25
研究所に戻ると、九条博士が嬉しそうな顔で出迎えた。事前に連絡をしておいたのだ。
「さあ、装置の準備は万全だ。そこに寝かせたまえ」
院長を装置に寝かせる。量子は入念にストレッチをした。絶対に白マスクの正体をあぶり出してやる。
しかし、彼が言っていた、黒い花の匂いとは何だったのだろうか。そんな事を考えている間に、いつのまにか意識に侵入していた。
量子が目を覚ましたのは手術室だった。手術台の上に寝かされている。部屋の雰囲気からすると、先程院長と格闘した部屋だ。
手術室は狭く、薄暗かった。台の上の自分だけが明るいライトに照らされていて眩しい。
手術室にはなぜか掛け時計がたくさんあった。よく見ると、どれも11時を指しているのに、一つだけ違うものがあった。不思議に思い、それを11時に合わせると、どこにも振り子時計なんてないのに、時計の内部をハンマーで叩くボーンボーンという音が手術室に響き渡った。
音が11回続いたあと、時計の風防が開き、文字盤が奥に引っ込んだ。代わりに中から巻物状になった紙が出てきた。紙を開いてみると、手術同意書だった。日付は五年前——黒百合町事件の日だ。担当者は九条博士になっている。あの事件に旧市立病院は関係ないが、ただ舞台装置的にここが意識に投影されているだけの可能性もある。ただ、院長は黒百合町事件には関係がないはずだ。なぜ、彼の意識にこんなものが埋め込まれているのだろう。
「なんなの、これ」
どうして、ここで九条博士の名前が出てくるのか。
「関わっていないと、どうして言い切れるの?」
唐突に声が降ってきた。見上げると、逆さ吊りにされた女がいた。拘束着を着せられて、目隠しをされている。つややかな長い黒髪が、枝垂れ柳のように垂れていた。その声には聞き覚えがあった。
「お姉ちゃん?」
量子が声を掛けると、吊り下げられた女は応えずに手術室から出てゆく。天井にレールもないのに、どうやって移動しているのかわからないが、量子はそのあとを追った。
手術室から出ると、やはり先程までいた旧市立病院だった。
どうして姉が院長の意識の中にいるのか——。この映像を見ているはずの九条博士は何も言わない。
姉は病室の一つに入っていった。そこは量子が寝ていた空き病室だ。中にはマネキンが寝ている。その脇に白いマスクをした医者が、点滴になにか注入していた。量子は白マスクを見た瞬間に、他人の意識の中にいることを忘れて飛びかかった。
「捕まえた。もう逃さない」
乱暴にマスクを剥ぎ取る。
「嘘……」
マスクの下の素顔を見て、量子は驚愕した。
「なんであんたが……」
それは院長だった。
ありえない。ありえないありえないありえない。だって、鏡百合は白マスクを外部の医者だと言っていた。
なんだっけ、オルガン——違う、アルゴンだ。だから、院長であるはずがないのだ。
「それが嘘だったら?」
声に振り返ると、鏡百合だった。
「なぜここに?」
尋ねると、百合は嬉しそうに口を大きく開けた。顎が外れるくらいの大口の中にはただの闇が広がっている。顎が外れ、その中から黒い花が咲いた。量子花弁だ。
「私もみんなとつながったの。ようやく一緒になれた」
うっとりとした声で、百合が言う。
「待って。量子汚染症に感染すると、意識がつながるってこと?」
そんなこと、九条博士は一度も教えてくれなかった。それも気になるが、そんなことよりも。
百合の肩を掴んで揺さぶる。そんな量子の姿を見て、百合が声を上げて笑う。
「ねえ、白マスクは本当に院長なの? ねえ、そうなの?」
肩が外れそうなほど強く揺さぶるが、百合は笑っているばかりで答えない。量子は百合の顔を叩いた。それでも、百合は笑うのをやめなかった。そのまま溶けて泡になった。
「人魚姫かよ、クソッ」
泡を踏み潰す。
「お姉ちゃん、教えて」
見上げても、姉の姿は見えない。いつの間にかどこかへいってしまった。
「なんなのよ、一体」
泣きたかった。知りたいことは何一つわからない。謎ばかり増えてゆく。
しかし、泣いてばかりいるわけにもゆかない。院長は倒れたまま、中空を見上げていた。
「あんたが私の家族を殺したの?」
「私は命令されただけだ」
「誰に?」
「……わからない」
「なんでよ!」
量子は院長を殴った。
「じゃあ、白マスクの医者はだれなの? アルゴンって何者なの?」
「わからない」
「嘘」
院長の頬を叩いた。すると、弾けたように彼の顔の皮がバリバリと剥がれて頭蓋骨が飛び出した。その双眸や鼻、口に空いた穴から黒い花が咲いた。彼は手に持っていた注射器を取り落とした。見るとラベルが貼ってある。
『Memory-X』
ラベルにはそう書かれていた。なぜ、灰原の機械脳を冷却する冷媒と同じ名前のものを注入するのだ。もしかして、あのMemory-Xというものは、ただの冷媒ではないのではないか。いや、ここは意識世界だ。すべてが正しい訳では無い。
後ろに気配を感じた。まずい、と思ったときにはもう遅かった。首に注射器の針が突き立てられた。その瞬間、地面が崩れ、深く落ちて行った。その瞬間、黒い花の匂いがした。




