意外と深いぞ二宮金次郎
<佳夏>
かなり、やばかった。
わたしはリビングのソファで、図書館で借りた本を見ながら今日のことを思い出した。
二宮金次郎がどんな人か気になって、二宮くんと別れた後、図書館に行ってマンガで描いてある伝記を借りてきた。野口英世とか、エジソンとかあるシリーズ。二宮金次郎って、このシリーズに入れるほどの、すごい人だったと初めて知った。農業の発展につくした偉人って表紙に書いてある。
謎の少年、二宮くん。
やばかった。本当に。でも楽しかった。
二宮くんの妄想物語を二時間ばかし聞かされた。日本語は上手い。別にニューヨークにいても英語は話せないみたい。両親はどんな人だか分からないとか、なんか複雑な家庭らしいので、深いところまで聞かないほうがいい気がしてきた。
誰にも言えない。うまく説明できない。イケメン過ぎて隠したい。
お母さんに言ったら興味もたれすぎて面倒くさそう。
お父さんには、人探しとしては聞けるけど、二宮くんのことは言いたくない。
美織には少し相談したいけど、それどころじゃないよね。
衣梨奈にだけは、絶対見られたくない。
正直、全然意味分からない。けど、理解してるふりした。すごく大変な思いしてここに来たんだなってことは分かったから、バカにしちゃいけないと思った。
とにかく見た目がわたしにそっくりな子を探してるみたい。でも、その子と最後に会ったのは七十年以上前とか言ってた。何? 前世の記憶? もしその子が本当に存在してても、もうおばあちゃんになってるってことだよね。わたしに似てても分かんないじゃん。でも、まあ、その子を一緒に探すってことで次に会う約束をしてしまった。
わたしは二宮金次郎の本をまじまじと見た。
実際の二宮尊徳は身長が182cmあったって。でかっ。
銅像として有名な薪を背負って本を読んでる姿は、金次郎と呼ばれた子供の頃のちょっとしたエピソードでしかないみたい。大人になってから、いろいろ人のためになることをしたから有名なんだ。
「さっきからニヤニヤして何読んでんの?」
突然、キッチンにいたはずのお母さんが背後からのぞき込んできた。
「びっくりした。ニヤニヤなんかしてないよ」
「してたしてた。二宮金次郎? なんで?」
「自由研究でこの人のこと調べようかなって。お母さん二宮金次郎知ってる?」
「小学校に銅像あったよ。佳夏の小学校にはなかったっけ?」
「ないよ」
「そっか。時代錯誤だもんね。最近じゃ歩きスマホを誘発するって、座ってる金次郎がいるらしいからね。それも違うと思うけど。じゃあ、乙女の像とか裸の銅像みたら、みんな脱ぐのかって」
「脱がない脱がない」
「だよね。バカバカしい」
玄関でお父さんが帰ってきた音がした。
二宮くんのことを考えてたら、無意識に顔がニヤニヤしてしまってるらしい。
いかんいかん。バレるのも時間の問題かもな。
二宮くん、ただいるだけで目立つしなあ。ほんと、キレイな顔してる。もっと都心の駅とか行ったらスカウトされちゃうんじゃないのかな。いや、もうすでにニューヨークでどっかに所属してるのかも。今は、オフで日本に旅行。わたしが知らないだけで、実は有名なモデルとか? ありえる。
「なにニヤニヤしてるの?」
突然、玄関にいたはずのお父さんが背後からのぞき込んできた。
「びっくりした。ニヤニヤなんかしてないよ。お、おかえりなさい」
「ただいま」
「佳夏ったら、さっきっから二宮金次郎の本読んでニヤニヤしてんのよ」
お母さんが、意地悪な女子みたいな言い方で言う。
「してないって。ねえ、お父さんの小学校にも二宮金次郎像ってあった?」
「うちは、なかったよ。二宮金次郎像か。どっかで見たことあるな、あ」
お父さんは、何かを思い出したようでテレビの横の棚を探し始めた。そこにはゴミの捨て方とか、防災マップとか、バスの時刻表とか、地域の資料を整理してある。
「再開発地域で、二宮金次郎の石像があったはずだ。確か、この辺」
お父さんは防災マップを広げて、その地域を指で指した。ショッピングモールをはさんでウチと反対側の地域。
石像? 再開発? 二宮くんがそんなようなこと言ってた。
でも、この話はお父さんが区役所に勤めてるから分かる話じゃないのかな。一般の人が当たり前のように知ってる情報には思えないけど。もしかして、あの辺に親戚とか住んでるのかも。
「再開発って、なんで?」
