19
灰原は百合のところに戻ると、サトーの病室へ案内してもらった。昨日見たときと同じで、目の下にひどいクマがあった。
「眠れないの?」
少女は頷く。彼女の傍らには点滴がぶら下がっていた。点滴の袋は空になっていた。百合に取り外してもらうと、パッケージそのものは昨日見た他の薬剤と同じだった。
「これ、調べてもいいですか?」
灰原は手袋をしてそれをジップロックに入れる。科捜研で調べてもらえば、何が混入されているかがわかるだろう。
「昨日も幽霊を見た?」
尋ねると、少女は首をふる。
「毎日見るわけじゃないの?」
少女は頷く。
カルテを見ていた百合がヒッと悲鳴を上げた。
「どうしました?」
「これ、彼女のこれまでの薬歴なんですが……これほんと?」
百合がカルテを少女に見せる。少女は頷いた。それを見て、百合は顔をしかめた。
「尋常じゃない量の薬を投与されているんです。ありえないくらい。こんなの見たことありませんよ。虐待ですよこれ」
怒ったように百合が言う。少女の様子を見ると、大変な目にあっているのは想像に固くないが、看護師の彼女が怒るほどとは灰原も考えていなかった。
「だから、薬剤を投与されても耐性があった、ということは考えられませんか?」
灰原が言うと、百合は手を顎に当てて考えるような仕草をした。
「あると思います」
「これらの処方もアルゴン先生が?」
「ええ、そのはずです」
百合が答える。
「アルゴン先生というのは何者なんですか?」
百合は首を傾げる。
「さあ。一応系列からの紹介で来ていただいている先生なんですけど」
「身元については?」
「院長に聞いてみないとわかりませんね」
あの男が簡単に教えてくれるだろうか。医師が事件に関わっているなどと吹聴されないように、隠蔽することさえ考えられる。
さらに少女に質問しようとしたとき、突然、少女は奇声を発しながら寝台から転がり落ちて、地面に頭を打ち付け始めた。灰原が彼女を羽交い締めにすると、百合が手際よく鎮静剤を打った。慣れた手つきに、この仕事への大変さを感じた。
少女はゴム人形のようにぐったりして寝台に横たわった。
何も聞こえていないだろうと思ったが、少女に礼を言って部屋を後にした。
屋上は入れないように規制線が貼られていたが、並んだ物干し竿にシーツが干されていた。屋上に出ようとする看護師を止めた所轄の警官は、すごい剣幕の看護師から反撃にあっていた。
屋上の端は乗り越えられないように、かなり高いフェンスが設置されている。あれを夜中に登って向こう側に降りるなんて簡単ではないはずだ。最初に死んだ三人のうちの一人は女性だし、60代の男性もいた。
フェンスを調べてみると、何箇所か強い力がかかったような歪みがあった。それは、人が登ったときにできた歪みのように見えた。だとしたら、相当な怪力ということになる。看護師長は相当強い力の持ち主だったが、それでもフェンスを歪ませるほどの力持ちには見えなかった。
「おやぁ。奇遇だねえ」
背後から聞き覚えのある声が聞こえる。
「九条博士」
九条博士が現れたこともそうだが、さらに驚いたのは彼の後ろに量子がいたことだ。
「頭は冷えたのか?」
量子は口をとがらせたまま、小さく頷いた。
「なんだかねえ、そこのところでバタバタしてたんで捕まえてきたんだ」
まるで虫でも掴まえてきたような口ぶりで九条博士が言う。特徴的な甲高い声で笑った。
「まあ、この事件に君たちが駆り出されているんじゃないかと思ったよ。そうしたら、案の定だ」
白衣を着て腕を組む姿は、場所も相まって医者に見える。それに、この事件を解決するように命令されているのは、特殊犯罪対策室であって、灰原だけではない。つまり九条博士も含まれているのだ。まるで自分の所属を忘れているかのように勝手なことを言う。
「九条博士はここに縁があるんですか?」
「はあ? 君は何を言っとるかね。ここは私の大学病院の系列だ」
九条博士は信じられないバカを見るような顔で灰原を見た。
