閑話 初恋の人との再会が全裸だった件について
漫画家としてデビューが決まった時、僕は浮かれていたんだと思う。
肩書きが付いたことで、突然増えた「自称友達」のように、彼女の視界に入る事ができるかもしれない、と。
しかし、その願いも虚しく、彼女と会話することすらできずに卒業を迎えた。
高校卒業をきっかけに東京へと出た。
恋が実らずに自暴自棄になったわけではない。
編集担当は、今のご時世都会でなくてもやり取りできると言っていた。それでも、何となくその方が売れるチャンスが増える気がして、勢いのまま地元を後にした。
今にしてみれば、夢だけを追うのではなく、進学をしながら描いていれば良かったのかもしれない。
デビュー作こそそれなりの評価を得たが、その後は短編を数話。もしくは打ち切りが続いた。
形になったのはこの8年で片手に収まる。
売れた冊数で言うならば、立派に「売れない漫画家」の部類だ。
知り合いの伝手を頼って広告のイラストや、絵の依頼で細々と食い繋ぐのが現状だった。
なんなら、趣味で二次創作の同人誌を描いて売った方が売り上げは良かったように思う。
その現実に負けて、結局25歳になる年の春、僕は地元に戻った。
地元でも絵の依頼は受けられる。
声をかけてもらえた時には短編も描く。
夏と冬を狙い打てば、同人誌を描き進める事もできた。
ただ、両親は肩身が狭いようだった。
都会から出戻った売れない漫画家。
それならまだいい。
いい年をしてお絵描きしてる引き篭もりの長男。
この噂が、町内に広がっていた。
駅の近くを飼い犬のハナコと散歩していたら、学習塾の前で「ちゃんと勉強しないと、佐伯さんとこの長男みたいになるよ」と名指しで笑う人もいた。
昼間に外へ出ないせいか、目深に被ったフードのせいか、僕が『佐伯さんとこの長男』だと知られていないらしい。
(地元には守られる秘密なんて無いな)
あれだけ居た自称友達も、今では同窓会の誘いしか連絡が無くなった。
「わふっ!」
リードの先でハナコが振り返る。
生後半年になるクリーム色のラブラドール。
家から出ずに鬱々としていた自分を見かねた親が、突然「あなたの新しい妹よ」と買ってきた。
実の弟妹もいるのだが、この新しい妹は僕を純粋に慕ってくれた。
種族こそ違うが、まだ幼いハナコの仕草で癒されたのは事実だ。
その日も、昼間は何となく家から出られず、家族が眠ってからそっと家を出た。
犬の癖にへそ天で眠るハナコを抱き上げ、寝ぼけているうちに連れ出してしまえば、静かに家を離れる事ができた。
少し離れた田んぼの畦道。
柔らかい明るさで夜道を照らす上弦の月が水面に映る。
まだ若い背の低い稲が点々と続く。
その合間を、カエルがすいっと泳ぐ姿が見えた。
深夜一時だから許される、というわけでは無いが、ハナコをそっと畦道におろした。
夜風で目が覚めたのか、足取りも軽く走り出す。
車が入ってくるような場所ではないから、子犬にとっても安全を配慮したつもりだ。
一直線に駆けるハナコ。
頭上では月が静かに輝いていた。
これは絵に残したい。
そう思い、僕はスマホのカメラを向けた。
ハナコが何かを咥えてジャンプした。
その最高の瞬間を、カメラで捉えた……つもりだった。
スマホを下ろすと同時に、視界に全裸の女性が飛び込んできた。
断じて盗み見ようとしたわけではない。
服を着ていない女性と偶然出会っただけだ。
月明かりの中で立つその姿は、凛としていた。
程よく鍛えられているのか筋肉の陰影がはっきりと浮かぶ体だった。
性的というより、美しさが先に立つ。
その顔に目を向けたら、まさかの神崎さんだった。
中、高の六年間、あれほど憧れていた存在。
気づけば鼻の奥からツンと鉄の臭いがした。
まずいと思ったが、最悪なタイミングで鼻血を出してしまった。
言い訳をするならば、元々鼻の粘膜が弱く、夏の蒸し暑さのせいもあったかもしれない。
裸を見て興奮したと誤解されないよう、手の甲でぐいと鼻血を拭い、知り合いだとアピールをする事にした。
なるべく顔以外を見ないように視線を固定する。
「……神崎さん、だよね? 何してるの?」
思わず声が上擦った。
家族以外の誰かと話すのが久しぶりだったからだろうか。
空気を読まないハナコが咥えたものをぶんぶんと振り回して遊んでいる。
よく見たら、いや、詳しく見たわけではないが、どうやら下着のようだった。
彼女はハナコが視界に入っていないのか、肩を震わせてこちらをキッと睨め付けた。
「そのセリフ、そっくりそのまま返すわ! この変態野郎」
「え?」
変態野郎、その言葉は否定したい。
客観的に判断するなら、僕は犬の散歩をしていただけだ。
むしろ神崎さんこそ盛大なブーメランをくらうのではなかろうか。
そんな彼女の目線は自分の右手に注がれている。
(そうか、スマホのシャッター音か!)
僕は焦ってスマホとハナコに視線を泳がせる。
彼女はどうやら自分を盗撮犯とでも誤解しているようだった。
それならばと、物的証拠を見せることにした。
「ち、違うよ! 神崎さんに気がついたのは撮り終わってからで、多分映ってないから! ほら、ハナコと満月が絵になって……」
印籠よろしくスマホの画面を彼女に向けた。
神崎さんはしげしげと画面を覗き込む。
画面の中に何を見たのか、引いたような顔で「こっわ、これじゃ心霊写真じゃん」と言った。
彼女の反応が気になって、僕は撮ったばかりの画像を見た。
生命力に溢れるハナコと、画面の隅に映り込む青白い肌色の人影。
模範のような心霊写真が撮れている。
「あ、絶妙にブレてて怖いですね、コレ」
「本当だよ、知らない人が画像だけ見たら叫ぶやつよ?」
「本当ですね、あははっ」
神崎さんが普通に会話をしてくれる。
格好以外、とても自然に。
僕らは何故か一緒に笑い合った。
久しぶりに声を出して笑った気がした。
その後の時間はあっという間に過ぎていった。
ハナコが神崎さんを気に入ってしまい、大変なこともあったけれど、僕らしか存在していないような深夜の出会いは、少しだけ呼吸が楽な時間だった。




