27
「何があった? お姉さんを見つけたのか?」
目覚めるとすぐに、九条博士が部屋に駆け込んできた。彼には聞きたいことがたくさんあるようで、早口でまくし立てた。しかし、今はとても疲れた。ずっと眠っていたようなものなのに、今は眠りたかった。
数時間のことのはずなのに、何日も戻ってきていないように思える。首筋がジリジリと熱くて不快なことに、現実味を感じて嬉しかった。
「そうだ、灰原さん」
九条博士の後ろから灰原が顔をのぞかせた。
「どうした」
「次は、ル・セルヴォ・ノワールへ……」
「え、何だって?」
灰原が聞き返すが、量子は眠ってしまった。灰原は九条博士を振り返った。
「大丈夫。いつものことだよ」
そう言って、がっかりした顔でコンソールルームへ戻っていった。
「ねえ、ねえ。九条博士のこと、信用できます〜?」
寝台の上で目を覚ますと、視界いっぱいにペストマスクが映った。彼が量子の顔を覗き込んでいたのだ。量子は悲鳴を上げて寝台から転がり落ちた。
男は仮面のくちばしに指を当てて「静かに」と言った。
——ここはどこだ。見る限り病院のようだが。大学病院に似ているが、病院はどこも似ている。
「ねえ、ねえ。九条博士のこと、教えてあげましょうか」
「あなた、誰なの。怖いんだけど」
危害を加える気はなさそうだった。男は大げさに驚いたような仕草をして見せる。わざとらしい。賭けてもいい。こいつは医者じゃない。
「うーん、そうですね。そうだなあ。じゃあ、病院の地下。病院の地下に行ってみてください。きっと良いものが見つかりますよ」
「病院って?」
「君たちが遊んでた、旧市立病院ですよ」
彼は歌うように言う。子供番組のマスコットキャラみたいだ。
「遊んで、って……失礼ね。そこに何があるの?」
「行ってみればわかります。あなたが本物の観測者ならね」
「また観測者? 観測者ってなんなの?」
九条博士も同じことを言っていた。何度目かもわからない問いだった。誰も答えてくれたことがない。量子はベッドの上から起き上がって、男をまっすぐに見た。だが、男はまともにこちらの質問に答える気はなさそうだ。
「私の話、聞いてくれる気になったら教えてください」
「教えてって言われて、貴方が誰で、どこに連絡すれば良いかもわからないんだけど」
「大丈夫。すぐにまた会うことになるでしょう」
男は踊るように部屋から出ていった。
量子が寝ていたのは、九条博士が所属する大学病院の病室だった。シナプススキャンのあと、気を失ってしまったのだ。あれは脳に強い負担がかかる。
灰原に連絡すると、うるさいくらいに量子のことを心配した。院長も量子汚染症と診断されて鏡百合と同じ病院へ搬送された。これで、白マスクへの捜査は振り出しに戻った。いや、振り出しではない。院長の意識の中でみた手がかりである『ル・セルヴォ・ノワール』と旧市立病院の地下が残っている。
「旧市立病院はどうなってる?」
量子が尋ねる。
「休業するらしい。患者も他所へ移すみたいだ」
旧市立病院と呼んでいるが、総合病院だった市立病院を買い取ったのが今の院長である。所有者がああなってしまっては、閉鎖もやむを得ないだろう。後継者でもいればよかったが、まだ死んだわけでもないから好きに売却もできない。代理の役員を選出するくらいが関の山だ。それは警察の管轄ではない。量子の知ったことではなかった。
「ちょっと気になることがあるの」
「気になること?」
「すぐに行ける?」
「ああ、まあ別に封鎖もされていないし。なんだ、手がかりか?」
「わかんない」
まだあのペストマスクの男を信用したわけではない。手がかりと自信を持っては言えなかった。
「とにかく行きたいの。迎えに来て」
「お前なあ。俺をタクシーかなにかと……」
「良いから早く」
灰原の文句を最後まで聞かず、量子は電話を切った。




