第34話 閑話 ジルバの過去
「博士、獣化抑制薬の最終報告書が上がってきました。治験ができないのが不安ですが……」
「エビータ国の第7王子が、自ら治験者に名乗り出てくれた。副作用も無い、完璧なものを作らなくてはな……」
「この研究が一気に進んだのは、アルジェント君のおかげですね。薬の素材を混合させたものから、変化した成分のみを抽出する方法を考えついたのは、彼ですから。彼には、ずっとこの研究所にいてもらいたいですね……」
そう言うと、研究員は報告書を置いて執務室を出て行った。
「彼らのためにも……、俺もそろそろ動くとするかな……」
そう言うと、ジルバは執務机の上に飾ってあった、亡き妻ルイーゼの写真を手に取り、愛おしそうに眺めた。
そして目を瞑って、この世界に来てからのことを振り返った。
♢*♢*♢*♢*♢
俺は、魔の森にあった1000年前の魔国から、俺の妃であったロアーナを探し求めて――この世界に転生してきた。
「あっ、ジルバが目を開けたわ」
(んっ、ここは?無事に転生したか?俺を見ている優しそうな夫婦が、俺の今世での両親か……)
この世界で俺は、シャーロット公爵家の三男として生まれた。父は財務大臣で、長兄は騎士団長、そして次兄は来春から文官として王宮に入るらしい。
(兄弟が上に2人もいるなら、俺は自由にしても問題ないな……。魔力量は……、無限ではないが、充分ある……)
俺は寝返りができるようになると、みんなが寝静まった後に図書室に転移して、この世界の知識を片っ端から頭に叩き込んでいった。
そして、そんな日々を過ごし、俺が3歳になった頃――
「ジルバ坊ちゃま、今日から家庭教師としていらっしゃるグレイス様です」
執事は、俺が籠もっていた図書室へ、眼鏡をかけた詰襟の地味なドレスを着た女性を案内してきた。
「ジルバ様、グレイスと申します。今日からジルバ様の家庭教師を務めさせていただきます」
女性は眼鏡をくいっと上げると、俺を値踏みするように見下ろした。
「貴方に俺の家庭教師が務まるかなぁ?いくつか質問させてもらうよ」
俺は複数の外国語で質問を投げかけたが、彼女は一つも答えられなかった。
「父上に、家庭教師はいらないから、飛び級で王立学院を卒業したいと伝えてくれ」
両親は俺の申し出にびっくりしていたが、執事から俺についての話を聞いていた両親は、「試しに……」と言って、王立学院の入学試験を受けさせてくれた。
そして満点で試験に合格した俺は、公爵家の後押しもあり、学院に通うことなく、研究論文と実技試験のみで、飛び級卒業を果たした。
「ジルバ、学院を卒業したが、これからお前はどうするつもりだ?」
「父上、俺は魔法薬の研究をしていくつもりです。屋敷の離れに実験室を作りたいのですが……」
俺は、家族に魔法薬学の研究をすると伝え、たまに前世の日本にあったような薬の論文を発表して特許を取りながら、毎夜、魔獣のいる森へ通い、身体を鍛え続けた。
そして16歳になる頃には、身長も体格も騎士団長を務める長兄とほとんど変わらないぐらいになった。
「最近、魔獣の被害が少なくなっているんだが……」
長兄は、俺をチラリと見て「まさかな……」と呟いていた。最年少で騎士団長に任命されただけはある。長兄は、『カン』がいい。
そんな生活を続けて、そろそろロアーナを探す旅に出ようと考えていた頃、父から執務室に呼ばれた。
「ジルバ、王立魔術医療院から、新しく立ち上げる魔法薬部の部長として来てくれないかと誘いがきている」
(これからロアーナを探しに行こうと思ってたのに、面倒な話が入ってきたな……)
「父上、その話は断ることは出来ますか?」
「あぁ、断ることは可能だ。しかしお前が唯一交流を持ってた教授が、王立魔術医療院の院長になったんだよ。それで、お前もちょっと興味があるかもしれないと思ってな」
「バルモア教授ですか……」
(この国では魔力を持つ者は、国に貢献しなくてはならないという法律がある。父が俺の盾になってくれているが……。公爵家の面子を立てるために、国の機関で少し働いておくか……)
王立魔術医療院で働くことを決めたジルバは、数日後に院長のバルモアに呼ばれて、医療院を訪れることになった。
門前で馬車を下りると、担架に乗せられた急患に走り寄る看護師が目の前を横切った。
「聞こえますか!声が聞こえたら、瞬きをしてください!」
ジルバは何気なく看護師を見ると、目が釘付けになり動けなくなった。
看護師の女性と前世のロアーナの姿が重なって見えたのだった。容姿は違うが、魂はロアーナだった。
(こんなに近いところに、ロアーナがいた!)