「あの辺は古い家が多くてね。去年のゲリラ豪雨で地面に穴が開いた地域もあってね。調べてみたら水道管とか古くていつ爆発するか分からない状態らしいよ」
「そうなんだ。こわっ」
「道も狭いし、消防車が入れないところもある。地震や火事で大変な事になる前に整備しておこうって話になってるんだ」
「へえ。具体的に何するの?」
「古い家を壊して、地面を整えて、大規模なマンションを作るらしい。その一部の棟は、保育園と病院と高齢者専用住居が一緒になった施設にするそうだよ」
「高齢者専用住居って、ナミおばあちゃんが住んでるみたいなところ?」
「そうだね。まあ、もう少し庶民的なものになると思うけど」
お母さんのおばあちゃん。ひいおばあちゃんの名前は大久保ナミ。みんなナミばあちゃんって呼んでる。お母さんの両親は、名前を付けないで、おばあちゃんとおじいちゃん。ナミおばあちゃん今年八十七歳。ここからちょっと離れた地域で下の階に病院がある高齢者専用マンションで一人暮らししている。高齢者施設とは違って、食堂とかみんなが集まる場所とかあるけど、ワンルームマンションみたいで自由なところ。
「確か、この辺に二宮金次郎の石像があったんだ。あれをどうするかって、開発担当者の人が悩んでたって話聞いた。石像だからものすごく古い可能性があるんだ」
「なんで?」
「二宮金次郎像って、すごく流行ってて昔はどこの小学校にもあったらしいよ。でも、銅像は戦時中、回収されて溶かされて武器にされてしまったんだ。お寺の鐘でさえ戦争の道具にされた時代だからね」
「そうなんだ」
「だから、今でも金次郎の銅像があるっていう小学校は戦後に作られた新しいものだろうね。あの石像は、戦前からあって戦争を生き抜いた可能性がある。戦後、わざわざ新しく石像を作ったのなら、ある意味美術品として文書が残ってると思うけど、そういうのが一切ないんだ。いつからあるか分からないお地蔵さんみたいにね」
「へえ。二宮金次郎って深い」
二宮くんのことをごまかすために、お母さんに自由研究って言ったけど、本気で使えそうな気がしてきた。
わたしは金次郎の本を目で探した。お母さんがいつの間にか勝手に読んでた。マンガとか絵本とか、子供向けの絵が描いてある本はとりあえずどんなものでも見ておこうとする。仕事に使えそうなものを見つけるクセらしい。再開発の話はすでに知ってて興味がなかったみたいだし。
「お母さん、面白い?」
「いやあ、金次郎って男としては残念だね」
「なんで」
「ものすごく働いていろんなことして、働いた先の人には感謝されてるけど、離婚してる。子供はいなかったみたいだけど」
「え、そうなの。なんで」
「仕事仕事で家になんか帰ってこない人だったって。でも、再婚もしてる。その新しい奥さんは、あなたについて行きますタイプの女。子供もいたらしいよ」
「へえ」
「昔の男はみんな、こういう男に憧れてたのかね。家のことは奥さんまかせで、偉そうにしてる。ドラマによく出てくる家庭を顧みないダメ親父だね。まあ、晩年は弟子とか使用人とか沢山いただろうけど」
お母さんは一般論を言いながら、お父さんに「わたしこういう男キライですからよろしく」と言っている。
わたしはお父さんを見た。お父さんはいつの間にか防災マップをたたんで、黙って自分のご飯を自分で温めて用意している。もちろん、我が家では当たり前のことだ。美織のウチではお父さんがキッチンに立つなんて絶対ないらしい。
「なんか金次郎って、ひいおじいちゃんに似てる。お母さんも会ったことないから、おじいちゃんから聞いた話だけどね。ぜんぜん家にいない人だったって。でもすごく働いていろんな人に感謝されたから、それなりにお金持ちだったみたいだよ」
「え、そうなの」
「でも、おじいちゃんは反発し続けてあとを継がなかったし、自分のやりたいことに親の力は一切借りなかったんだって」
「そんなに嫌だったんだ」
「全部自分の都合で決めちゃう人だったて。お墓もいらないって遺言だったから共同墓地みたいなところに入ってるらしいよ。それもどこにあるのか」
「確かにひいおじいちゃんのお墓参りしたことないよね」
「でも、まあ、ひいおじいちゃんの遺産は全部ナミばあちゃんのもの。ナミばあちゃんも贅沢な暮らししなかったから、今、あんな家賃高い高齢者マンションに住めるんだけどね」
「そうなんだ」
「金次郎の二番目の奥さんがナミだから、また嫌だね」
「へえ、面白い」