14
受付で、灰原の後に量子が名前を書いた。関係者のネームタグが渡され、灰原は首から下げた。同時に、案内に看護師が一人ついた。案内という名の監視役だろう。
「鏡百合です」
看護師は消え入りそうな声で名乗って深々と頭を下げた。小柄で、押しに弱そうなボブヘアーの女性だった。看護師というのは気が強いものだと思っていたので意外だった。目の下にそばかすがあるのが印象的で、小動物を思わせた。
ロビーには、元々が総合病院だった頃の名残があった。しかし、待合の椅子に座っているのは誰も彼も風邪と言うには様子がおかしい。警官が言っていたように、実質的に精神科病院というのは本当のようだ。
誰も彼もが顔色が悪い中、一人だけ異様な空気感の女が座っていた。全身派手な服を着て、胸はこぼれ落ちんばかりにさらけ出しており、室内だというのに顔の半分くらいはあろうかという大きなサングラスを掛けていた。眺めていると、おもむろにタバコを取り出し火をつけた。灰原が注意しようとした瞬間、気の強そうな太った看護師が走ってきて女を追い出した。女は腕を振り回し、大声を上げて暴れた。間違いない。大学病院の待合室にいたあの女だ。どうしてあの女がこんなところに——。
女は入口でまだ喚いていたが、灰原たちは看護師に案内されて待合室の奥から階段を登った。途中、いくつか電子錠付きの扉——彼女らはセキュリティゾーンと呼んでいた——を通り抜けた。重度の精神病患者の入院施設という言葉に説得力を保たせるには充分だった。
始めに院長室に通された。院長の横には神経質そうな女が苛ついた様子で立っていた。彼女は看護師長と名乗った。身長が高く、度のきつそうなメガネを掛けていて、帽子の中に髪の毛をひっつめていた。見ただけで気が強そうな女性であることがわかる。
「警察にはもう何度も話しましたけど」
警備局長の報告書には何も書かれていなかった。どちらが嘘をついているかと訊かれれば、警備局長だろう。
「すみません。こちらの聞き違いがないように、各自でお訊きするのが決まりでして」
灰原が申し訳無そうに頭を下げると、警察権力を屈服させたことに溜飲を下げたのか「手短に」とだけ言った。
「ええと、今回自殺された……」
「事故、ね」
横から口を挟んできたのは院長だった。太っていて厚い唇が印象的な男だった。彼が喋るときに見える歯は真っ白で芸能人のように綺麗だった。彼は不健康そうな見た目の割には黒黒とした髪の毛をベッタリと七三分けにしていた。いかにも権力が好きそうなビジュアルといい、ねっとりとした喋り方といい、人の話を遮るところといい、警備局長に似ている。出世する人間というのは、性質が似ているのかも知れない。
院長の横槍に、看護師長は苛ついたように眉毛を動かした。
「失礼。事故に遭われた三人のことをお聞きしたいのですが」
「三人はそれぞれ交流はなくて、比較的最近入院したんだったね」
院長が看護師長に視線を向ける。
「はい。そのとおりです。男性が二人、女性が一人。男性の一人は半年前に入院した10代、もう一人は先月入院した60代。女性は三ヶ月前に入院した40代です」
抑揚はないが、口を挟みにくい圧力を感じた。
「なるほど。年代も性別もバラバラ……それだけ聞くと共通点はないように見えますね」
「部屋は自由に出入りできるの?」
それまで大人しくしていた量子が灰原の後ろから尋ねる。看護師長は、自分だけが見えている悪霊を見るように怪訝な顔をした。
「彼女は?」
「すみません。彼女は警察の協力者です」
量子の正体を怪しむ顔を隠そうともせず、看護師長は答えてくれた。
「ここがどういう施設かご存知? お嬢ちゃん」
「キチガイ病院でしょ?」
そういった瞬間に看護師長は院長の机の上にあった灰皿を掴んで振り上げた。灰原が止めなかったら、本気で振り下ろしていただろう。それくらい、彼女の力は強かった。ただ、ポーズのような気もしていた。一瞬、力の強さと表情とが釣り合っていないように見えたのだ。警官はその場で慌てるだけで反応は出来なかった。