「呆れたねえ。わかっていて来たのではないのかね。君が我々のチームリーダーであることが恥ずかしいよ」
所属を忘れているわけではなさそうだ。
——チームリーダーなんて、一度だって思ったことがないくせに。
「すみません、博士。それで、今日はどうして?」
「呆れたねえ。応援に来たに決まっているじゃあないか。馬鹿かね君は」
胃がキリキリと痛むのを感じる。
「ありがとうございます。それで……」
「そうだねえ。このフェンスの歪み方は相当な力が加わっているようだね」
「ええ、ですが、誰もそんな力があるようには見えませんでした」
「なるほどぉ〜」
「何か登山用のフックとか引っ掛けて三人の体を持ち上げたんじゃない?」
量子が口を挟む。すっかり様子が戻っていた。
「なるほどぉ〜」
パタパタとスリッパの足音をさせて九条博士はフェンスに近づく。そうして、フェンスに顔を近づけて「ふむふむ」とか何とか独りごちている。
「無理だね」
身も蓋も無い言い方だった。量子はムキになって反論していたが、すべて九条博士に論破された。
「大体だねえ。そんなリスクの高い殺害方法なんて誰がするんだね。えぇ? この病院はいたるところに監視カメラがある。それらに全く映らず、登山用のフックとやらを持ってきて、人間を三人も釣り上げて突き落とすなんて非効率的なことをするメリットは何かね?」
「うっ……」
キャンキャンとやかましく反論していたが、とうとう量子は材料が尽きたようだ。
「そんなに一度に何人も殺したいなら、寝ている間に刃物で刺し殺すなり、毒物を注射するなりしたほうがよほど楽だと思うがね」
「自殺に見せかけることで、罪を逃れようとしたのよ。白マスクがね」
「他殺だとバレたくないとすると、犯人はこの病院の関係者ということになる。しかしだねえ、こんな不審な死に方をしたらすぐに怪しまれるだろう。それじゃあ意味がない。それに、この病院は医師不足だ。事実、外部からの応援や研修医に頼り切りだ。自ずと絞り込まれてしまうな。看護師という線もあるだろう。それだって人数は少ない。警察が本腰になって調べたらすぐにわかってしまうよ。その白マスクとやらが、本当に君の探している犯人だとしたら、実に間抜けだね」
「そうか。どうして三人が同時に死んだかということがわからなければ、他の謎は解けないということですね」
灰原が手を叩いた。
「まあ、量子君よりはマシな回答だね。どちらにしろ意味はないが」
「意味がない?」
灰原が眉を上げる。
「これはどう見たって……ほら。君たちの大好きな事件じゃないか」
九条博士が両手を広げて天を仰ぐ。
「量子汚染症だよ。わからないかね。三人も、看護師長も、量子汚染症だったんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください九条博士。量子汚染症は意識が戻らないはずですよね」
「考えても見給え、灰原くん。量子汚染症のことはよくわかっていない。感染してから意識を失うまでにどれくらい時間がある? その間になにか命令することができるとしたら?」
「でも、それは想像でしか……」
「なんでも否定していては、医学に進歩はありえない。さあ、脳を調べるよぉ」
九条博士が舌なめずりをする。
「ねえ、被害者はみんなここから飛び降りて脳漿を飛び散らせているんだから、調べることなんてできないじゃない」
九条博士がピタリと動きを止める。表情がみるみる不機嫌に変わっていった。まずい、怒り出すと手に負えない。なんとか機嫌を取らなくては。
「そういえば、幽霊が見えるっていう少女がいましたね。その子を調べてみるっていうのはどうでしょう」
九条博士の表情がパッと明るくなる。
「良いね。そうしよう。すぐに手配してくれたまえ」
「そんな簡単に……」
「うるさいうるさい。考えたって仕方ないじゃあないか。脳髄をパカッと開けてみれば良いんだ。手当たり次第捕まえて装置に寝かせたまえ」
そんな横暴な——と思ったが黙っていた。




