言わずに少女を抱えて廊下の奥へ姿を消した。


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