26
クイズ。意識世界の中で、さらに深いところに落ちていったらどうなるか——目を覚ますと天井にそう書かれていた。
クイズ? なんだそれは。そんなこと、考えたこともなかった。
再び手術台の上に寝かされていた。ここは現実なのか、意識世界なのか。ちゃんと九条博士はモニタリングしているだろうか。
起き上がろうとすると、両手と両足を拘束されていることに気付いた。
頭上にモニタが設置されている。そこに『薬剤に混ぜられていたのは』と表示されていた。
「一体なに?」
量子が言うと、モニタの表示が変わった。
『Memory-X』
『生理食塩水』
どうやら、この二択を答えろということらしい。
先程見た注射器のラベルを思い出す。
「Memory-X」
答えると、右手の拘束が外れた。どこかで誰かが監視しているのか。これは院長の意識で、それを観測しているのは量子のはずだったのに、さらにその上位の存在がいるということだろうか。左手の拘束を外そうと試みたが、手で外せるような簡単なものではなかった。
「量子君、聞こえるか」
ニューロンコネクタが震える。今までだんまりだった九条博士の声だ。
「緊急事態だ。こちらから、君の意識を観測できなくなった。強制遮断もできない。何が起きてる?」
血の気が引く音が聞こえた。今まで、どんなにピンチだとしても、九条博士が強制遮断してくれれば抜け出せるという保険があった。しかし、今はそれが効かないらしい。
「どういうこと?」
ニューロンコネクタをタップする。信号は届いていないようだ。
「おそらく、君は迷宮に迷い込んでしまったんだ。そこは、意識のさらに奥深くにあって、迷い込んだものを取り殺す。正しい道を選ばないともとの階層には戻れない。慎重に上層への道を探したまえ」
意識世界の中で、さらに深いところに落ちていったら、というクイズの答えは迷宮に落ちる、ということらしい。随分詳しいじゃないの。そんなに詳しいなら、どうして迷宮のことを事前に教えてくれなかったのよ——。九条博士に対する疑念が深まってゆく。彼が何を考えているかまるでわからなかった。
迷宮、というのは比喩的なものだ。今の状況は迷宮というよりも、デスゲームの参加者だ。迷宮に落とされたことで、上位存在に意識を乗っ取られたのだ。
上位存在は何がしたいのか。クイズ大会か。
「気をつけろ。誤った記憶断片に触れると、現実世界の身体が自殺行動を起こす」
九条博士の声が聞こえる。きっと、屋上から飛び降りた患者たちは、ここに閉じ込められて失敗したのだ。だが、こんな問題、一般人にわかるはずがない。つまり、あの死んだ患者たちは実験に使われたのだ。目的は特殊犯罪対策室のメンバーを罠にかけ、ここにつれてくることだろう。灰原か、九条博士か、もしくは量子か。警察が白マスクを追っているように、白マスクも罠を張っていたのだ。今回の事件そのものが、白マスクの罠だったのだ。それが、あの点滴バッグの中に入っていたにちがいない。それなのに、どうして成分が検出されなかったのか。
手術台のモニタに「Le Cerveau Noir」のロゴが映る。
このレストランは知っている。有名なレストランだ。行ってみたいと思っていた。
『このレストランの名前は何?』
モニタに文字が現れた。
「バカにしないでよ。あたしが英語もわからないと思っているの? ル・セルヴォ・ノワールよ」
モニタに『正解。でも英語ではなくてフランス語』と表示された。量子が顔を真っ赤にする。
「読めるんだからどっちだって良いじゃない」
一体、何に反論しているのかわからないが、とにかく一言言ってやらねば気がすまなかった。
答えると、今度は左足の拘束が解かれた。
一体、このクイズは何だ。迷宮とは何なんだ。何のために仕掛けている——。考えてみるが、まったくわからない。おそらく、量子汚染症を仕掛けた人間、白マスクの仕業に違いないが、どうして量子にこんなことを仕掛けるのかの理由が見当たらない。からかっているだけなのかもしれない。
『ル・セルヴォ・ノワールへ行ったことがあるか?』
「え?」
一体、どんなクイズなんだろう。行ったことがあるか?
「な……」
ない、と答えようと思ったとき、不意に右目に映像が見えた。レストランの中にいる。それを見た瞬間、記憶が蘇ってきた。五年前、誰かの意識をダウンロードしたときにそのレストランへ行ったことがあった。
あれは——サトー?
そうだ、シナプス・サトー。あの女の子の意識をダウンロードしたことがある。どうして忘れていたんだろう。あの迷惑女ともその時に会っているはずだ。
「ある」
答えると、右足の拘束が外れた。正解だったのか。やはり、あれはル・セルヴォ・ノワールだったのだ。あのとき、どんな内容だったっけ——思い出せない。何か、重要なことがあったような気がする。五年も前のことだからな、と量子は納得した。
『ル・セルヴォ・ノワールの記憶のフルコースは何が材料?』
記憶のフルコース——実店舗に行ったことのない量子ですら知っている、それは看板メニューの名前だ。しかし、材料なんてわかるはずもない。内容を知らないのだから。
「そんなの……知らない……」
思わず呟く。下手なことを言うと、失敗扱いになって他の患者同様自殺することになってしまいそうだ。
『思い出せ』
モニタに映し出される。
思い出すも何も、行ったことがないのだから——。
また、唐突に右目に映像が映し出される。レストランだ。徐々に映像が鮮明になる。記憶のフルコースという名前が無意識に何度か口からこぼれた。映像を見ているうちに、徐々に五年前のことを思い出してきた。
「前頭葉……そうだ、前頭葉のコンフィ……海馬の……カルパッチョ……材料は……脳髄」
不思議な高揚感に包まれた。量子は歌うように言葉を並べた。どうして忘れていたんだろう。こんな素敵なことを。
『正解』
左手の拘束が外れた。すぐに手術台の上から転がり落ちる。
『おめでとう。ル・セルヴォ・ノワールで待っているよ』
表示されたあと、モニタは燃えた。その光景を、うっとりとした顔で量子は眺めていた。意識が薄れゆく中で、黒い花の匂いがした。




