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メンタル・ポルノ 量子的食脳  作者: よねり
第3章「逆転の連鎖」

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第3章「逆転の連鎖」



 目が覚めると、量子は自分の手を眼の前に持ち上げた。握っては開いてを繰り返す。ここが現実か否か。わからなくなり始めていた。

 あのとき、灰原の車の中で、黒い芽が発芽したあと、灰原は驚いて車をぶつけそうになった。すんでのところで急停車し無事だったが、その足で九条博士の元へ量子を連れて行った。ただならぬ灰原の様子を見て、その腕に抱かれている量子に気付いたとき、博士は厳しい表情で唸った。

 すぐに検査が始まった。検査自体はすぐに終わった。なぜなら、九条博士の考えていた通りの結果だったからだ。

「簡潔に言うと、君の脳が観測者化している」

 また観測者だ。九条博士は、ニューロンコネクタから発芽した黒い芽を引っこ抜いて、手元で弄んでいた。そんなに簡単に引っこ抜いてよいものなのかと量子は不安になった。

 それよりも量子を不安にさせたのは、いつものように気味の悪い声で笑うこともせず、重苦しい口調で言う九条博士の表情だった。

「観測者化ってなに?」

 量子が尋ねる。

「俺みたいになっちまうなら、もうこの子にシナプススキャナを使わせるわけにはいかないぞ」

 当の本人よりも灰原がキツイ口調をぶつける。いつもなら九条博士が理不尽な怒りをぶつけてくるところだが、不思議なことに彼は黙り込んだままだった。まるで灰原の言葉が届いていないようだった。

「早すぎる……」

「なに?」

「君たちは病院へ何しに行ったんだ?」

 それまで攻撃的だった灰原がたじろいだ。

 九条博士が上目遣いに量子を見る。病院へ行ったことは伝えたが、地下へ行ったことやMemory-Xのことは伝えてない。言うべきか迷ったが、言わないことにしたのだ。これは灰原と相談して決めたことだ。灰原も、量子同様九条博士に疑念を抱いていた。自分の頭の中を流れる冷媒について、この事件のキーとなっていることについて不安を覚えたのもあるだろう。だからそこを突かれると灰原は反論できなかった。

「本当に事件が終わったのか確かめに行ったのよ」

「本当にそれだけか」

 しつこく探ろうとしてくる様子は、いつもの九条博士と違っていた。いつもなら、他人の行動原理など気にすることはない。何か、別の存在の介入を確かめるように、量子の目を真っ直ぐに覗き込んでくる。量子は耐えきれずに目を逸らした。

「彼女を責めるのはお門違いじゃないですか」

 量子と九条博士の間に灰原が割り込む。九条博士ははじめて灰原に気づいたようにジロリと彼を睨みつけると、鼻を鳴らして背を向けた。

「もう行っていいよ、君たち」

「彼女の治療は?」

「はあ? 治療? 君は本当にバカだねえ。彼女の脳は進化しているんだよ。治療というなら、むしろ彼女以外の頭をみんな開いて切り刻んだほうがいいね」

 九条博士は急にいつもの調子を取り戻してそう言うと、乱暴に自室の扉を閉めて閉じこもってしまった。

 灰原がため息をつく。

「まったく、あの人には悩まされるよ。お前の方は大丈夫か?」

 振り返った灰原の目に、荷物を抱えて帰る気満々の量子が映った。

「大丈夫そうだな」

 灰原は力が抜けたように笑った。




 ようやく、灰原は病院の事件の報告書を警備局長に送信した。これで毎日のように彼のお小言に付き合うこともなくなるだろう。しばらくは平和な日常が戻ってくるはずだ。

 そんな風に思ったのに、メールの送信ボタンをおしてから十分も経たないうちにデスクの固定電話が鳴った。その呼び出し音から、すでに不穏な空気が漏れていた。なぜなら、この時代にわざわざ固定電話に連絡してくるのは彼しかいないからだ。

 意を決して受話器を取り上げる。受話器から滴るように這い出してきた声は、やはりあの男だった。

「警備局長。お疲れ様です。例の報告書は……」

「君ぃ、今暇だよねえ?」

 暇なはずあるか、と大声で怒鳴りたかった。

「いえ、暇というわけでは……」

「あのねえ、君に担当してもらいたい事件があってねえ」

 いつも通りこちらの話を聞く気はまるでないようだった。こういう男だ。

「詳細は送っておくから。目を通しておいてよ」

「はあ。それで、報告書の方は目を通してもらえましたか」

 たった数分前に送った報告書を、この男が読んでいるはずがないのはわかっていた。

「報告書……? ああ、うんうん読んだよ。良くできてた。じゃあ、よろしく」

 電話は一方的に切れた。その直後にメールが到着する通知が目の端に映る。PCに向き合ってメールを開く気にもならず、灰原は天井を見上げてため息をついた。一呼吸置いてメールを開いてみると、レストラン・ル・セルヴォ・ノワールを調べろとだけ書かれていた。

「なあ、レストランがどうとか言ってなかったか」

 ソファで寝転んでいる量子に声をかける。机の上には食べ散らかしたお菓子と、乱雑に積み上げられた漫画の塔が出来上がっていた。

「えっ、灰原さん、連れて行ってくれるの? ル・セルヴォ・ノワール」

 量子が飛び起きた。やっぱり、量子が言っていたレストランだ。どこかで聞いたと思っていたのだ。

「いや、お前が調べるって……」

「よし行こう。すぐ行こう。じゃあ予約の電話するね。灰原さんの奢りなら一番高いコースで予約しちゃお」

 連れていくとも奢るとも言っていないのに、量子はすでに電話し始めていた。

「え? はい。わかりました」

 量子が驚いた声で返事をして、電話を切った。

「そのレストランって有名なんだろ。いきなり電話して予約なんて出来ないんじゃないか」

 できればそうあってくれと願いつつ、なんでもない風に言った。灰原は量子から見えないように、机の下で財布を開いた。数枚のヨレた札が寂しげに収まっているだけだった。帰りに少し下ろしておくか、と思いつつ銀行の残高がいくらあったか頭に思い浮かべた。そんな灰原の願いとは裏腹に、量子は目を丸くして振り返ると「予約取れた」と答えた。

「えっ」

 灰原は声をあげてしまってから、咳払いをした。

「そ、そうか。それは良かった」

 良いわけがあるか! という声がどこからか聞こえたような気がしたが、気の所為だった。

「うん……」

「その割に、あんまり嬉しそうじゃないな」

 彼女の様子が変だと思ったのは、いつもなら嬉しい時はソファの上で飛び跳ねて喜ぶのに、それが大人しいからだ。予約できなかった、ならわかるが、予約できたのに喜んでいる様子はない。

「うん、嬉しいんだけど、なんか変で」

「変?」

「うん、予約はすでに取れてるって」

「え、お前、勝手に予約してたのか」

「違うよ」

 量子が大きな声で否定した。

「だって、初めて電話したんだよ」

「じゃあ、なんで予約が入ってるんだよ」

「そんなのあたしも知らないよ。でも、まあ予約取れてよかった。じゃあ、行こっか」

 量子が立ち上がる。壁にかかっている時計はまだ午後3時だった。その時間ではランチもディナーもやってないだろうし、むしろ準備時間ではないか。時計が間違っているのかと思ってPCの時計を見てみたが、やはり午後3時ぴったりだった。未読メールの表示が点滅して鬱陶しい。

「今から?」

「うん、今からだって。準備しておくから好きな時間にこいっていうから、すぐいくって言っちゃった」

 灰原はもう一度財布の中身を確認した。何度確認しても、札が増えることはなかった。


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