第二話 二人と一匹の帰り道
ハナコと足並みを揃えて帰路につく。
隣を歩くラブラドールは、常に私を見上げている。
前を見ずに歩くせいか、時々ごちごちと電信柱に頭をぶつけているが、本人は全く気に止めていない様子でへらっとしている。
動物に縁のない生活だったが、こういうペットがいたら日常生活に潤いを感じられるかもしれない。
後ろからは居心地が悪いのか、申し訳なさそうにリードを握る飼い主が着いてくる。
私が振り返ると、男はパーカーのフードを目深に被りながら小さな声で言った。
「神崎さん、僕と一緒に歩いてたら変な噂になりますよ」
そんなもの田舎あるあるだ。
小さな町内はネットワークの速度が恐ろしく速い。
スマホの電波は弱いくせに、人の口からWi-Fiが広がるのか、一つの噂が数日後には町内で共有される。
「そう言う考え面倒臭っ。悪く言う人はどんないい事しても悪く言うんだから、不特定多数を気にすんな!」
肩身が狭そうにしている男は、田舎の洗礼で苦しい思いをしているらしい。
目深にフードを被り、俯きながら歩く男。
ハナコを連れていなければ不審者情報として流れてきそうな姿だった。
私は胸ポケットから紺色の長方形の箱を取り出した。
箱を開けると並んだ棒が見える。
それを指でトントンと叩くと、振動で一本が顔をだす。
私は顔を上げられずにいる男に向けて、箱を差し出した。
「吸うか?」
私の言葉に、男はゆっくり顔を上げた。
そして、ふるふると顔を振った。
「いや、僕はタバコ吸った事なくて……」
「お、気が合うな、私も焼肉屋以外で煙吸う趣味は無いのよ」
男の視線が私の手に注がれる。
時々買う嗜好品。
紺色の箱に六本の棒状のラムネが入っている駄菓子。
子どもの頃はココアとハッカの味がする美味しいチョークだと思っていたが、大人になって「シガレット」の意味を理解した。
「これ、粉っぽくてうまいのよ」
スーパーでついでに買っておいた散歩のお供。
これを咥えながら歩くだけで、健康的に世間様への反抗をしている気持ちになれるからお気に入りだ。
ポキポキと口の中のものを少しずつ噛み砕く。
その度に信じられないくらい口の中の水分が持っていかれるが、多分それも魅力なのだと思う。
私の口から飛び出している部分が、噛むたびに上下に動く。
それを眉を顰めて眺めながら、男は一本抜き取った。
男は食べた事がないのか、シガレットというよりカラーチョークのような構造を眺めていた。
そして、意を決したように頷いた。
「いただきます……」
美味しいチョークだと思って普通に食べればいいのに。
「うわふっ!」
ハナコが次は自分の番とでも言うかのように飛びついた。
子どもが安心して食べれる日本の駄菓子。
だがしかし、犬はダメだろう。
(しかもシガレットだからな、これは)
私は思い出し、エコバッグの中にあるさっき買ったウインナーの袋を開けた。
そして中の一本を渡そうとしたが、まずは飼い主に確認することにした。
「ねぇ、ハナコにウインナーあげてもいい?」
訊くと男は「たまの一本なら健康に問題はないと思います」と真面目な顔で頷いた。
無事に許可を得たので、私は長めの一本を袋から出す。
「ほら、あんたも吸いな」
ハナコの鼻先にウインナーを差し出す。
残念ながらハナコは大きく口を開けて、一本丸ごとがふがふと咀嚼した。
三人で咥えて歩くことはできないらしい。
尻尾がメトロノームのように勢いよく動く。
数秒で食べ終わったのか、もう口の周りをぺろぺろと舐めていた。
そして私を見上げてお座りをしてみせる。
下半身が女の子座りのようにてれんと崩れるのはハナコの癖らしい。右手を「お手」と差し出して「おかわりください!」と見上げてくる。
その視線から期待を感じた。
私は後ろにいる飼い主をちらと見たが「一本だけです、人間の食べ物は犬にとって味付けが濃すぎるんです」ときっぱり拒否された。
その言葉を理解したのか、ハナコは目に見えて落ち込んでいる。
垂れ気味の耳がさらにぺたりと伏せている。
眉はないのに、八の字眉毛の幻覚さえ見える。
多分私とハナコは同じ顔をしていたに違いない。
「ごめん、ハナコ。次は犬用のオヤツ買ってあげるわ」
その言葉に、飼い主は「ふふっ」と肩を振るわせた。
何がそんなに面白いのか、少しだけ肩を丸めてくすくすと笑い続ける。
「……どした?」
「いえ、神崎さんってハナコに当たり前に話しかけるんだなって……」