担架が院内に入っていくのを見送った後、ジルバは鼓動が高鳴るのを抑えきれないまま、院長のバルモア伯爵に会い、魔法薬部の部長に就くことを了承したことを伝えた。
翌日からジルバは魔法薬部の仕事に赴いた。バルモア院長が、新しく立ち上げた魔法薬部で働く者は、ほとんどが院長自ら誘いをかけた若者たちで、魔法薬の第一人者であるジルバを心酔している者たちだった。
「シャーロット部長、看護部から不足している薬のリストが届いています。在庫があるので、届けに行ってきましょうか?」
「いや、ちょうど看護部に用事があるから、私が持っていこう」
ジルバが看護部に向かうと、中庭で昼食をとっている彼女を見かけた。今世での彼女の名は、ルイーゼ・バルモア。バルモア院長の次女として転生していた。
ルイーゼの隣には、穏やかそうな青年が一緒に座っていた。ジルバは魔法薬部に来てから3か月になるが、まだルイーゼには話しかけることが出来ないでいた。
ある日の午後、ジルバは院長から大至急で院長室に来てくれと呼び出しがかかった。ジルバは急いで院長室に入ると、騎士団長の長兄が苦い顔をしてソファに座っていた。
「兄上まで……、何があったんですか?」
「昨日、辺境伯領で魔獣のスタンピードが起きた。先に第一と第二騎士団が向かったが、騎士団の殆どの者たちが重傷を負っていると報告が入った。お前は治癒魔法も攻撃魔法も特級レベルだ。すぐに俺と一緒に辺境伯領へ向かってくれないか」
バルモア院長も、昨夜は寝ていないであろう青白い顔でジルバを見上げた。
「実は、儂の娘のルイーゼも、騎士団に同行して現地に行っておる……」
(えっ、ルイーゼが!)
「兄上、俺はすぐに転移で現地に向かう!兄上は後から来てくれ!」
「「はっ? 転移?」」
そういえば転移出来ることは誰にも言ってなかったなと、固まっている長兄と院長を横目に、俺はすぐに辺境伯領にいる医療班のテント前に転移した。
現場は多数の重傷者が、毛布の上に寝かされていた。しかし治癒魔法が使える者が魔力切れで倒れてしまったらしく、怪我を負っている者は応急処置のみされて寝かされていた。
ジルバは、医療班のテントの中に入ると、皆を見渡して声を上げた。
「ここの管理者は誰だ!私は医者だ!現在の状況を教えてくれ」
ジルバの声に気が付いた看護師が「えっ……」とジルバに振り返った。ルイーゼだった。
(ルイーゼ!無事で良かった)
「シャーロット部長、私が説明します!」
ジルバは、ルイーゼがトリアージした、急を要する重傷者から、次々と治癒魔法をかけて治療していった。
何十人もの患者に治癒魔法をかけた後、ジルバは医療班と看護師たちにも回復魔法をかけると、テントのそばにあった切り株に腰をかけた。
(ふぅ~っ。俺の魔力量が膨大だとはいえ、さすがに疲れたな……)
「シャーロット部長、お疲れ様でした」
ルイーゼが、淹れたてのコーヒーの入ったマグを持ってきた。
ジルバの前に立っていたルイーゼは、ジルバに何かを言いかけたが、俯いて口を結んだ。
「ルイーゼ嬢、どうした?」
「いえ、部長があまりにも昔の知り合いにそっくりなので……、その方の名前を呼んでしまいそうになりました……」
「……」
「ジル様と……」
ジルバは、前世での呼び名でルイーゼから名前を呼ばれた瞬間、今までの思いが溢れ出し、体中の血液が沸騰しそうになった。そしてジルバは、ルイーゼの手を取りぐっと引き寄せると、腕の中にギュッと彼女を閉じ込めた。
「ロアーナ……!いつ前世を思い出した?」
「……貴方がここに現れた時に、ジル様の姿と今の貴方が重なりました」
「ずっと会いたかった!しかしロアーナを見つけても、声をかけることが出来なかった……。ロアーナ、今世でも俺のそばにいて欲しい……!」
ロアーナは、ぐっと下唇を噛みしめると首を横に振った。
「ジル様、申し訳ありませんが、それは出来ません。今世の私は幼い頃に魔獣に襲われ、体中に深い爪痕が残って、子も産めない体です。そのため、私は結婚することを諦めました。当時は自暴自棄になりましたが、父に諭されて医療人として一生を過ごすことを決めました……」
ジルバは、今世でのロアーナの悲劇を知って茫然となった。
前世で俺の王妃とならなければ、命を落とすことは無かった……。
そしてこの世界に転生して、酷い過去を持つことも無かった……。
「ロアーナ、今世で私たちに子供はいらない。私たちにはロアがいた。ロアーナが命を懸けて生んでくれた子だ。ロアは良い息子に育ったよ」
「ロア……。ロアと名付けられたのですね……」
ロアーナは前世で産んだ子を思い、泣き崩れた。
ジルバは声を上げずに泣くロアーナを固く抱きしめていたが、ロアーナはジルバから離れると涙を拭い、覚悟を決めたかのように夜空を見上げながらジルバに言った。
