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メンタル・ポルノ 量子的食脳  作者: よねり
第2章「特別捜査官」

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 院長はすぐに所轄の警察署から解放されて病院に戻ってきたらしい。逮捕状がない以上、拘束し続けることは出来ない。灰原たちが顔を見せたとき、院長は「また来た」という顔をして「看護師長も看護師も、君たちのせいでいなくなってしまった」と嫌味を言ったが、その後ろに迷惑女がいるのを見つけて椅子から転げ落ちた。

「こんな時間まで仕事ですか。大変ですね」

 思ってもいないことを口にすると、女が後ろから灰原を押しのけて院長に詰め寄った。

「あ、あんた……ここにはもう来るなって言ったろう」

「こっちはまだ貰うもんもらってないのよ」

 言うなり、女は持っていたワインボトルを机に叩きつける。ワインボトルは無惨にも砕け散り、中に残っていた僅かなワインが飛び散る。凶器と化したワインボトルを振り上げる女を灰原が羽交い締めにする。

「何してるんだ。こんなことのためにあんたを連れてきたんじゃないぞ」

「やかましい、このクソオス。心配しなくてもあんたも殺してあげるわよ。そうしてほしいならね」

 女とは思えない力に驚いた。金切り声を上げる女を抑えるのに、屈強な灰原でさえ余裕がない。先程の九条博士を思い出した。

「なにそれ、その筋肉は見掛け倒しなの?」

 言いながら量子が女の腕を力任せに殴ると、女が割れたワインボトルを取り落とした。

「触るんじゃないわよ。訴えるわよ。あんたからも金を搾り取ってやるから」

 まるで手負いの猛獣だ。口の端から泡を飛ばして吼える。少しでも油断したら噛みつかれる。

 灰原がどうしようか頭を悩ませていたとき、突然、院長室の扉が開いた。

「ラブリーちゃん!」

 それまで獣のような表情をしていた女が、入ってきた少女を見るなり女の顔に戻った。灰原はその変貌ぶりにも驚いたが、それ以上に入ってきた少女を見て驚いた。

「サトーさん」

 灰原の声に反応して量子も少女を見る。退院したのではないのか。

 サトーは白いワンピースを着ていた。ワンピースから見える腕や足には、隙間なくカミソリで切った『ためらい傷』のようなものがある。手足だけではない。首にもあった。人の肌がひと続きの平面だというのは、たぶん幸福な人間の思い込みなのだ。彼女のそれは隙間なく隆起し、裂けて、修復された痕で埋め尽くされていた。灰原は仕事柄、そういう傷は見慣れていたが、ここまでのものはみたことがなかった。左腕と右太ももに包帯が巻いてある。そこに新しい傷があるのだろう。それでも、顔には傷一つなく、無垢な少女に見えた。

 女は少女に抱きつくと、犬を撫でるように顔をなで、その後顔中を舐め回した。サトーはされるがままに目を閉じていた。

「一体、何なんだ君たちは……おかしいぞ」

 院長が机から顔をのぞかせる。君たち、の中には自分も入っているのだろうかと灰原は思った。院長は顔中に汗をかき、息を荒げて床を転げて逃げ回った。そうして、部屋の隅に向かって手を伸ばしたと思ったら、奇声を上げた。

 灰原が量子に目配せをすると、彼女も頷く。部屋から飛び出して屋上へ行ってしまわないように気をつけねばならない。

 女に眼球を舐め回されながら、サトーは部屋の隅の方を指さした。まさに院長が手を伸ばしているあたりだ。

「何? また、なにか見えるの?」

 量子がサトーに問いかけるとサトーは頷いた。

「逆さ吊りの女。口から黒い花を吐き出している」

 黒い花、と聞いて灰原と量子は顔を見合わせた。量子花弁だ。それが、彼女と院長にだけ見えて、灰原と量子に見えないのはどうしてだろうか。灰原は目を細めてみたり、角度を変えてみたりしたがやはり何も見えなかった。

「と、とにかく出て行ってくれ。出ていかないなら警備員を呼ぶぞ」

 院長がドスドスと重たい足音をさせて灰原たちを部屋の外へ押しやった。

 どうしようか、という顔で量子を見る。

「院長が飛び降りないように見張っておきましょ」

 量子のくせにまともなことを言う。

「部屋の前で待つとまた文句を言われそうだから、屋上で待つか」

「ええ〜、外で?」

「仕方ないだろ。俺が若い頃はなあ……」

 刑事課時代の張り込みの話をしようとしたが、量子は「はいはい。おじさんの昔語りは嫌われるよ」と言って手をヒラヒラさせるとつまらなそうに屋上へ向かった。

「イマドキの若いやつは……」

 呟くと「それもね」と迷惑女が言った。


 ありがたいことに、寒い季節ではない。屋上にいたところで風邪を引くことはなさそうだった。

「二人でいる必要はないな。交代で仮眠を取ろう」

 灰原が提案すると、量子はまっさきに「おやすみ。三時間したら戻る」と言って屋上から出ていった。全く勝手なやつだ。

「ねえ、なんであんたたちは見張りなんてしてるの」

 迷惑女がサトーの頭に顎を乗せて尋ねた。

「俺達は警察だ。連続で起こってる自殺騒動が、俺達の追っている事件に関係しているからだ。これ以上は答えられん」

「ふーん」と興味なさそうに迷惑女が答える。

「まあ、私もあいつが死んだら金を取れなくなるから困るし、協力してやってもいいわよ。ねえ、ラブリーちゃん」

 女がサトーの頭に顎をこすりつける。

 灰原はこの女を信用してよいのかどうか迷っていた。だが、前回、院長が飛び降りるのを阻止してくれたのもこの女なのだ。様子はおかしいが、利害は一致する。

「それなら頼む。でもその子は寝かせてやったほうが良いんじゃないか?」

 サトーはまだ子どもだ。それに、今日までここに入院していたのだ。夜通し起こしておくわけにはゆかない。そう言った灰原を、女はキッと睨みつける。

「この子のことには口を出さないで」

 あまりの剣幕に、灰原はウッと声をつまらせた。

「わ、わかった。じゃあ、君の名前を聞かせてくれるか。俺は灰原だ」

 女は答えなかった。ワインの瓶が、彼女の膝の上で一度だけ、こつん、と音を立てた。

「……知ってるわよ」

「え?」

「有名人だもの。頭の中身が半分機械の刑事さんなんて」

 嘘だ、と灰原は思った。なぜそう思ったのかは、自分でもわからなかった。

「クァンタム・リー」

「え?」

 思わず声を上げてしまった。見た目は日本人然としているから日本人だと思っていた。それとも偽名か? 量子汚染症を追っていてクァンタムなんて名前のやつが目の前に現れるなんて、出来すぎている。

「何よ、私の名前に文句があるの?」

 怪しんでいるのがバレた。

「い、いや、ない。わかった、リー。よろしく」

 ふんっ、とリーは鼻を鳴らす。豊満な胸が揺れた。

 そのあと、何時間にもわたってリーの無駄話につきあわされた。こんなにうるさいのに、サトーは彼女の腕の中で静かに眠っていた。


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