「このガキ、ふざけるんじゃないわよ。院長、笑っていないで。刑事のあなた、この件は後ほど正式に警察に抗議しますので。もう協力はできません。お引き取りください」
眉を吊り上げて看護師長がまくしたてる。注意された院長は、まだ笑っていた。
灰原に指示されて、警官が看護師長の手から灰皿を取り上げた。看護師長に睨まれて警官は震えていた。
「まあまあ、看護師長。良いじゃないの。君、いいね。久しぶりに聞いたよ、その言葉。最近はコンプライアンスだなんだとね……」
院長は楽しそうになにか言って、一人で笑っている。看護師長の表情を見て、まだ笑っていられる彼の心臓の強さは流石と言える。
「おい、失礼なことを言うなよ。今度変なことを言ったら追い出すからな」
灰原が量子を睨みつけるが、量子はどこ吹く風といった様子だった。となりで警官が灰皿を持ったまま固まっている。
——この部屋には変なやつしかいないのか。
「申し訳ありません。お怒りはもっともです」
灰原は平謝りだった。
「ねえ、まだ答えを聞いてないんだけど」
「おい」
「ええ? 普通のことを聞いただけじゃん」
量子は少しも悪びれた様子がない。こいつはどうしてこんな風に振る舞えるのか、灰原は全く理解が出来なかった。最近は職位の高いものよりも、若者のほうが怖い。
「自由に出入りできるのか、だっけ? そうだねえ、無理だろうねえ。ここはね、お嬢ちゃんの言う通りの病院さ。だからね、それぞれの部屋には外側から鍵がかけられるし、部屋の外にいるときはみんな監視がついてる。ねえ、看護師長?」
答えない看護師長の代わりに院長が答えた。同意を求められても、彼女はもう口を開きたくないようだった。
「まあ、なんだ。君たちが思ってるより、ここの監視は厳重だし、三人が仲間だったとしても、彼らだけで屋上へ行って飛び降りるなんて無理だろうね」
「でも、実際は無理ではなかった」
灰原が量子を見て頷く。
「つまり、協力者がいたってこと?」
「馬鹿な。そんなはずありません。私達の仕事を馬鹿にしないで」
我慢できずに看護師長が金切り声を上げた。量子はにやりと笑う。
「じゃあ、どうやって屋上へいったって言うの?」
「それは……」
看護師長が口ごもる。
「それを捜査するのが、あなた達の仕事でしょう? さあ、もう良いかしら。忙しいの」
「いや、まだ……」
「他に聞きたいことがあるなら、暇な人に聞いて頂戴。そこにいる子とかね」
看護師長は灰原の後ろにいた、案内役の百合を指差して言い放つと、足を踏み鳴らして部屋から出ていった。扉を締めたときに部屋全体が揺れたように錯覚するほど大きな音がした。あの細い体によくそんな力が宿るなと灰原は感心した。先程、攻撃を止めたときの衝撃は錯覚じゃなかった。普段から鍛えている灰原さえ、力負けするかと思ったほどだ。
百合はすっかり縮こまってしまっている。彼女らの間には、何らかの軋轢がありそうだ。
「やれやれだね。女ってやつは年を取るとどうも怒りっぽくなって困る」
看護師長が聞いたらまた灰皿を振りかぶりそうなことを言う。院長が引き出しから巨大なリコリスロールを取り出した。漫画でよく見る、渦巻き状の棒付き飴だ。包装を乱暴にひん剥くと、院長はそれを舐めずに噛み砕く。妙に似合っていて面白い。
「まあ、彼女の言う通り、あとはその子に聞いてよ。屋上の鍵もナースステーションにあるから。ねえ、君。案内してあげて」
院長が言うと、百合がビクリと体を震わせて頷いた。
「じゃ、ひとつよろしく〜。弊院の名誉挽回頼んだよ」
院長は椅子をくるりと180度回転させると、窓の方を向いてしまった。彼も、これ以上は口を開かないという態度の現れだろう。
彼らはなにか隠している——灰原の直感が告げていた。