「え? 円滑なコミュニケーションの基本だろ? 介護で大切なのは会話と傾聴よ」
そう説明したら、なにがツボに入ったのか、男は「あはははっ」と腹を抱えて笑い出した。
その勢いで、フードが脱げていることに気づいていないらしい。
ボサボサで長めの前髪の隙間から覗く目が、弧を描いている。
ちゃんと笑っている。
陰気臭い顔よりはよっぽどマシだ。
私の口元も思わず緩んだ。
いつまでも咥えていたせいか、ココアシガレットは唇の皮膚に張り付いている。
私はそれをペロリと舐めて剥がした後、ポキポキと噛み砕いた。
飲み込んだあと、一つの疑問が浮かぶ。
「そういやアンタ名前なんだっけ? あたしの名前知ってるってことは……どこの知り合い?」
私の質問が意外だったのか、それとも驚いたのか。男はココアシガレットを指先で掴んで外した後、ゴホゴホと咳をした。
「いまさらですか、神崎さん」
いまさらと言われても、目の前の男に僅かな見覚えしかない。
多分町内の誰かだというのは理解できる。だが、町内のじじばばのように、一瞥しただけで誰それの息子さんだとか、どこそこのお孫さんだとかを判断できる能力は持ち合わせていないのだから仕方ない。
「年齢的には似たようなもんかな、とは思うんだけどねぇ……」
多少の申し訳なさで頭を掻く。
「中高で一緒で、そのうち三年ほど同じクラスだったんですよ」
「おぉ」
相槌を打ってみたが、正直わからない。
相手にもそれが伝わったのか、複雑そうな笑顔を浮かべて説明を続けてくれた。
「高校生の時は神崎さんが風紀委員で、僕はクラスの美化委員でした」
三年間やらされた風紀委員。
スカート丈だの髪型だの、面倒臭いことこの上なかった。
「部活は美術部で……一応その時に漫画家デビューしたんです」
高校生で漫画家。
その話題は覚えている。
現役高校生漫画家。
その肩書きは稀に耳にするから、珍しいこととは言えあり得ないものではないのだろう。
だが、現役漫画家がうちの高校にいる、ということで一時期話題に上がったのを思い出した。
「あぁ、あれあんたの事か!」
「はい」
「で? 名前は?」
思い出せなかった最後のピースを質問した。
「佐伯悠人です、神崎真さん」
そう言って、佐伯は穏やかに破顔した。
学生時代の思い出をぽつりぽつりと話していたら、家まであと少しの場所まで来ていた。
なんなら上がってお茶でも一杯、と思ったが、家に男を連れ帰ろうものなら間違いなく佐伯が捕まる。
そして質問攻めにされた挙句、家で仕事する男なら、物置小屋として使っている古い平屋で婿に取るか……と言われる未来が見える。
流石に佐伯に失礼だし可哀想なので、私は別れを切り出した。
「ここまででいいよ、送ってくれてありがとう」
「あ、僕の家この先7分くらい歩いた山の下なんです」
「……え?」
聞けば通っていた中学の目と鼻の先だった。
送るというより、方向が同じだけだったとは。
ただの自意識過剰な女になってしまった。
「そういえば、夜いつもいるの?」
私は気を取り直して質問した。
聞き返す事もなく、佐伯は質問の意図を理解したようだ。
「僕らは深夜に長めの散歩するんです、少しだけリードを外しても怒られないから。神崎さんは?」
自由に畦道を走り回るハナコを思い出した。
クリーム色の毛皮が自由に駆け回る姿は、見ていて気分がいい。
「毎晩じゃないけど、夜勤前日の夜はリズムを整えるために遅くまで起きてるから時々散歩してたの。だから今夜も行く予定」
私はぴたりと足に寄り添って見上げてくるハナコに「あんたも行く?」と声をかけた。
言葉が理解できるのか、ハナコは千切れそうなほど尻尾を振ってわふわふと小刻みに鳴いた。
その様子を見ていた佐伯は焦ったようにこちらを見た。
「あ、僕も行きます」
「当たり前だろ? ハナコが一人で散歩したら危ないからな」
はたから見たら再会した同級生同士のささやかな約束に見えるだろう。
私も、誰かと約束したのは久しぶりの事だった。
(休みの日は疲れて寝てるからな)
「なら、また夜に」
私たちはそう言って別れた。
玄関を開ける前、電車の中では下がってたいた口角が上がっている自分に気がついた。
義務や責任からじゃなく、ちゃんと笑えていた。
「やるじゃん、ハナコ」
私は深呼吸して夜空を見上げた。
家の明かりはいつもと同じ。
「ただいま」
私はガラガラと横開きの扉を開けた




