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騒動のあと、灰原は警備室に連れて行かれた。警察だと言っても信じてもらえず、看護師長がやってきてようやく誤解が解けたのだ。
「まったく、あなたは一体何しに来たんですか」
看護師長が呆れたように言った。意外なことに彼女は怒っていなかった。代わりにとても疲れているように見えた。
「お疲れのところ、ご迷惑かけてすみません」
灰原が謝る。
「さっきの女の子ってどんな子なんですか?」
「さっきの?」
看護師長が怪訝な顔で灰原を見返す。
「ええ。あの子、以前にも会ったことがあるんです」
「サトーさんに?」
彼女の名前はサトーというのか。
「そうサトーさん。我々の所属する部署に、九条博士という方がいまして。その方の所属する大学病院で」
言うと、「ああ」と納得したように看護師長が頷いた。
「彼女はここに来たばかりなんです。ここに来る前、サトーさんは確かに大学病院に通っていたとカルテで読みました。なんでも、特殊な症例らしく、新しい治療研究に参加しているとか」
「特殊な症例?」
「ええ。量子汚染症っていう」
「量子汚染症だって?」
思わず大きな声を出してしまった。まさにその事件の担当をしていることを伝えると、看護師長は少し考えるような仕草のあと、ロビーのカウチソファに灰原を案内した。本当に疲れているようで、先程までの棘のある雰囲気は薄れていた。
「あなたも、自殺じゃないって思っているんでしょう?」
看護師長が投げやりに言う。灰原はたじろいだ。
「いや……まだ判断しかねます。証拠も揃っていないですし」
看護師長が逡巡するように視線を巡らせる。
「あの、あのね。これから言うことは嘘でもなんでもなくて。嘘みたいに聞こえるかも知れないけど、馬鹿にしないって約束してくれます?」
「はい。もちろん」
灰原が思わず前のめりになる。看護師長は何度か、何かを言おうとして辞めるのを繰り返したあと、ゆっくり言った。
「私、見たの」
「何を?」
「幽霊」
「は?」
思わず声を上げてしまった。それが、彼女の気に障ったのだろう。彼女は真っ赤な顔で立ち上がった。
「ご、ごめんなさい。びっくりしちゃって」
「そうよね。さっきまで威張ってた女が、こんな馬鹿みたいな事言うんだもんね。ああ、話さなきゃよかった」
「そんなことありません。聞かせてください」
「結構。まだ仕事が残っていますので」
乱暴に灰原を突き放すと、看護師長はどこかへいってしまった。
「また女の扱いに失敗したの?」
いつからいたのか、量子が灰原を見て笑っていた。
「お前、うまいこと逃げたな」
「あたしは関係ないじゃん。あんたが少女にいたずらしようとしただけじゃん」
「人聞きの悪いことを言うな」
灰原が警察手帳で量子を叩く。
「暴力! 暴行罪!」
「うるさい。あれはあの子だぞ。病院でお前と揉めてた」
灰原が言うと、量子が苦虫を噛み潰したような顔で体を仰け反らせた。あの派手な迷惑女が大学病院の待合室で暴れていたときのことを思い出したのだ。
「なんで?」
「量子汚染症なんだと」
「嘘でしょ。だって意識あるじゃん」
「知らねえよ。看護師長がそう言ってたのを聞いただけだから」
「じゃあ、看護師長は嘘つきだね」
「そうとも限らないぞ。珍しい症例で、あの大学病院で研究対象になっているらしいから。九条博士マターなんだろ」
「いーや、嘘だね。嘘嘘。嘘っぱち。だって、九条博士だってそんなこと一言も言ってなかったじゃん。あたしがあれだけ説明したのに」
量子はブンブンと頭を振ったが、突然動きを止めた。
「そういえば、あの子、どこかで見たことあるんだよね」
「案外、同級生かも知れないぞ」
「それはない。だとしても、あたし学校行ってないもん」
量子はこともなげに答えた。灰原は彼女が事件からあと、ずっと九条博士のもとにいたことを忘れていた。しまった、という顔をしたが量子は気にしていない様子だった。
「それと、あの子、点滴を打つと逆さ吊りの女が見えるって言ってた」
「え? それやばくない? 変な薬打たれてる?」
「まさか。病院だぞ」
「だって、医療用の麻薬とかあるじゃん」
「それは、末期がんの患者とかに使うやつだろ。ここにあるわけない。普通に睡眠導入剤の副作用だろう」
「わかんないじゃん」
ふと、先程の看護師長の言葉を思い出す。
「あと、看護師長が幽霊を見たって」
「え、あの冷徹メガネが?」
「冷徹メガネ?」
「看護師長のあだ名」
「お前な……。まあいい。その冷徹メガネが見た幽霊ってのは、あの子が見た逆さ吊りの女と同一なんじゃないか」
「アリ寄りのアリ」
量子が両手で灰原を指差す。
「なんだそれ」
「それありそう。でも患者はまだしも、あの冷徹メガネは点滴なんて打たれるほうじゃなくて打つ方じゃん」
灰原と量子は唸る。
「えっ、待って」
量子が思いついたように手を叩く。
「点滴が幽霊の原因だとして、それが量子汚染症の症状の一つだとしたら、意図的に量子汚染症を引き起こす点滴を打っているやつがいて、飛び降りた三人を量子汚染症にしたってことじゃない?」
思考が止まらないように、量子が部屋の中を歩き回った。
「眠ったあとに薬剤を点滴されて、量子汚染症を引き起こした。それによって操られて、病院の屋上へ行って落っこちたってこと?」
灰原が頷く。
「そんなうまい話ある? だって、量子汚染症にそんな症状があるの?」
「まあ、仮説の一つとしてだな……」
「あ、でもさ。だから、九条博士がここにいたってことかな」
すっかり九条博士の存在を忘れていた。
「確かに。九条博士がここに興味を示すということは、量子汚染症に関係するなにかの可能性があるってことだ。お前の推理、あながち間違いじゃないかもな」
量子が珍しく真剣に考えている表情をした。
「その薬剤ってやつを特定したいね」
量子の意見に灰原も同意した。