「ジル様、今日で前世の過去を手放して、自由になってください。私はルイーゼとして、看護師としての今世を……生きます」
「ロアーナ、何故……」
「私、今世の傷だらけの体を……ジル様に見せたくないんです。前世の綺麗だった私だけを、貴方の記憶に残したい……」
「えっ……」
「シャーロット部長、失礼いたします」
ルイーゼはそう言い残すと、踵を返して駆け足で医療班のテントへ戻って行った。
あれから、ジルバはルイーゼと一度も顔を合わせていなかった。ルイーゼは医療院でもジルバを避けるようにしていたため、ジルバが看護部を訪れても、ルイーゼを見かけることはなかった。
バルモア院長は、娘とジルバの間に何かがあったことを察していた。しかし、娘の過去を思えば、軽々しく背中を押すこともできず、ただ静かに見守ることしか出来なかった。
魔獣のスタンピードからしばらくして、ジルバは隣国の王立魔法薬研究所から、新しく立ち上げた研究チームのリーダーとして来てほしいと誘いを受けた。
ジルバは、このままここでルイーゼを影から見つめているだけでは何も前に進まないと、隣国からの誘いを受けることにした。
そしてスタンピードから半年後、ジルバは隣国へ行く船の上にいた。
ジルバが隣国に向かう船の甲板で、ボーっと水平線を眺めていると、同じく隣国へ向かうという背の高い紳士が声をかけてきた。
「海はいいですね~。船に乗って広い海を見ていると、些細なことに執着していた自分が恥ずかしくなる」
グリモード伯爵と名乗った彼は、ジルバの隣に座り、二人でのんびりと海を眺めた。グリモード伯爵は、爵位を分家に譲り、平民となって隣国のガーラ王国へ移住する旅の途中だと話した。
「爵位を譲って平民になるんですか……」
「いや~、娘から断捨離というものを勧められましてね。屋敷中に溢れていた物の大半を処分したら、憑き物が落ちたように執着心がなくなってしまいました。挙句に爵位にも興味が無くなってしまって。子供たちが将来に向けて本気を出し始めたので、私達夫婦も全力で子供たちを支えようと思い、ガーラ国への移住を決めました。すべての執着を手放したら、不思議なほど、物事が上手く回るようになりました」
(断捨離?グリモード伯爵家の令嬢は転生者か……)
「シャーロット公爵令息、お節介かもしれませんが、年長者から一言……。今あなたが解決できない悩みを抱えているならば、一旦それを置いておくといい。そして、今あなたの目の前にあるものに全力を注いでいるうちに、悩みが熟されて一年後の貴方には解決できるようになっているかもしれない。隣国に船が着く頃には、スッキリとした顔になっているといいですね」
「えっ、何で私の名前を?」
俺は、先ほどの自己紹介で家名を名乗らなかったのだが……。
グリモード伯爵は、ジルバの背中をポンポンと叩くと船内に戻って行った。
(断捨離か……。
俺の大切なものってなんだろう……
ロアーナ
前世ロアーナとの思い出
前世の息子ロア
そして、……ああ、俺には今世の家族がいたんだったな。
俺の大事なものってこれだけか……。
なんだ、意外にシンプルだったな。これだけを大切にしていったらいいのか。
しかし、俺は、他人にまで心配されるような顔してたのか。
前世から追いかけてきたロアーナに振られてしまったんだから落ち込みもするわ。
あれっ?でも、俺、本当に振られたのか?ロアーナは俺のことを嫌っているんじゃなくて、傷を俺に見せたくないから俺と結婚は出来ないっていう理由だったよな……、ってことは……)
ガーラ国の王立魔法薬研究所で、ジルバは研究チームのリーダーとして再生細胞医療に取り組んでいた。
今までの医学では、過去に治癒魔法で治療しきれず残った傷跡は、後から治癒魔法をかけても細胞が治癒完了と記憶してしまっているため治癒魔法を上掛けしても消すことは出来なかった。
しかしジルバの研究チームは、再生細胞の記憶を用いて昔の傷跡まで消してしまうという実験を成功させた。
そして、たくさんの研究者が新しい治療法を学びたいとガーラ国以外の国からも集まり、再生細胞医療はさらに発展していった。
ジルバの研究の治験者はルイーゼだった。
ジルバはルイーゼを説得し、どんな姿になってもルイーゼのみを愛すると制約魔法を自分に勝手にかけて、ルイーゼを口説き落とした。
そして、バルモア伯爵から背中を押されたルイーゼはジルバの秘書としてガーラ国の研究所で働くことになった。
ジルバのチームの研究は大成功し、治験者のルイーゼの傷跡は跡形もなく消え去った。
その後、ルイーゼは、同じような傷跡を持つ令嬢や令息の悩みを聞きながら、再生細胞医療のアドバイザーとして患者と研究所を支えていった。
気持ちの良い春の日差しが差し込む研究室で、ジルバが隣に座るルイーゼの耳元に囁いた。
「ルイーゼ、ロアがね、この世界に転生したみたいだよ。ロアが大きくなったら、こっそり会いにいってみよう」




